それでもペルルが好き
「カンペキに嫌われちゃったよ……」
納屋の中で目を潤ませながら愚痴ると、母カグヤドリームは苦笑しながら答えた。
「大丈夫ですよ。彼女もきっとサイレンスアローの良さを分かってくれます」
「そうかなぁ? そうかなぁ……?」
何分も甘えると、やっと僕の気分も少しだけ前向きになった。
こうして無駄な力が抜けると、少しずつだけどペルルに好かれるためのアイディアが浮かんでくることもあるのだからおもしろいものだ。
これもお母さんが寄り添ってくれているおかげかもしれない。
「そうだよね。明日は明日の風が吹くっていうし!」
「そうですよ。その意気です」
「よし、ちょっと外を歩いてくるよ」
「すぐに戻って来なさいよ」
馬房のカギを開くと、そのまま外と……ん!?
ペルルの馬房を通り過ぎようとしたら、彼女は僕を睨んできた。
「お母さんのオッパイは美味しかった?」
ペルルの馬房を見ると、体中から汗が流れ落ちた。
生まれて2か月か3か月という様子のペルルの馬房に母はいなかった。どこに行ったのだろう?
彼女を連れてきた板野社長に会ったことはあるけど、母馬と仔馬を引きはがすようなことをする人には見えない。だとすると……
「いつまでも立ってられると目障りよ」
今以上に関係が悪くなることもないだろうし、少し話をしたくなった。
「わかった」
「何で座るの!?」
「これなら目障りじゃないでしょ?」
そう言いながら顔を突き出すと、エレオノールペルルは不愉快そうな顔をした。
「私の顔はそんなにおもしろい?」
「いや美しいんだよ……特にその掃除機のような鼻に吸い込まれそうだ」
エレオノールペルルはにっこりと笑った。
「怒っていいのか……呆れていいのか……」
「両方やってみたら?」
彼女は頬を膨らませた。
「私をどこまで怒らせれば……サイレンスアロー君は満足するの!」
「どうせ嫌われるなら、君の中で誰よりも最低なウマになりたくてね」
そう答えを返すと、ペルルは頷いた。
「そう思うなら、誰よりも速いウマになることです」
「唯一無二の馬になる努力なら……惜しまないつもりだよ」
「…………」
僕は心の中で自分に言い聞かせた。
自分自身の体が小さくたって、ペルルが圧倒的に優れた競走馬だって、この胸の中には唯一無二のウマになるための腹案がある。まあ、さっき思い付いたというのが正しいけど。
「…………」
そう思いながら眺めていると、彼女は表情を戻した。
「よく覚えておきます」
無事に挑戦状を叩きつけた僕は、納屋を一旦出て北門から入って父親を探した。
「おお、ジュニア……どうした?」
「お父さん。今日会ったエレオノールペルルって仔……母親はどうしたの?」
そう問いかけると、父はばつが悪そうに視線を下げた。
「あまり大きな声では言えんが……彼女を産んだその日に亡くなったらしい」
「……そうだったんだ」
彼女の強気な性格を考えると、僕に突っかかって来るのも頷ける。
父親にお礼を言うと、僕は母の待つ馬房へと戻った。
「ずいぶん早かったね」
「うん、ちょっと外の空気を吸いたかっただけなんだ」
「そうなの」
「あと……もう一度、お乳をちょうだい?」
ペルルに嫌われたくらいでいじけていてはダメだと思った。だって彼女は、母親に甘えることさえできないのだから……
そして翌日、牧場で草を食んでいると、近くにいた同級生たちがざわつきはじめた。
ああ、なるほど……怖い顔をしたチャチャ姉さんがやってきたからか。
「ジュニア、聞きましたよ」
「なにを?」
「昨日、お父上に失礼なことを言ったそうですね」
「え? 将来の夢を聞かれたから率直に答えただけだよ」
チャチャカグヤは、更に怖い顔をして近づいてきた。
「将来の夢は馬肉とか、致命傷で済んだとか、口汚く罵ったそうではありませんか」
「そんなに怖い顔していると、美人な顔が台無しだよ」
チャチャカグヤのこめかみには青筋が走った。
「誰のせいだと思っているのですかっ!」
「それは……主に僕のせいだね」
「父上はあそこにいます。何か言うことはないのですか?」
「確かに、お父さんからすれば……僕は情けない子供だと思うよ」
「そう思うのなら、しっかりなさい!」
確かに姉さんの言う通りだと思った。
ペルルに嫌われているのも、結局は僕がだらしないことが原因なんだと思う。
「姉さん……僕はね」
「なに?」
「唯一無二の……決して代わりのいない競走馬になってみせる」
そう発言すると、チャチャカグヤは表情を和らげた。
「そ、その意気ですよ。どうして父上にそれを言ってあげなかったのですか?」
「驚かせるために決まってるじゃないか!」
「な、なるほど……では、ジュニアはどんな競走馬を目指すのですか? よろしければ、お姉さんに聞かせてください」
よし、これはチャンスだ。是非、姉さんに聞いてもらって、僕自身も覚悟を固めようと思う。
「まず……諦めない」
チャチャカグヤは頷いた。
「次に、よく考える」
チャチャカグヤは微笑んだ。
「3番目に、騎手に指示を送る」
チャチャカグヤは、ポカンと口を開いた。
「4番目に、柵を蹴っ飛ばしたり、ゲートの扉をかじって揺する!」
チャチャカグヤの表情は更に崩れた。
「ちょ、ちょっと……ジュニア、幾らなんでもそれは……」
「まだ話は終わってないよ姉さん」
「つ、次は……なんですか?」
「5番目に……」
「5番目に……?」
チャチャカグヤは生唾を呑んだ。
「調教師も管理下に置く」
「そ、それはやめなさい!」
父さんや母さんには悪いけど、これくらいのことができないと、チビな僕が重賞を制することなんてできないと思う。
それくらい、競馬というスポーツは体格がものをいう。
【キャラクター紹介:チャチャカグヤ(1歳)】
グランパ牧場のサラブレッド。
2023年2月生まれ。
父はドドドドドドドドド。母はカグヤドリーム。
毛並みは栗色。顔の中央部から鼻先にかけて細い白斑が伸び、たてがみと尻尾が白い。
主人公サイレンスアローの姉。それも両親が同じ全姉である。
凛々しい顔と、牡馬顔負けのたくましい体つきをしており、20頭以上いる同級生の中でも頭一つ抜けた実力がある。
父親譲りの勝負根性と、母親譲りの誠実さを受け継いでいるため、問題行動が少なく管理スタッフも安心して見ていられる。