小生からの最終試験
恵騎手は、それから毎日のように小生の前にやってきた。
「恵お姉さんの昨日のレース……見たよ」
「本当!? どうだった?」
「鞭の入れるタイミングと位置、それから力加減がわずかにずれてた」
「……本当?」
「筋肉が伸びようとしている瞬間に入れると、もっと効果的だよ」
恵騎手の表情は真剣そのものだ。小生のようなウマの意見でさえもきちんと聞いて、自分の技術を高めようと考えていることがわかる。
ならば、もう少し踏み込んだアドバイスをしても損はないだろう。
「それから、血管とツボと神経の位置も意識して」
「え……?」
恵騎手が困惑した表情をしたので、小生は丁寧に馬房のドアを開けた。
「小生の体に触ってごらん。頭だけでなく体全体で理解するように心がけてみて」
「う、うん……」
「セクハラは駄目だぞ」
今のはお父さんの声だ。小生と姉さんを心配して、わざわざここ牧場の美浦支部にまで来てくれたのだからありがたい。
「わかってるよ。棹立ち〇こと、おはよウマッケーは、優先的にお父さんにやってあげるから安心して」
そう答えると、お父さんはぎこちない微笑みを見せてくれた。
そういえばお父さんの前で、おはよウマッケーはまだ披露していないな。せっかくだし今度やってみてもいいかもしれない。
そして、7月の上旬。
いつものように来てくれた恵騎手は、小生の部屋の前に置かれている鞭に気が付いたようだ。
「……シュババ君、これは?」
鞭の数は3本。これを見ただけで、恵お姉さんは何を言われるか見当はついていそうだ。
「恵お姉さんに質問だよ。もし……小生の背に乗った場合、どの鞭が適当かな?」
そう質問すると、恵の表情は一瞬で騎手のものへと変わり、鞭を1本ずつ吟味しはじめた。
椅子に乗った鞭のうち、1つは非常に痛みを伴う鞭。
もう1つは、痛みがなく音だけが響く鞭。
最後の1つは、とても短く、痛みも音もいまひとつな鞭。
彼女はまだ結論を出さないようだ。あくまで慎重に答えを選んでいる。
実はこの質問の答えは、全てが正解なのである。さらにはっきりと答えを言ってしまえば、選んだ競馬場やライバルたちの動きによって答えが変わると言うべきかもしれない。
さて、恵お姉さんは……3本全てを纏めて取って、全部必要という答えにきちんとたどり着けるだろうか。君は既に最初の1戦で騎乗してもらうことは決まっているけど、この問題で正解できるかどうかで、主戦騎手になれるか、駆け出しだけのサポート騎手で終わるかが決まるよ。
「…………」
「…………」
「…………」
恵お姉さんの瞳は、しっかりと小生の姿を映した。




