新発田恵騎手ふたたび
新馬戦の勝利をお祝いして、姉さんは僅かながらの休暇を貰えたようだ。
納屋の中で、気の利いた話の1つでもしようかと思っていたけれど、彼女は新発田恵騎手の一件を耳にしてしまったようである。
「いくら何でもあんまりです。一生懸命レースに臨んだというのに!」
「さっきも言ったけど結果が全てだよ姉さん。勝負の世界で最善を尽くすのは当たり前のこと」
「それはそうですが……」
姉さんは優しすぎるところが玉に瑕だ。生きるか死ぬかの勝負の世界で影響がなければいいけど……。そんな心配をしていたら、聞き覚えのある足音が聞こえてきた。
「シュババ君」
「どうしたのツバメお姉ちゃん?」
「シュババ君にお客さんが来てるよ」
「……誰?」
やってきたのは男性騎手とエージェントだった。
「サイレンスアロー君ですね」
「はい。彼は人の言葉を理解していますので……直接交渉してみてください」
「わかりました」
エージェントは爽やかに笑った。
「サイレンスアロー君、もし騎手が決まっていないのなら……彼を主戦騎手にしてみない? きっと君も気に入ると思うよ」
ほほう。美浦トレセンきっての問題ウマに、よもや跨ろうと考えるとは。
どれほどの腕前か、少しだけ興味がわいた。
まずは目を剥いて笑うと、小手調べの納屋のドアを揺すってバケツを蹴飛ばした。これはまだ序の口。巧みにドアをこじ開けてからが本番である。
「う、うわ!?」
まっすぐに騎手へと向かうと、彼らは一目散に逃げだした。
様子を見ていた真丹木調教師は電話越しに謝罪し、柿崎ツバメは眉根を吊り上げていた。
「何をしているのシュババ君!!」
「小生の背に跨るつもりなら、それなりのリスクを覚悟して欲しいからね」
チャチャ姉さんや真丹木調教師は唖然としていたが関係なく、小生はやってくるエージェントと騎手を追い出しにかかった。
そして2週間ほど経過すると、誰も小生の前には現れなくなり何だか勝利した気分になった。
「もう、いい騎手もたくさんいたのに!」
「小生が本当に怒っているかくらいは見抜いて欲しいね」
「いくら何でも無茶だよ! 私たち人間から見れば競走馬ってとても大きくて怖い存在なんだよ!!」
「それに跨るからプロ」
「……もう、本当にああ言えばこう言う」
その話を横から聞いていたエレオノールペルルも、うんうんと頷いていた。ツバメの気持ちは痛いほどよくわかるようである。
「さあ、来るがいい一流ジョッキー!」
「ちょっと待って! プロレスでも始めるつもり!?」
そうツバメお姉さんが言った直後に、牧場スタッフが走ってきた。
「真丹木さん、ツバメさん!」
「どうしたの?」
「お客さんです!」
「一体だれ!?」
「騎手の……新発田恵さんです!」
彼女の名を聞いて、耳がピンと立っていた。
心音が見る見る上がり、体を流れる血が騒いでいく。まるで、彼女を乗せろともう一人の僕が騒いているようだ。
「どうします!?」
スタッフに質問されると、馬主のツバメお姉さんは困り顔になった。
「こんな危ないウマを新人の……それも女性に近づけられないよ」
「は、はい……」
スタッフが戻ろうとしたので、小生は声を上げた。
「待って!」
「……え?」
声をかけると、スタッフは目を丸々と開いてこちらを見ていた。
「今、この仔……喋って……」
「会ってみたい」
そうウマ語で話すと、柿崎ツバメは気が進まない様子で顔をしかめていた。
「お願いだから、ケガとかさせないでよ」
小生は黙って頷いた。




