ダービーの星(前編)
夜中にそっと納屋を抜け出すと、小生は監視カメラを睨んだ。
あの視界に入ると夜勤務のスタッフさんがやって来る。抜き足差し足で抜けると……やっと一呼吸をついた。
「よし、いよいよクライマックスだな」
小生はしっかりと、事務所前に置かれている自動販売機を睨んだ。
扱っているアイスは17種類。バニラ味に始まり、チョコミント味や、グレープ味、メロン味なんかもある(注:ペットに与えないでください)。
今までに小生が唯一、攻略していない味はサイダー味である。
「…………」
あらかじめ手に入れておいた500円玉を咥えると、そっとコイン挿入口から中へと入れた。
「よし、光った」
鼻先でサイダー味を購入すると、カタン……という音と共に念願のアイスが出てきた。
よし、よし、よぉーーーし! これを器用にはがして食べれば、自動販売機のアイスを全て口にしたことになる。
これこそ、今までどのウマも成し遂げられなかった快挙である。小生はいま、誰しもが思いついても実行できなかった……いや、あえてやらなかったことをやってのけたのだ!
あとで虫歯になるかもしれないけど関係ない。これくらいの意気地がないと競走馬生活は快適にエンジョイできないのである。
「なに食べてるの、にいちゃん?」
思わずハッとしていた。
いつの間にか後ろには弟が立っており、小生が食べようとしているアイスを眺めている。どうやらもう、後には引けないようだ。
「弟よ。お前も……バッドボーイの階段を上るか?」
弟は真顔で頷いた。
「よし、ならば……一緒に食すぞ」
「う、うん!」
口で器用に包装紙を剥がすと、中からはサイダー味のアイスが出てきた。
「よし、お前は左側を……小生は右側を舐める」
「りょうかい」
1歳馬と0歳馬が自動販売機の前で、首を下げてベロベロと何かを舐めているのだから、実に奇妙な光景だと思う。
「つめたくて……おいしい!」
「食べ終わったら、よく口を水でゆすいでおくんだよ。他の証拠は小生が隠滅しておく」
「わかったよおにいちゃん」
サイダー味をたっぷりと堪能すると、小生は証拠を確実に隠滅し弟はきっちりと口をゆすいできた。
「こ、これでだいじょうぶかな?」
「オーケー。今日から小生と君はバッドボーイブラザーズだ」
「な、なんかカッコイイ!」
おいおい、日本語にすると不良兄弟なんだから、ちっともカッコよくないぞ弟よ。
「そういえばおにいちゃん」
「なんだ弟よ?」
「せっかくだし、すこしおはなししようよ……ぼくもいいたいことあるし」
一体何だろう。もしかしたら、何か悩みでもあるのだろうか?
「わかった。ここではなんだし……放牧エリアにでも行こうか」
「うん!」
当たり前だけど、放牧エリアは夜闇に包まれていた。
ただ、天気は良かったので空を見上げれば、月と無数の星々がきらめいているから脚元は十分に見える。
「おにいちゃん、ぼくね……名前をつけてもらえたんだ」
こんなに早く付けてもらえるなんて凄いと思った。1月に生まれた小生でも名前を付けて貰えたのは4月である。もしかしたら、牧場スタッフたちは弟に凄く期待しているのかもしれない。
「何て名前なんだい?」
「ミホノスピカ……これって、どういう意味なの?」
小生は頷くと、空を見上げた。




