サイレンスアローの弟
2025年3月中旬。母カグヤドリームは汗を流しながら馬房の壁を睨んでいた。
「呼吸を整えて、母さん」
「大丈夫……です」
それから20分。カグヤドリームは小さな牡馬を産み落とした。
毛並みは僕らと同じ栗色だけど、やや暗めの色をしている。体の特徴を考えると、このあとどんどん大きくなっていって、お父さん以上の体格になりそうな気がする。
弟はまずは僕を見た。
「……おねーちゃん?」
「いいや、小生はお兄ちゃんだよ」
小生という言葉を聞くと、カグヤドリームとドドドドドドドドドはお互いを見合った。多分だが、小生と言う一人称を変だと思っているのだろう。
だけど、弟というものは兄をしっかりと追いかけてくる存在だ。負けん気の強い彼らに負けないためには、一人称から変えていく必要がある。なお、異論は認める。
「小生の隣にいるのがお父さん、君の後ろにいるのがお母さんだよ」
「おとーさん、おかーさん」
「そうそう」
姉の話をしようとしたら、聞き覚えのある脚音が聞こえてきた。
「遅れました!」
姉チャチャカグヤがやってくると、弟は耳をピンと立てた。
「こっちはおにいちゃんだね!」
「違うよ。こっちはチャチャカグヤ姉さん」
「えええ~~~~」
まあ、チャチャカグヤ2歳。サイレンスアロー1歳。カグヤドリームの2025当歳なのだから、間違えられるのは仕方ない。
しばらく弟と話すと、納屋を出てエレオノールペルルと会った。
「弟、無事に生まれた?」
「うん、とりあえず役に立ちそうな言葉を教えておいたよ」
そう答えると、ペルルは不思議そうな顔をした。
「なにを教えたの? 競馬用語??」
「さすがに競馬用語はまだまだ早いよ。もっと基本的な話」
間もなく弟は母カグヤドリームの前で、そのセリフを口にした。
「ボクのハイゴには、すんごいヒトとウマがいます……ウソだけどいってみた」
「こらジュニア!」
「シンジャとかいてモウカルとよむ。ヒトのタメとかいてウソとよむ」
「……お兄ちゃんのマネしないの」
「つまり、しんじこませたヤツをこきあつかうと、いいおもいができることがわかるだろう?」
「だから、やめなさい!」
ペルルは何とも言えない顔をこちらを見た。
「ねえちょっと、何教えてるの!?」
「ハッタリは意外と役に立つということと、人のウソの見破り方の例を教えておいた」
「……あんたねえ」
「しかし、生まれて間もないのに、ここまで小生の言葉を覚えているとは……これは、打てば響く弟かもしれない」
そう考えると、これからの牧場生活は俄然おもしろくなる。是非とも弟にはいろいろなことを教えていきたいものだ。
さて、何から行こうか……?
「あまりお父さんとお母さんを困らせるのは感心しないよ」




