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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
99/107

現在8 特異点④


「心美は賢い。不運なことに、優しくもある」

「そうね」

「心美ではだめなんだ。あんなにあの人のことを想っていたら、反動で今度は心美が奈落の底へ落ちる」

「そうかもね」


 私はセツナから体を離すと、セツナの正面へ回る。


「ねぇセツナ、あなたさっき、誰かから私がここへ来ることを知らされていたって言ってたわよね?」

「うん」

「それは、未来から来たセツナね?」

「そうだよ」

「あなた、未来には行けるの?」

「行けない」

「だったら過去を変えて未来を変える必要があるわ。私が今から言うことを、一つだけ叶えてくれないかしら」

「いやだ」


 まだ何も言っていないのに、セツナから即答されて面食らう。


「私まだ何も言ってないわ」

「大方、あの人の自殺を止めろとかそんなことだろう?だったら僕に言うのは筋違いだ。本人を引っ捕まえて締め上げるなり閉じ込めるなりした方が、よっぽど現実的だし成果も期待できる。できるなら、の話だけど」

「変えたいのよ。未来を、今を」

「残念だけど、過去から未来なんて変えられない」

「そんなこと、やってみなきゃ分からないでしょう?」

「できるならもう変えてる。誰も殺してない。例え、結果として紗夜先生を失ったとしても」


 セツナのその言葉に、頬を思いきり叩かれたような衝撃が走った。あまりのショックに私の体は硬直し、セツナの顔を真正面からただただ見つめることしかできない。


 失念していた。セツナにとって紗夜ちゃんは結婚したいほど大好きな人。ずっとそばにいてもらいたい、唯一無二の人。


 そんな紗夜ちゃんの存在を手放してしまうかもしれない苦悩の中、セツナは与えられた力で人知れず行動してきたに違いない。両親を守るために。殺人という罪で何人もの人生を狂わせないために。


「理央もここへ飛ばされてから金縛りにあっただろう。あれが厄介なんだ。それと、そんなに多くの回数をタイムスリップしたわけじゃないけど、何度か経験する内にいくつかのルールも分かってきた」

「ルール?」

「一つ目は自分の意思でタイムスリップを強制終了できること。二つ目は重要なシーンで必ず金縛りにあうこと。恐らく僕が “動く” ことによって事態が大きく変わってしまう場合は、どうやっても行動することができないんだと思う」

「二つ目に関しては私たちも同じことを考えたわ」

「それともう一つ。これはつい最近気がついたことだけど」


 そこでセツナが一つ息を吸う。


「過去では死んだ人間にしか会えない」

「死んだ人間……?」

「そう。僕が過去で会えた人間は、現在ではもう亡くなってる人だけだった。あの人に会えなかったのも、会ったことがないという理由ではなく、存命してるからだと思う」

「それは茉莉子さんと……」

「養父の亡くなった両親、昔飼っていた犬、小児科病棟で一緒だった友達」

「小児科病棟?」

「一応、超がつく未熟児だったから。手術痕、見たことあるでしょ?」

「そう……」


 セツナが友達を作ろうとしなかった原因は、そういう理由もあるのかしら。病院は嫌でもいつも死と近いところにある。それが例え小児科病棟であっても、だ。ならばセツナの幼心に、親しい友人を失った傷が刻まれていてもおかしくはない。


 それもまた私の知らないセツナの一面。三年も一緒にいて、そんなことすら知らなかったなんて、情けないにも程があるわね。


「だから私たちは他の生徒と会えなかったのね。だったら柊平くんとは会えるはずなのに……あ!」


 私は思わず両手を口に当てる。それを認めてしまったら、失言なんてものでは済まされない。


「大丈夫、知ってるよ。教えてもらった」

「未来のセツナに?」

「うん。そしてその未来の僕が既に死んでいるというのも、もちろん分かってるよ」


 なんてことない風に言い放つセツナに、警察所で見たセツナの遺体を思い出す。


 目の前のセツナよりずっと歳をとった顔。でも変に痩せたりはしていなくて、肌ツヤはとても良かった。刑事からは高い所から落ちたと聞いていたけれど、奇跡的に顔は無傷で、本当にただ眠っているだけのようだった。


 セツナのそばには一緒に亡くなった女性がいた。どこの誰かは分からないけれど、きっとその人から大切にされていたんでしょう。服のボタンもほつれはなく、襟がくたびれた様子もない。そんなことが一瞬で見てとれる亡骸だった。


「未来の自分には会えたの?」

「いや。生きてることには会えないし、死んだらタイムスリップできないし。僕には手紙だったよ。夜遅くまで部室で絵を描いてて、ふと作業台の上を見たら数分前にはなかった手紙が置いてあった。お互い見えなかっただけで、きっと同じ空間にはいたんだろう」

「そうだったの」

「読む?手紙。と言っても、僕のことだから短いけど」


 セツナのポケットから出されたクシャクシャの手紙を受け取ると、中から便箋が一枚だけ出てきた。鈴蘭のイラストが淡く描かれたそれは、きっと彼女の私物を拝借したものだろうか。開いてみると、懐かしいセツナの字でほんの数行だけメッセージが書かれていた。




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