現在8 特異点③
「えっ……と?」
こんがらがる頭の中を整理しつつ、ここが高二の秋であることを確認する。今日は私たちの誕生日で、この時代の私たちは今、京都にいる……と。
座ったままの体勢を崩さずに隣のセツナを見ると、クスクスと体を震わせながら私の顔を指の隙間から覗いていた。
「なに笑ってんのよ」
「ごめん、堪らなくなって勝手に戻ってきちゃった」
「はぁ?こんな中途半端なところで?」
「ごめん、本当に恥ずかしい記憶なんだ。あと一つ、ごめん」
セツナは笑いながら両腕に顔を埋める。
「なに?」
「実はあの後、僕一人で時間を戻して、新しい “今夜” にしちゃったから、理央は覚えていなくて当然なんだ。信用してない訳じゃないんだけど、結果としては僕の望み通り、理央はこの記憶を “忘れて” くれた」
「はぁ?」
「ごめんって」
「あんた、過去を変えたことはないって言ったじゃない!」
「あの時はなかったんだよ。いわばあの夜が初めてだったんだ」
「もう!悪気があるならいい加減に笑うの止めなさいよねー!」
笑い薬でも飲んでしまったかのようなセツナを張り倒すと、転んでもなお笑い続けるその姿にため息が出た。セツナがこんなに笑い転げるなんて、レア中のレア。例え課金をして百連ガチャを引いたとしても、当たりはしない。
「理央」
両手で顔を隠し、震える喉元をなんとか動かしてセツナが言葉を捻り出す。
「理央、いつも僕があの人にしている態度は、嘘じゃないんだ。邪魔だと思ったり、近寄りたくないのも本音だし、あの人の心を救わなきゃと思うのも本音。この大きな矛盾の中で生きてるんだ」
「紗夜ちゃんの心臓が茉莉子さんのものだと知ったのはいつ?」
やっと喉の震えは収まり、しかし顔を隠したままセツナは続ける。
「二回目のタイムスリップで。えっと、中一の誕生日だったかな。実はさ、母親が僕の誕生と同時に死んだっていうのは、その時にちゃんと知ったんだ。最初のタイムスリップでは母は眠っているだけだと思ってた。いや、無理にでもそう思うようにしてた。母が大怪我を負っていることは幼い僕でもすぐに分かったから、きっと障害が残ったりで、どうしても僕を育てられない事情でもあったんだろうって、都合よく考えてた」
ふとセツナの人間らしい弱さが垣間見えて、私は何だか泣きたくなった。そうね、この子だって普通の人間。親の愛がなければ、決して幸せを感じることはできない。
「二回目のタイムスリップは意外な場所だったんだ。あのログハウスの二階の廊下。金縛りが酷くて動くことはできなかったけど、確かに目の前の部屋の中から声がした。多分、一人は理事長の声。もう一人は女性だった。そこでの会話で一連のことを知った」
もう一人の女性とは、きっと橘先生だろう。
「復讐しようと思った?」
「いや」
「それならなぜこの学校へ?避けることもできたはずよね」
「あの人を超えてやろうと思った。……なんてね」
「超えてやろう、ね」
私はセツナの丸まった背中に視線を落とす。
「さっきも言っただろう。僕は自分でも理解できないほど大きな矛盾の中にいる。実の両親が通った道を歩いてみたい。けど今さら実の親との関わりなんて欲していない」
セツナはゆらりと起き上がると、再び膝を曲げた。
「あの人が僕にこの学校を薦めてきたんだ。だから何も知らない顔をして首席で入って、そのまま首席で出てやろうと思った。それを遠くからただ見ていて欲しかった。会いたいだなんて微塵も思ってなかった」
「それなのに、出会っちゃったわけね」
柊平くんはきっとその目で見てみたかったんでしょうね。我が子の雄姿を。
「実際に会ってみて分かった。あの人は僕への興味で溢れている。けど少しも僕のことを必要とはしていなかった。だから僕も同じようにしてきた。一度でいいから母越しじゃなく、直に僕を見て欲しかった。想い出の殻の中から抜け出して、歪みなく僕を見て欲しかった。孤独なら孤独と言って欲しかった。苦しいなら殺してくれと言って欲しかった。誰にも打ち明けられないことを、僕には吐き出して欲しかった。それに、そんな僕へ毎回プレゼントを贈った、真意が知りたかった」
父の愛情にしがみつこうとするセツナの無垢な必死さに、親を捨てた私の胸が締めつけられる。
「柊平くんが死にたがってること、セツナも気がついていたのね」
セツナの首が微かに縦に振られる。
「そう」
「さっきタイムスリップをしたあの日、夜中に寮を抜け出して部室へ来たんだ。母を悼むために。そしたら予想通りあの人も来た。外階段で、 吹雪の中ずっと一人で泣いてた」
私はセツナの背中に肩を預ける。
「もうこの人はだめだと思った。心が死んでる。根腐れを起こした肉体は、そう長くはもたない。だから、望み通りにしてあげようと思った。最期に僕が、この手で……でも……」
「心美が来たのね」
「驚いたよ。仲が良いのはよく知ってたけど、まさかそこに現れるなんて。おかげで出るに出られなくなっちゃった」
セツナが乾いた笑い声をあげると、その振動が私の心の奥深くに伝わってきた。




