現在7 傷痕④
「そもそも紗夜ちゃんと柊平くんってどういう関係だったの?」
紗夜ちゃんは教室の後方を見ながら、五秒間考える。
「藤堂先生とは普通に同僚。訳ありだったけど」
「普通にって、恋人とかじゃなく?」
私は当時を思い返してみる。確かにイチャイチャしていた様子はなかったけど、二人の纏う雰囲気は恋人特有の “似た者同士感” があった気がする。
「恋人?全然。私なんて」
「でも柊平くんってたまに紗夜ちゃんの匂いがする時あったし、紗夜ちゃんも柊平くんの匂いがする時あったよね?あれは」
「ええっ!」
紗夜ちゃんが驚いた拍子に机が動いて、机の足が床を引きずる不快な音が教室に響く。耳を塞ぎたくなる程の音なのに、今はそれすらとても心地いい。
「それって、どういう……」
「どうもこうもないよ。昨日の夜は一緒にいたんだなぁーって」
「もしかしてみんなも気づいてる!?」
「どうだろう。わざわざ話題にするようなことでもなかったから、みんなが気づいてたかは分からない。でも心美は目敏いし、柊平くんにべったりだから気づいてたかもね」
「そんな。あんなに、神経質なくらい気をつけてたのに」
がっくりと肩を落とす紗夜ちゃんに、私は無性に楽しくなってニヤリとする。
「やっぱりなぁ。根拠のない噂はあったんだよ?独身で歳の近い二人だから、何かあるんじゃないかって。そうかそうか。やっぱりそうだったか」
こんな風に、密かな恋バナをするこのテンションもとても久しぶり。いつの間にか心まであの頃に戻ってしまったよう。
「そりゃあ個人的にそんな感情もなかったわけじゃないけど。でも全然、恋人ってことではないよ。愛してるどころか好きとさえ言われたことないし、言ったこともない」
「へぇ。柊平くんってああ見えて案外責任取らない人だったんだね。なんか失望。いや、単に私が若過ぎたのかも……?」
「違う違う、決して藤堂先生が悪いわけじゃないの。私が藤堂先生に甘えてただけ。心臓の記憶のせいですっかり私も茉莉子さんの恋心に支配されちゃっててね。それに藤堂先生は今でも茉莉子さんのことを愛してるし、本心では私の心臓に直接触れたかったんだと思う。一途な人なの、思ってた通りに……」
言葉を切ると、紗夜ちゃんは泣き顔のような笑顔になる。言葉にするには難しい心境に違いない。反対に柊平くんが簡単に翻ってしまってもそうだもの。愛とは、なんと難しい。
「ということは、柊平くんは紗夜ちゃんが茉莉子さんの心臓を移植したこと、知ってたの?」
「ええ。私が打ち明けるよりもずっと前から」
「誰から聞いたんだろう」
「それは私の絵を描く癖が茉莉子さんとそっくりだったから。藤堂先生と出会った頃、ここで会う十年以上も前にフィレンツェで私を見かけたっていう話をしてくれたの。そこで私が落としたスケッチブックを見てピンと来たみたい。あとはコネで私のことを突き止めたんじゃないかな。珍しい苗字だし」
「そうだったんだ。そんなことで移植のことまで分かっちゃうんだ」
「だからね、私たちの関係は対等。誰も傷ついてないし、真由ちゃんが藤堂先生に失望することもないよ」
理解できるような、できないような。大好きな二人だからこそ、私まで複雑な気持ちになる。紗夜ちゃんは、それを寂しいと思ったことはないのかな。もし理央が私越しに誰かを見ていたら……私は……。
「心美ちゃんがね」
紗夜ちゃんが急に声のトーンを下げたから、私は紗夜ちゃんの顔へ視線を向けた。
「気づいてるみたいなの。藤堂先生の……」
「復讐名目の自殺願望のこと?」
紗夜ちゃんは私の無遠慮な物言いに、一瞬怯みつつも首を縦に振る。
「そう」
「心美が私たちにその不安を吐露したのは一月だったかな」
「一月?一年生の?」
「うん。でもそれっきりだったの。だから私や理央は “今” も普通に過ごしてる。けど心美は、隠してる。 隠しながら、柊平くんのことを窺ってる。きっとそう」
「やっぱり」
思案している紗夜ちゃんに、私は釘を刺す。
「だからこそ、今は心美を刺激しない方がいいと思う」
結末を変えるにしろ、それはこの時代と直接関係のない私たちがしなきゃいけないこと。タイムスリップした意味を、私たちはこの手で見つけなきゃいけないから。
「真由ちゃん、私……」
「紗夜ちゃんが動いてもきっと心美は耳を貸さない。それにさっき紗夜ちゃん、自分と柊平くんの未来は聞かないって言ったでしょ?」
頑張って自然な笑顔を作ってみても、きっと紗夜ちゃんには不自然に見えてるに違いない。私は昔から嘘も誤魔化すことも下手だから。
「でも未来にいる真由ちゃんに聞いたら、救えることもあるかもしれない。藤堂先生のことはもちろん、心美ちゃんやセツナくんのことも。これ以上みんなが傷つくのを見たくないの 」




