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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
91/107

現在7 傷痕


 思いがけない停電に悲鳴をあげると、次の瞬間には電気が回復していて、私は呆然と周りを見回した。


「心美?理央……?」


 職員室に二人の姿はなく、部屋を出ていった足音も聞こえない。


 心美も理央もさっきまで目の前にいたのに、一体どうなってるんだろう。まだ感知しきれていない恐怖に浮き足立ちそうな心臓を抑えつつ、私は冷静になるようぎゅっと目を閉じた。


 タイムスリップ、金縛り、停電、誰もいない校舎。今日起こったことを振り返りつつ、それらの現象によって得た記憶を辿ってみる。


 そうだ。きっとこれは過程。


 私たちがゴールテープを切るための、過程。


 怖がっていたって仕方ない。


 震える足に力を込め、私は職員室を出た。


 これからどこに行こうか。心美が行こうとしていたログハウスか、理央が行こうとしていた部室か。


 考えもまとまらない内に自然と足は螺旋階段を上がりはじめ、気がつくと理事長室の大きな扉の前にいた。


 私は昼間に来た時と同じ場所に立ってみる。


「理事長室?」


 に、なんの用があったっけ?


 小首を傾げていると中から声がした。昼間と同様に紗夜ちゃんと理事長の声だ。私はドアに耳を当て、二人の会話を盗み聞く。じっとしていると、今度は金縛りに襲われることはなかった。


「昼間の話の続きを」


 紗夜ちゃんの言葉に理事長は笑う。まるで紗夜ちゃんを子ども扱いするかのような理事長の態度に苛立ちつつ戦況を見守ると、どうやら聞く耳を持ってもらえたところで紗夜ちゃんは語りはじめた。


 それは私たちが読んだ橘先生の日記と同じ内容だった。


 紗夜ちゃんは優しいから、今までずっと一人でそれを抱えてきたんだろう。中学生の紗夜ちゃんが背負うには、余りにも重たすぎる運命。


 そんなことがあったなんて、当時の私たちは少しも気づかなかった。いつも前向きで、私たち生徒のことを常に気にかけてくれて、どんなに忙しくてもきちんと相談に乗ってくれて。色んな人の無念を抱えていたなんて、おくびにも出さなかった。


 紗夜ちゃんはなんて強い人だろう。私なんてこの歳になっても、自分のことで手いっぱいなのに。


「今日は理事長にお願いがあって来ました」


 私は扉に耳を当てながら、なんとなくその後の言葉を予想した。


「柊平さんの命を守ってください」


 生徒の前では藤堂先生と呼んでいた紗夜ちゃんが、理事長の前では何度も下の名前を使っていることの意味。そんな小さな発見が、更に私の胸をきつく締めつける。


 紗夜ちゃん。大切な人を失くした痛みは、時が癒してくれるよ。でも、心に負った傷はなくならない。傷跡は、人が神様から与えられる程度の時間では消えないんだよ。


 私は知ってる。家族が寝静まった夜中、そっと母のアルバムをめくる祖父の姿を。ふと目の前を通り過ぎた家族連れを見つめる、母の姿を。そして、不意によみがえろうとする記憶を必死で抑えつけてきた、これまでの私を。


 それでも人は生きていかなきゃならない。心臓が止まるまでは。


 あの冬、私は傍観者だった。


 周りなんて無視して、大切な人の覚悟すら気づかないようにして、目の前の未来を掴もうと必死だった。


 しかし掴みかけた未来は、掌を滑り落ちるように時の彼方へ。


 もう消えてしまいたいと何度思ったか。


 でも、みんなで傷ついたから、きっとここまで来ることができた。


 また笑顔で再会できた。


 いつの間にか部屋の中は無音になっていて、私は扉からゆっくりと耳を離す。すると静かに扉が開いて、中から紗夜ちゃんが現れた。


 私の姿を見つけて驚く紗夜ちゃんの顔に、懐かしさで涙が溢れそうになる。


「紗夜ちゃん」

「え 、あなた……まさか、真由ちゃん?」


 つい昨日まで十六歳だった私を見ていたんだから、いきなり三十歳を過ぎた私が現れたら、驚いて当然。私は努めて丁寧に、なるべく紗夜ちゃんを怖がらせないように事のあらましを説明した。


「そうだったの」


 紗夜ちゃんがタイムスリップの事実を受け入れたか否かはその反応では分からないけど、大人になった私の姿を、紗夜ちゃんは宇宙人にでも会ったかのようにしげしげ見つめる。


「紗夜ちゃん、理解してくれた?」

「えっ、あー……うん、ちょっと信じられないけど、真由ちゃんは真由ちゃんだし、紛れもなく大人だし、きっと未来ではそういう技術が発明されてるのね」

「技術というか……」


 私もこの現象を理解していない以上、紗夜ちゃんを納得させる説明をすることはできないけど、とにかく今は未来を変えるために、紗夜ちゃんにも協力を仰ぎたかった。

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