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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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過去20 銀河の向こう側


 午前零時。


 深い眠りについていた私は、真由からの着信で叩き起こされた。


 電話の向こうの声はパニックを起こしかけていて、最初は泣き声でなにを言っているか聞き取れなかった。


 兎にも角にも一瞬にして眠気が吹き飛んだ私が慌ててエントランスへ行くと、そこには防寒着を羽織った真由がうずくまっていて、私はきちんと彼女のコートのファスナーを閉めてから、裏口を使って外に出た。


「心美がいないの!!」電話口でそう叫んで助けを求めてきた真由は、涙も拭わないまま私の隣を走る。


 深い記憶の中に埋もれていた心美の疑念が、カウントダウンを終えて突如私たちの前へ姿を現したのか。


 本音を言えば、私は心美を探したくはなかった。思い描いてきた未来が、それで崩れてしまうと思ったから。


「心美、ずっと隠してた」


 上がる息の合間、真由が言葉を絞り出す。


「一年前に言ってたこと、心美は、ずっと」


 呼吸が喘ぎに変わった頃、私と真由はやっと部室にたどり着いた。


 懸命に走っていて今まで気がつかなかったけれど、空には粉雪が舞っていて、いつの間にか辺り一面を白く染めていた。


 そんな降り積もった雪の中に、私は雪と同化するように倒れ込んでいる心美の姿を見つけた。


 心美が抱えているのは、きっと柊平くんだろう。


 その光景に、私の体は石のように固まった。


「心美!!」


 その場で動けないでいる私を置いて、真由が二人に駆け寄る。その小さな体の力を尽くして心美の肩を持ち上げると、心美の腕が微かに動くのが見えた。


 生きて、る。


「心美、心美!」


 泣きながら名前を呼び続ける真由のコートの裾を、心美の真っ白な手が握る。


 私はやっとの思いで三人に近づくと、膝から崩れ落ちた。まるで暖かなベッドの中で眠っているかのような表情の柊平くんの首に、くっきりと痣が浮かんでいる。柊平くんの上半身に雪がついてないということは、心美は雪が降り出す前から、柊平くんとこうしていたのだろう。


「心美ごめんね、ずっと気づかなくて、ごめんね……ごめんね……」


 謝罪を続ける真由の胸に抱かれる心美の顔で、私は全てを悟った。


 心美がとどめを刺した。


 柊平くんを一人で逝かせないように。


 あれから一年、私たちさえ欺いて。


「心美」


 私は心美の背中の雪を払いながら、非情でも今は目の前のことにだけ集中することにした。


「スコップを持ってくるわ。柊平くんを隠すわよ」


 ぽん、と呼び起こすように背中を叩くと、心美の顔が僅かに上がる。


「隠す……?」

「そう。誰にも見つからないように」

「そんなの無理だよ、理央」


 真由が首を振る。


「警察には言えないわ。事件になんてなったら、柊平くんが隠していたことが全て表沙汰になる。もし仮に柊平くんがそれを望んでいたとしても、セツナには未来がある。今は生きてる方を優先する他ないわ」

「セツナが柊平くんの息子って、本当なの?」

「この結果と、二人の態度と顔を見れば、ね。でも、どこがいいかしら。ログハウスは雪で閉鎖されてるし、部室の近くじゃ……」

「裏の森……」


 心美の血の気のない唇が、震えるように微かに動く。


「裏の森の、山桜」

「山桜?」


 ぽたぽたと静かに涙を流し続ける真由が、あやすように聞く。


「アトリエから見える」


 それがどれを指しているかはすぐに分かった。


 毎年アトリエから眺めることのできる山桜。


 柊平くんが美しいと褒めていた、あの山桜。


 柊平くんを森まで運ぶのは大変だけれど、確かにあそこならそう簡単には見つからないだろう。


 問題は、雪がどれほど積もっているか、だ。


「理央、本当にするの ?」

「ええ。柊平くんを背負うから、手伝って」



 三人で穴を掘り、柊平くんと最後の別れを終えたのは、東の空がほのかに白みはじめた頃だった。降っていた雪はいつの間にか止んでいて、透き通った空が夜明けを告げる中、私はなんとか寮まで戻って鉛のように重い体をベッドに沈めた。眠りに落ちる瞬間、視界の中にあるセツナのベッドが空なことに気がついても、疲労のせいか疑問に思うこともなかった。


 それから夕方まで眠り続け、次に目が覚めると、心美はいなくなっていた。


 真由はもう泣くことはなく、私も慌てるようなことはしなかった。なんとなくそうなることを、私たちは知っていたから。


 その代わり学校はとても騒がしかった。生徒と教師が揃っていなくなったのだから、仕方のないことかもしれない。


 しかし紗夜ちゃんもセツナも、最後まで私と真由に二人のことは聞いてこなかった。


 そのうちに柊平くんのことは失踪という形が取られ、理事長名義で行方不明者届が出された。心美の方は父の元へ退学届けが送られてきたらしく、狼狽した母がその旨を伝えにやって来たが、どうやら学校側の判断で休学扱いにとどめたらしいということを、後からセツナに教えてもらった。


 春が来て山桜が満開になり、暑い夏が訪れ、乾いた風が吹き抜ける秋が巡ってきても、心美からの連絡は一つもなく、私と真由もいつの間にか半年以上会話を交わしてい状態になっていた。


 上手くバランスを取れていたものが、心美を失ったことでこんなにも簡単に崩れてしまうなんて。


 私たちが築いてきたものは、結局は砂上の楼閣だったようだ。オモチャのリングは所詮オモチャ。夢の残像だけが、リングの縁に煌めいている。


 そうして再び冬になり、柊平くんを失ってから一年が経った夜、私は再びあの場所へ向かった。


 部室の外階段にはセツナが一人きりでいて、私が隣に座ってもしばらくじっと空を見上げていた。


 すぐそこにあるのに決して手の届かない銀河が、静かに私たちを見下ろしている。


「理央ってさ、宇宙に天国ってあると思う?」


 ふとセツナから聞かれた言葉に、私は戸惑う。


「そうね、あるかもね」

「そうか」

「どうしたの?」


 ふとセツナを見ると、その横顔を柊平くんと見間違う。懐かしさと罪悪感に、私はすぐに視線を外した。


「心美がさ、宇宙に天国なんてないって言ってたから」

「心美がそんなことを?」


 言葉の意図は不明だけれど、まぁ、心美なら言いそうなことかしら。


「だったら、僕は理央の意見を信じようかな」


 立ち上がると、セツナはそのまま寮へ向かって歩き出す。


「セツナ!」

「なに?」

「セツナは一人じゃないから」

「うん。だから生きてる」


 クスクス笑いながら、今度こそセツナは振り向かずに行ってしまった。





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