表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黎明の森に深く沈む  作者: 津村
87/107

過去18 甘い生活


 雪掻きバイト三昧だった冬休みが終わると、地獄の三学期がはじまった。


 これからの三ヶ月弱の間で、私たちは鬼のような難易度の期末テストを受けつつ、鬼のような文字数のレポートを書き、その上、鬼のような課題二つを仕上げなければならない。これら全てが進級試験であり、落第点とあらば容赦なく退学扱いとなってしまうのだから、とてもじゃないけど気が抜けない。


 そんな多忙で緊張感のある厳冬を駆け抜けつつも、私は束の間、穏やかな学生生活を過ごしている。


 今年の年末も三人で柊平くんの家に押しかけ、年が明けるとセツナを誘って四人で初詣に行った。冬休み中は大雪に見舞われたお陰で、バイト代を貰いつつ学校中の雪掻きをして、ムキムキになった体で真由や心美を追いかけ回して遊んだりした。


 手元には試験の内容がびっしりと書かれた大儀な現実があるけど、それも青春の内だと、私の向かいで課題のテーマを煮詰めている心美を見て思う。


 アトリエの窓は結露で外が見えない。


「真由、遅いね?」


 私に見られていることに気づいた心美が、視線を上げる。


「校舎に戻ったついでに紗夜ちゃんのところに寄るって。試験で使う画材を確認したいみたいよ」

「ふーん」


 一時、柊平くんに対して過剰なほど不安になっていた心美も、今はすっかり落ち着いている。


 「柊平くんが死ぬかもしれない」「セツナが柊平くんの子供かもしれない」去年の今頃はそんなことで大騒ぎしてたのに、思い出してみれば遠い昔に見た夢のよう。結局なにもしてあげることは出来なかったけど、心美なりに整理がついたのだろう。


 大丈夫、きっともう悲しいことは起こらない。


 言い聞かせるように、祈るように、私は私の中の神様にそう囁いた。


 途中でセツナが合流すると、私は三人分の熱い紅茶を淹れた。セツナはマグカップを受け取ると、それで両手を温める。入学以来ずっとトップの座を守り続けるその手指に、私は思わず見入ってしまった。


「そんなに見たらセツナの手、恥ずかしいってさ」


 心美がプリントへ何かを書き込みながら言う。


「仕方ないじゃない?セツナのその手、一時間千円で貸してくれたらいいのにって、みんな思ってるわよ」


 私は観念して本音を白状する。


「千円?うちの首席様をバカにしないでくださる?」


 苦笑するセツナを前に心美が怒るものだから、私はハッとした。そうそう!この二人と言えば!


「そういえば二人、付き合ってるのよね?セツナ、クリスマスに心美から貰ったマリア様の絵はどうしたの?見てる素振りがまるでないけど」


 私の質問に一瞬だけ目を丸くしたセツナに、心美がため息をつく。


「マリア様なら柊平くんに没収された」

「没収!?」

「そう。ちょっとやらかしちゃってね」

「やらかしたって、何を?」

「ちょっとね」

「理央、その絵、見たの?」


 珍しく食い気味に聞いてくるセツナのその変化に、私は感動すら覚えた。あんなに無感情な人だったのに、これが愛のパワーなのね。


「残念ながら見てないわ。真由は見たらしいけど」

「そっか」


 心美が「別に大した絵にはならなかったよ」と言っても、セツナは残念そうな表情を変えない。彼女からのクリスマスプレゼント、そりゃセツナも欲しかったことでしょう。


 だったらこの私が、悪の柊平くんから取り返すまで!


「理央、あんたは余計なことしなくていいからね」


 心美にぴしゃりとそう言われ、私は胸の前で握った拳を膝の上へしまった。


 全ての進級試験をパスして新学期になったら、二人を連れ出してダブルデートをしなくっちゃ。


 私の心は、来る春に向けて急にワクワクしはじめた。







 私は何も知らなかった。


 いいえ、何も知ろうとしなかった。



 心美の気持ちも、


 セツナの想いも、


 紗夜ちゃんが背負っているものも、


 柊平くんの決意も。



 藤堂柊平は、与えることのできなかった愛と引き換えに、受け取ることのない深い愛情を沢山の人から貰っていた。


 決して独りではなかったのに、柊平くんの人生は、きっと孤独に支配されていたに違いない。



 そんな彼が出した答えを、必死で受け止めようとしている、一人の教え子がいた。


 過去に彼から救われたことのあるその教え子は、自分の中に芽生えた感情を払い去ってまで、彼の答えを受け入れた。


 そのことで生涯消えることのない大きな傷を負おうとも、その意思が変わることはなかった。



 彼女は人知れず耐えていた。


 彼女の未来は、永遠の向こう側にある。







 一月が終わろうとしていた。


 あんなに積もった雪も、ここ数日の陽気で少しばかり溶け、真冬も小休止といったところ。


 私と真由は、セツナの誕生日を祝うために街までケーキの材料を調達しに行き、帰り道にふと立ち寄った雑貨屋で、お揃いのリングを買った。


 誕生日でも記念日でもない、ありふれた日に買ったオモチャみたいなそのペアリングを、私と真由はネックレスに通して身につけることにした。


「高校を卒業したら左手にはめようね」


 そう約束をして、寒空の下でマフラーを外し、互いの首に細いチェーンをかける。


 大学に入ったら一緒に住んで、卒業したら結婚しよう。子供は五年くらい経ったら産んで、その子が兄弟を欲しがったらもう一人。


 親戚同士すぐ会えるように、心美とは同じ街で暮らしたい。


 心美とセツナが結婚したら、きっと物凄い才能の子が生まれるから、うちの子は太刀打ちできなくていじけちゃうかもしれないね。でも、私たちはたくさん褒めてあげよう。


 そんな希望に満ち溢れた将来を語り合いながら、私と真由は夕暮れの中でバスに揺られた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ