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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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過去17 星降る夜に、生まれた


 厚手のコートを身にまとい、北風の冷たさに背中が丸まる頃、柊平くんの絵が学校に戻ってきた。


 一年前の約束通り、私たち三人を描いた作品は、遥か遠くヨーロッパまで飛んでいき、有名な美術展でちゃっかり賞を貰ってきたらしい。


 当初の予定では二週間前に日本へ戻り、先週末には校内で公開されるはずだったのに、あちらでの予想以上の評価に随分ゆっくりな帰国となり、ようやく今朝から私たちの前に姿を現した。


 かくしてこの絵と共に行動していた柊平くんも長期出張から戻り、午後からやっと通常業務に戻ったようだ。といっても、学校まで押しかけた各媒体の記者たちが、辛抱強く柊平くんの溢れ話しを待っている状態なので、通常……というには騒々しい雰囲気であることは違いない。


 しかし、当の本人としては『この件はもう終了済み』と認識しているようで、生徒に悪影響が出る前に部外者には早くここから出て行って欲しいと、先生たちに愚痴をこぼしているという噂を耳にした。


 公開されるや否や展示室にはたくさんの生徒が押し寄せ、とてもじゃないけど昼間の内には見ることのできなかった作品の前に、放課後、私たちは柊平くんの計らいで集められた。


「柊平くんってやっぱ天才。こんなに細かいところまで手を抜かずに仕上げてる。あ、見て、ここにあえて反対色を入れてメリハリをつけてる。ここも見て!こんな小さな部分なのに微妙にタッチを変えてるよ!あっ、ここも!……わー!こんなの私じゃ一年あっても描ききれない!」


 瞳からダイアモンドでも放出しているかのような真由が、キャンバスに張りつきながら感服の言葉を言い続けている。


 写生であってもファンタジー。それが藤堂作品の売りであり、最も評価対象となっている部分でもある。このふとした私たちのお喋りシーンでさえ、キャンバスに入ってしまえば見事に演出が加えられた劇中シーンになってしまうのだから、 “藤堂印” の凄まじさを改めて痛感せざるを得ない。


 隣で静かに立っているセツナも、この絵からはさすがに目が離せないでいるようだ。


「制服も構図も忠実なのに、なんでこんな風に摩訶不思議な雰囲気が出せるのかしらね?」


 理央が小首を傾げながら右へ左へ視線を変える。


「でもやっぱり凄いのは、これをたかだか二ヶ月で描き上げたってところでしょう。いくら筆が速いって言ったって、普段通りに仕事をこなしながら仕上げたのには驚き。日頃どれだけ暇なのよ」

「心美は本当に失礼だな~」


 私の肩をどんと押すように寄りかかってきた柊平くんへ、私たちは一斉に目を向ける。


 『スポーツで例えるならオリンピックで金メダルを取るくらい凄いし、学問で例えるならノーベル賞もの』と、先輩たちが口を揃えて讃える人とは思えないほど、リラックスして気の抜けた英雄の顔がこそにあった。


「ニュースサイトに載ってた人とはまるで別人ね」


 理央も同じことを思ったのか、残念そうに柊平くんを見上げる。


「なに、ニュースサイトの僕ってそんなにハンサムだった?よし、写真集を出す時は彼らに頼むことにしよう」


 柊平くんの下手くそなウインクで、理央の顔があからさまに歪む。そんな理央の前に飛び出た真由が、さっきより更に瞳を輝かせて柊平くんを見る。


「柊平くんの作品、生で見たのはじめてなの!こんなに緻密に描けるなんて凄い!もっと本物見てみたい!個展やって!」

「真由ちゃんは本当に素直でいい子だよね。そういう生徒は大好きだよ。個展は無理だけど、騒ぎが引いたら収蔵庫の作品をいくつか出してあげよう」

「ほんと?やったぁ!」


 きゃあきゃあと喜ぶ真由を横目に、私は収蔵庫にある、あのコンクールの絵を思い出した。あれを柊平くんは人前に出す気だろうか。


「それで、心美の感想は?この絵のクライアントは君でしょ?」


 柊平くんは私の肩に軽く腕を回し、自慢気に自分の作品を見つめる。普段見ることのないこんな態度がやや鼻につくが、偉大なる者の前では常人はひれ伏すしかない。


「絶望的なほど長いブランクがあったのに、全く画力が落ちていないのは奇跡としか言いようがない。もし奇跡じゃないのなら、今すぐあなたの未発表作品を発掘しないと。こんなに描けるのに今まで作品を出してこなかったことは残念だけど、新作を見られたことはとても幸運だと思う。……これは世界中のファンの総意、ね」


 私のどうしようもなく荒んだ心を繋ぎ止めてくれている “死んだはずの画家” が、まるでそのままの力で復活したのは、神がかりのような奇跡に他ならない。


「そうか。泣くほど気に入ったか」


 満足気な柊平くんの声が右耳に響くと、


「心美、大丈夫?」


 と真由から言われ、私は頬が濡れていることにはじめて気がついた。慌てて涙を拭うと、その手で柊平くんの腕を払う。


「これは絶対に高値で売れる!とっとと売って、ログハウスを増築しよう!」


 私の提案に、柊平くんは作品を見ながら薄く笑った。


「これは売らないよ。誰のものにもならない」


 真由が「そうなの?」と聞き返す。


「うん。それがこの絵の仕事だからね」

「仕事?」

「そう。大仕事だよ」


 窓の外は湿った雪が降りだして、柊平くんにもう帰りなさいと促されると、私たちは名残惜しく展示室を後にした。


 帰り道、何度かセツナと目が合ったのに、とうとう別れ際まで何も言い出せなかった。伝えたいこの気持ちを、どう言葉にすればいいのかは分からない。しかし、互いの気持ちがまるで同じであることは、セツナの表情でなんとなく分かった。


 私たちの間には柊平くんがいる。


 私もセツナも、片腕を伸ばしただけでは掴めないところに、確かに柊平くんを感じていた。







ログハウスの裏庭でのシーンがモデルになりました。

柊平にこっそり見られていたんですね。

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