現在6 誕生日
堰を切ったように溢れ出した記憶に、私は目眩を覚えた。
各人のエピソードが誘い水となって、頭の深いところに眠っていた思い出が、情け容赦なく呼び覚まされていく。
地続きだったはずの人生でも、学生の頃と大人になった今の自分とでは、まるで別の人生であるかのように思えていたのは、きっと私の現実逃避の結果であろう。
かつて私がまだ何者でもなかった頃、私はこの広く狭い学校の中で、色んなものを必死に抱えて生きていた。
まだあの人が私の名前を呼んでいた頃、私は確かに、もがきながらも未来を見つめて生きていた。
どんなに消し去ろうとしても、私がここで過ごした二年間という濃い時間は、紛れもない事実だったようだ。
無力なこの腕ではどうしようもなく、ただ流れに身を任せてしまったあの大罪に、ようやく面と向かって立ち向かう時がきたのだろうか。
「そんなことすら忘れて、私は今まで呑気に生きてきたのね」
そのため息のような声に顔を上げると、理央が机の上で足を組み、厳しい顔をして座っていた。
「薄い記憶しか残ってなかったのよ。高校時代と言えば毎日絵を描かされて、興味のないこともさせられて、たまに先生に怒られて、必死で単位を取ったってことくらいしか、今までぱっと思い浮かばなかった」
理央の言葉に、真由が頷く。
「私もそう。もちろん心美や理央のこを忘れたことはないけど、とにかく必死で課題を消化しようと、キャンバスに向かってるシーンしか記憶に残ってなかったな」
「そういう風にさせちゃったのは、全部私のせいだね」
二人は私の顔を見ると、首を横に振った。
「心美、それは違うよ。私たちは正しいことをしたんだよ」
「そうよ。私たちはいつだって正しいと思うことをしてきたわ」
そうは言ってくれたものの、果たして正しい殺人なんてものは、この世に存在するのだろうか。
私はふと現実世界の柊平くんのことを考えた。もしかしたら、埋めた体はもうとっくに全てが土に還っているかもしれない。そこに未練がましく残っているのは、私の涙の成分だけだとしたら……。
柊平くんの遺体が裏山に埋まっていることも、彼が既に亡くなっていることも、幸か不幸か未だ表沙汰にはなっていない。生きていた事実だけをこの世に残して、柊平くんは額縁の中で永遠の存在になったのだ。
理央が私を見る。
「思い返してみると、分かってくることもあるわね。紗夜ちゃんの事情はともかくとして、心美はあの頃ちゃんと柊平くんとセツナの関係性を疑ってたし、柊平くんの自殺願望にも気がついてた。柊平くんって長いことイタリアにいたのに、なぜかあの年に突然日本へ戻ってきたのよね。ここに自殺のタイミングを決めた理由があるんじゃないかしら」
「柊平くん、当時は何も言ってなかったの?ここへ来た理由とか」
そう言って真由が理央へ顔を向ける。
「そんな話もしたことがあったんだけど、上手くはぶらかされちゃったのよねぇ。もっとしつこく聞いておけば良かったわ!」
「やっぱりセツナが入学したからかな?息子の顔を近くで見たかったんじゃ」
「もしもそうだとしたら、それだけ執着してたセツナが近くにいるのに、死んだりなんかするかしら。死んだ恋人の無念さより、生きてる息子の将来を見たいと考えない?普通は」
「だったら、紗夜ちゃんかな」
私はそう口にしながら、記憶の中で薄れつつある柊平くんの顔を必死で思い出す。あの人はいつもどんな目でセツナを見ていただろうか。
「どういうこと?」
「紗夜ちゃんの中に、茉莉子さんの存在があると知って……」
「あ!紗夜ちゃんがいれば安心だと思ったんだわ!だって恋人じゃないとか言いながら、セツナと紗夜ちゃん、いつも一緒にいたじゃない?それを確認できたから、柊平くんは自殺を実行に移したのよ」
人の話に理央が割り込んできて、私は「そうね」と素っ気なく返した。
私は柊平くんのことを一番に考えていたのに、果たして私はあの人の中で何番目だったのだろう。急にそんな感情が込み上げてきて、予期せず不愉快な気持ちになる。そんな私を尻目に真由は顎から指を外すと、一つの提案をしてきた。
「ここってまだ柊平くんが生きてる時の世界なんだよね?本人に直接聞けたりしないかな?三人で手分けしたらもしかして」
そう言う真由に、理央が足を組み替えながらヒラヒラと手を振った。
「無理ね。だって誰にも会えないんだもの。ログハウスにあんな豪勢であつあつの食事が準備してあったのにも関わらず、誰もいなかったなんて、向こうの会う気もなければ、会える可能性もないわよ」
「そのことなんだけどさ」
実は記憶を掘り起こしている間にもう一つ、私は重大なことに気がついていた。
「もしかしたら今日は、私たちの十七回目の誕生日かもしれない」
「誕生日?」
「そう。本当だったらログハウスでお泊まり会があったあの日、私たちは柊平くんに突然お使いを頼まれて、遥々京都まで行ったよね。あの時、柊平くんが私たちになんて言ったか覚えてる?」
「え?なんだったかしら……?」
理央も真由も小首を傾げながら、難しい顔をして一点を見つめる。
「あ!」
人差し指を立てた真由に、私は頷く。
「そう。真由の思い出した通り。柊平くんは、楽しみにしていたお泊まり会がキャンセルになって怒り狂っていた私たちにこう言ったの」




