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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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過去15 一章分の人生⑦


 不安定な気持ちに、不透明な未来。花の十六歳とは、こんなものだろうか。


 何にだって成れるとはすなわち、何にだって成れていないということ。


 自由なのか、不自由なのか。


 自分の状態を把握できなくて、私は私という存在を未だ知り得ないでいる。それなのに真由や心美との平穏な日々を求めるのは、俯瞰的に見れば子供が考えるような夢想なのかもしれない。


 そんな風に物思いにふけりながら、ひんやりと乾燥しはじめた秋風に吹かれていると、柊平くんがこちらへ近寄ってきた。


「理央、僕は心美のマジを見た」


 ログハウスのベンチで、私の傍にある炭酸の抜けたジュースを飲む柊平くんに、この人は何でこの人なんだろう……と考えてみる。


「心美のことだから、どうせ最優秀なんて狙ってこないと思ってたんだけどな。驚きを通り越して、こっちが試されてるのかと思っちゃった。あ。これ、心美には内緒ね?」


 正直なところ、この人が死ぬとかどうとかより、どういう経緯で柊平くんが柊平くんになったかの方が、今の私には重要だ。


「ねぇ。柊平くんってさ、いつから画家になろうと思ったの?」

「なに、理央も画家になりたくなった?」


 意外そうに微笑む柊平くんに、慌てて首を振る。


「そういうんじゃなくて。柊平くんは何をどう考えて画家になって、そのあと修復師になって、ここで私たちに指導してるのかなって」


 木漏れ日がキラキラと輝いて、柊平くんに小さな光の粒を落とす。


「明確に画家という職業を目指したことはないよ。そもそも絵を描きはじめたのだって、なんとなくだ。気がついたら絵でお金を貰えるようになって、その内に描けなくなって、もうこの道以外では生きていけなかったから、修復師になった。ここへ戻ろうと思ったのは、原点に還ってみたかったから……かな。つまり、最初から何となく、だよ」

「何となくでこんなに名を残すとは思えないんだけど」


 今度は私が柊平くんに微笑んでみせる。そんな説明じゃ、今どきの高校生は納得しない。


 すると柊平くんは諦めたように、私から視線を外した。


「そうだな……真剣に絵を勉強するようになったのは、やっぱり金かな。あんまり口外して欲しくないけど、自信はあったよ。僕はさ、自分の手が動くまま描くんじゃなくて、何を求められているのか、どんなものがウケるのか、直感でよく分かってたんだよ。だから絵で儲けて、とにかく早く自立がしたかった。こうしたいって目標があれば多少の努力も苦じゃないし。ほら、努力は才能に勝るって言葉があるでしょう?あれって教育上はいい言葉だと思うけど、実際のところは少し違うよね。才能がある奴が努力しちゃったら凡人は容易に勝てないし、やっぱり才能は何よりの近道になる」

「なんか幻滅」

「聞いてきたのは理央だろう?」

「でもさ、もっとこう『お母さんに褒められたのが嬉しくて勉強した!』とかさ」


 柊平くんが喉で笑う。


「残念。親に褒められた記憶はないよ」

「それで、どうして絵を描かなくなったの?商売の方は上手くいってたんでしょう?」

「それは言えない」

「どうして?」


 うーん、と柊平くんは困った顔をする。


「言霊っていうのは恐ろしいんだよ。今の理央は昔の僕にそっくりだからさ、不吉なことは言えない」


 柊平くんは力なく口角を上げると、また炭酸の抜けたジュースを飲んだ。気が抜けて温くなった甘いだけのそれに、柊平くんはとても苦そうな顔をする。


「それは今の私みたいに、柊平くんにも同じ未来を夢描く人がいたってこと?」


 ジュースの後味があんまり不快だから、その味を消そうと、もう一口そのジュースを飲んでしまう。同じ結果だと分かっているのに、衝動的に、もう一口……。


「さぁ?どうだろう」

「それって、茉莉子……さん?」


 返事のない柊平くんの膝を見つめながら、思わず柊平くんの耳まで届いてしまうような、深いため息が漏れた。


 そう。柊平くんは茉莉子さんと本気で一緒に生きていこうと思ってたのね。そりゃあ天才だって何だって、誰かのことくらい好きになるし、その人との幸福な人生を思い描くもの。そうだとするなら確かに、かつての柊平くんは今の私とそっくりだ。


 きっと後ろを振り返っても、明るくはない人生の中で、やっと見つけた光が茉莉子さんだった。どうしたって手放したくはなかっただろうに、そんな希望は、厳冬の中に無残にも散っていった。


「それで、とにかく日本にはいたくなくて、僕はイタリアへ逃げた。そこで修復師という職業と出会って、寝る間も惜しんで勉強をして、運良く大きなアトリエから声を掛けてもらえた。それから何年かは平穏に生活してたんだ。ここへ戻ってきたのは、やっぱり……何となく……としか言えない」

「何となく、か」

「それで、理央がここのところずっと不機嫌なのは、また真由ちゃん関係?」


 もう自分のことを喋るのに飽きた……と言わんばかりの柊平くんが、頬杖をつく。


「別に」

「紗夜先生が心配してる」

「別に。関係ないし」


 次に盛大なため息をついたのは、柊平くんだった。


「あのさ、本当に関係なくて、心配もして欲しくないのなら、もっと他人に悟られないようにしなよ。明らさまにテンションだだ下がり、授業も上の空、クラスメイトには近づくなオーラを出して、そのうえ紗夜先生や真由ちゃんたちまで不安にさせて。それってどういうつもりなの?」


 いきなり押しかけてきた弟にあんなことを言われたんだから、そりゃあテンションが下がるのも仕方ない。だからって、別に周りに強調してる訳じゃない。私なりに真剣に考えているんだ。どうするのが私たちのためなのか。



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