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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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過去15 一章分の人生②


 あれは三学期の中頃。


 心美から柊平くんの命が危ないという話を聞かされた直後こそ、毎日柊平くんの動向を細かくチェックしていたけれど、しかし危機感も徐々に緩んでいき、今ではすっかり元通りの穏やかで普遍的な毎日を過ごしている。


 柊平くん自身も特に変わった動きをすることもなく、毎日私たちの前で笑顔を見せてくれているから、そんな話があったことすら、うっかり忘れてしまいそう。


 夏休みに入って三日目の昼下がり。


 私たちは連れ立って、先ごろ二年生にも解禁されたログハウスへと向かった。心美と真由はコンクールの下絵を作りに、私は父の会社の新商品に使う、風景画を描くためだった。


「相変わらず無駄に遠いわね」

「隠れ家だからね。仕方ない」


 私が最初にここへ来たのが去年の九月。一年生の中では誰よりも先に連れてきてもらえたのは嬉しいけれど、あの頃の自分を思い出すだけで、血圧が下がって卒倒しそうになる。


 まさか恋愛よりも先に失恋を経験することになるとは思っていなかった、そんな思い出のログハウスだ。


「学校よりここの方が涼しいね」


 真由が木の根にハンカチを敷きながら、キラキラと輝く木漏れ日を仰ぐ。


 屋内では三人まとまって描けるスペースがなかったので、私たちはログハウスの裏庭で作業をすることにした。


 森を駆け抜ける爽やかな風が首筋を撫でて、毛先が肌をくすぐる。 


「中よりこっちの方が正解かもね」

「うん。雰囲気もいいし、想像が膨らむね」


 真由が笑顔で私を見る。微笑み合っていると、心美が木の幹に寄りかかりながら呟いた。


「とは言えテーマは『群青』でしょう?こんな陽気なら、もっと明るいテーマが良かったな。例えば『黄金』とかさ」

「もし黄金だったら、どんな絵を描いた?」


 真由が素直な興味を隠さず心美に聞くと、「札束風呂」と、とてつもなく穢れた答えが返ってきて、真由と面食らった。


 それから数時間、三人それぞれが思い思いにスケッチブックに線を描いていると、キッチンの出窓が開き、中にいた先輩から本日の部活動終了の知らせを受けた。


 後片づけをして、来た時のように三人並んで石畳の道を歩く。すると後ろから追いついた西園寺新部長と生田新副部長が影に加わり、そこからなんとなく五人で学校へ向かった。


「いいなー、コンクール不参加者は。何やるの、夏休み」


 物静かな西園寺先輩の体を押し気味に、生田先輩が尋ねてくる。


「まだ決めてないんですけど、今は父の会社の新商品のパッケージをデザインしてます」

「父の会社?」


 西園寺先輩が私を見る。答えようとすると、生田先輩が先に話しだす。


「瑞季、知らないのか?理央の実家って大手洋菓子メーカーなんだよ。ほら、よくスーパーでシュークリームとかワッフルとか売ってるさ。お前も食ったことあるだろ?」

「ああ、そうだったんだ。知らなかったよ、すごい家のお坊ちゃんだったんだ。あ、ごめん、お嬢様」


 西園寺先輩は冗談をあまり言わない人なので、これはウケ狙いではなく、あくまで彼の配慮。私は苦笑いをしながら、家のことを少しだけ説明した。


「ということで、実家が洋菓子メーカーだからと言って、毎日デザートがあるわけじゃないし、その辺は普通の家と同じです。それに、私は洋菓子より和菓子の方が好きだし」

「へぇ。当然のように毎日ケーキが食べれるもんだと思ってたわ」


 生田先輩が憐れみの顔で見つめてくる。


「まさか」

「じゃあ柊は、大学出たら実家の会社に入るの?」


 西園寺先輩が、私に貼りつく生田先輩の視線を剥がしながら聞く。


「もちろん入りませんよ。私は私のやりたいことをして、細々と生きていきます」


 そう。これはずっと前から決めていた。


 家業は絶対に継がない。例えそれで勘当されたって構わない。あんなに大きな会社を持っていたって、娘一人満足に笑顔にさせられないような人間になんて、私は絶対なりたくないから。


 私の執着は心美だけ。


 玲央には悪いけど、心美以上に守りたいと思う家族は、私にはいない。


 だから私はここへ来た。心美と真由さえいたら、どんな場所でも未来を見出せる。


 私が生きていくには、この二人がいれば充分だから。





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