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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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過去15 一章分の人生


 シャツの袖を限界までたくし上げるセツナを見て、私は真上に視線を移した。


 限りなく紺碧に近い夏色の空には薄い雲一つなく、照りつける太陽が容赦なく私たちを焦がす。


 互いに持った荷物は意地悪なほど重くて、いい感じの日陰を見つけるも、そこへ辿り着く前に干からびてしまいそう。


「セツナ、ちょっと休憩」

「休憩してる間に死ぬ」


 言ってることはごもっとも。


 でも、暑さで目が回りはじめた。




「なんで僕のこと呼ばないの?今日はずっと部室にいるって知ってたよね?」


 命からがら到着した部室で、やや……いや、とてつもなく苛立っている柊平くんが、私の頭に氷水で冷やしたタオルを載せる。


「下界より涼しいとは言ったって、長時間の直射日光がまずいことくらい高校生なら分かるでしょ?」


 柊平くんはもう一つタオルを絞ると、今度はそれをセツナに渡した。


「柊平くんに電話して待ってるより、歩いた方が早いかなって……」


 嘘。


 本当は私だって呼び出したかった。でもなかなか柊平くんに懐かないセツナに配慮して、その提案は口に出す前に自分の中で却下した。


 どうせ言ったところで、セツナは「僕は歩く」と言うに決まっている。


「バスは昼時だと途中までしか来てくれないよね?あのバス停からここまで、何分歩くと思ってるの?この時間じゃ日陰もないし」


 柊平くんは大きくため息をつきながら、二つのグラスに氷を入れる。


 ああ、液体に踊る氷の音が耳に涼しい。


「はい、これ飲んで体の中から冷やして」


 言われるままセツナとアイスティーを仰ぐと、心美が部屋に入ってきた。


「あれ、二人とも早かったね」

「私たちの方、ものすごい行列で諦めて帰ってきたの。心美のお使いは遂行できたわよ」

「ありがとう」


 頼まれていた荷物を渡すと、心美はすぐに中身を確認して満足気に頷く。


「行列って、例の移動ミュージアム?」


 柊平くんが二人分のおかわりを作りながら聞く。


「そう。しかも周りは露出狂かってくらいの派手な女子ばっかり」

「最高じゃない」

「あっちの方がよっぽどぶっ倒れそうだったわよ。壁の照り返しの強さったら!前売り買わなくて本当に良かった」


 クーラーの風に吹かれ、私はうんざりしながら外の景色を眺めた。


 一ヶ月も前から楽しみにしていた、とあるイラストレーターの原画展。知名度もそれ程高くなく、セツナと密かに応援していたのに、人間万事塞翁が馬、開催直前で有名アーティストとコラボをして、その原画展で限定商品を売ることになった。それで予期せぬあの大行列。ファン歴なんて関係ないけど、それでも一番楽しみにしてたであろう私たちがあぶれてしまうのは、納得できない。


「まだ期間あるでしょう」


 柊平くんが私を見る。


「来週までだったかしら。でも先輩の手伝いもあるし、自分の課題も、コンクールの下絵も描かなきゃ 」

「あ、そうか。コンクールの課題、もう発表になったのか」


 柊平くんは、はっとしてカレンダーに目を移す。


「何言ってるの。 柊平くんたちがテーマ決めて発表したんでしょう?はじまる前から休みボケ?」


 私は、後頭部を掻きながら「そうだったっけ」と苦笑いする柊平くんの顔を、じっと見つめた。


 心美から柊平くんとセツナの親子関係を匂わせられて以降、こうして何かと二人を比較してしまうことが多くなった。


 確かに二人は似てるところがある。


 鼻筋の通った横顔、伏し目の色気。目の前にいる私なんか通り越して、遥か彼方を見つめるような憂いを帯びた視線。薄い唇。そして、歳相応を知らない才能……。


 これだけ共通点があれば、もしかしたら、と思ってしまうのも仕方ない。


「で、構成くらいは決まった?」


 私に聞いたのか、心美に聞いたのか、はたまたセツナに聞いたのか、一瞬では分からずに三人で顔を合わせる。それを察してか、柊平くんが「じゃあ心美から」と指名した。


「人間は描くつもり」

「それだけ?」

「まだ夏休みにも入ってないんだよ?そんな簡単に決められないよ」

「ふーん。 そっか。セツナは?」


 柊平くんのごく自然な「セツナ」の響きに、つい過敏に反応してしまう。心美も同じだったようで、横目で柊平くんのことを観察した後、私と目が合った。


 この二人が会話をしているところは何度か見たことがあるけど、あくまで必要最低限のことで、柊平くんがセツナの名前を呼ぶところなんてはじめて見た。しかも、ファーストネーム。


「まだです」

「イメージも?」

「はい」

「そう」


 さあ次は私の番ね!と待っていたのに、柊平くんは黙って頬杖をついてしまった。


「私は?」

「んー。どうせ理央はギリギリだからね。普段の課題もそうだって先生たちから聞いてるし」

「なによ、今年の私は凄いわよ?連覇狙ってるんだから!」

「連覇?」


 私の宣言に、心美が鼻で笑う。


「柊平くん、今まで連覇ってあるの?」

「さあ?聞いたことないけど。というか、普通は一回最優秀をとると、翌年からは参加しないから」

「そうなの?知らなかったわ」


 歴代受賞者の欲のなさが、意外を通り越して不思議に感じた。てっきり「もらえる賞はなんでも貰っておけ」という人たちばかりが集まっている学校だと思っていたのに。


「副賞があるとはいえ、コンクールへの参加そのもので成績が上がるわけじゃないし、夏休みを返上してまでやる意味はないからね。だったらその時間で好きなことをしたり、気分転換に他の芸術に触れてもいい。その方が得るものも多いと思うよ」

「そういうこと」


 ということは、コンクール不参加の私は、大部分のスケジュールが空白になる。原画展にも行けるかも?いや、セツナを置いて行く程じゃないわね。


 コンクールの代わりになにをしようか。


 私はもうすぐはじまる夏休みに思いを馳せた。



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