過去14 終わりの始まり④
紗夜ちゃんを帰すと、私はカーディガンを羽織り、理央の肩へ頭を乗せた。
あれから急に陽が落ち、真っ暗になった部屋に真由が間接照明をつけていく。
「熱、下がらないわね……」
体温計を確認しながら、理央がため息を漏らす。まだ熱が上がるようなことがあれば、すぐに連絡するようにと紗夜ちゃんから強く言われ、少し焦っているようだ。
「心美、薬飲む前に食堂からうどん持ってきてあげるね」
相変わらず寒気は治らないけど、アイスのお陰で食欲が湧いた。笑顔で頷くと、真由も笑顔になる。
可愛い、と心の中で呟く。
こんな可愛い子、理央になんて勿体無い。
すると二人きりになった部屋で、理央が急に笑い出した。
「今、私に真由なんて勿体無いって思ったでしょう」
理央の肩が小刻みに震えて、頭が痛い。
「ま、確かに勿体無いわね、私にあんな子」
「どこまでいったの、真由と」
思いのほか力なく具合の悪そうな自分の声に、情けなくなる。
「結婚式をやる場所の候補くらいは出てるわよ」
「どこ」
「それは招待状が届くまでのお楽しみ」
「あー、えっとさー、その日、どうしても外せない用事があってさ……」
「家族なんて誰も呼ばないんだから、あんたのことは首輪をつけてでも連れてくわよ」
「そう。玲央の嫉妬が目に見えるわねー」
今の言葉で、理央の肩の震えが途端に収まる。
いけないいけない、そこは地雷だったか。
「ウエディングドレスは真由に譲りなさいよ。あなたは大人しくタキシード」
「分かってるわよ」
「ところでさ、なんで理央までいるの?ここ、男子禁制の女の園なんだけど」
「許可は取ってあるわ。消灯時間までには必ず部屋に戻ることと、廊下は必ず真由と歩くことって厳命つきでね」
「緩いねぇ、ここの校則は」
「ちゃんと言ったわよ。私たち兄妹だって。先生たちも事情は知ってたみたいで、すぐに話は通ったわ」
「そっか」
そうだ。柊平くんだって知っていた。確か春頃、どうして家を出たのかと聞かれた。
あの時は言えなかった。身の回りにあるもの全部、この手でぶち壊さなきゃ前に進めなかったと。結果として唯一私に残ったのが、この風変わりな兄だ。
「あんたが私のこと幼馴染って言いふらしてるから、先輩たちに二股かって騒がれたんだからね!」
「その方が都合がいいからね」
「全く、あんたは昔から私に迷惑かける天才なんだから」
そんな風に久々に二人きりのお喋りをしていると、真由が三人分の食事を持って帰ってきた。
味のしないうどんを半分まで食べると、横になりながら二人の食事が終わるのを待つ。終わったところで再び起き上がると、質問をされる前に私の方から話しだした。
柊平くんに収蔵庫へ連れて行ってもらったこと、そこで昔の恋人の絵を見せてもらったこと、たまたま行った夜の部室で柊平くんに会ったこと、そこで泣いていたこと、あと一年と呟いたこと。
二人には珍しく、一言も遮ることなく黙って最後まで聞いていた。
「それって、一年後に死ぬってこと?」
「まさか!その宇野茉莉子さん?を弔っていただけでしょう!」
真由の言葉を、理央が強く否定する。
「それに『この人生』って言ってたんでしょう?教師人生のことかもしれないじゃない」
しかし理央も自分の主張に自信が持てないのか、語尾が聞き取れないほど小さくなる。
「それなら柊平くん、この学校辞めちゃうってこと?」
真由が悲しそうな顔をして理央を見る。
「現実的に考えて、恋人が事故で亡くなったからって、自分まで死ぬのは考えられないわよ。だって、もう亡くなった人の名前すら受け継がれないほど昔のことよ?それに柊平くん、いつもあんなに楽しそうにしてるのに……今さら死ぬなんて……」
部屋に重い沈黙が落ちる。
「それとさ、もう一つ」
私の小さな声に、二人の視線が刺さる。
「柊平くんの作品に『刹那』っていう名前の絵があった」
「刹那?」
「たまたまだとは思うんだけど、注意して見てると、どうしても似て見えてくるんだよね。セツナと柊平くん」
「なにそれ。セツナが柊平くんの息子だって言いたいの?それはさすがに話が飛躍しすぎよ」
「うん。自分でもそうだと思う」
でもやっぱり、目元とか唇の形がよく似てるんだ。親子じゃないとしても、どうしたってとても近いところに二人の繋がりがあるように感じてしまう。
「あなた今風邪ひいてるし、少し敏感になってるのよ。とにかく今はしっかり眠って。頭も体も本調子に戻ったら考えましょう」
理央から薬を手渡されると、私はそれを飲んでまた眠りについた。
それから私は風邪をこじらせ続け、やっと学校生活に復帰できたのは七日も後のことだった。
休んでいる間に一度、課題制作の為に部室へ顔を出したものの、運悪く柊平くんは不在で、私は雪だるま式に不安が募っていく衝動を抑えるのに必死だった。
やっと柊平くんの顔を見れたのはバレンタインデー当日。美術部伝統のレシピで作ったクッキーを柊平くんに渡すと、その場で食べてくれて、美味しいと笑ってくれた。それはまるで、あの夜のことが夢だったような、いつも通りの穏やかな柊平くんだった。




