過去14 終わりの始まり③
十分後、息を荒げて到着した紗夜ちゃんに柊平くんを預けると、私は二人を残して足早に寮へ帰った。
取りに行くと言っていたはずのペンケースを持っていないことに真由が訝しがったが、私は説明もそこそこに真っ直ぐ布団へ潜り込む。
手足が氷のように冷たい。束の間、丸まって寒さに耐えると、私の意識はすっと夢の世界へと導かれた。
翌朝、揺り起こされて目を開けると、目の前に理央の顔があった。男子禁制の女子寮に理央がいるとは何事だと言うよりも先に、怒った顔をした理央に何事だと問いただされた。
「心美、どうしたの。真由、一晩中心配してたのよ?」
「え?」
真由のベッドに視線を移すと、当の本人は両手を握って心配そうにこちらを見ている。
ベッドから体を起こすと、全身の倦怠感が酷くて驚いた。それと同時に、ぽとりと濡れた布が布団に落ちる。
「単なる風邪だと思うけど、念のため保健の先生呼んだから。ちゃんと診てもらって」
私は話が分からず、理央の顔を見る。
「あなた、顔真っ赤よ?熱があるから今日は休み!分かった?」
「う、うん」
否応なしに横にさせられると、理央は先生を迎えに行くと言って出て行った。
「心美、大丈夫?」
まだ部屋着のままの真由が、近寄って私の顔を覗く。
「うん、全然平気。ちょっと怠いだけだよ」
「昨日の夜、何かあった?」
「うーん、えっと……」
私は夢か現実か曖昧になりつつある、昨日の記憶を手繰り寄せる。
『この人生も、あと一年か 』
少しばかり風の音はあったけど、柊平くんは確かにそう言っていた。あんなの、まるで一年後には死んでしまうかの様な言い草だ。
「心美、私も今日は学校休んでここにいるよ」
「私なら大丈夫だから」
「大丈夫じゃないよ。帰ってきたとき、普通の顔じゃなかった。何があったのか話してくれなくていいから、ここにいる」
今にも泣きだしそうな真由に、私は腕を伸ばして頭を撫でた。
「本当に大丈夫。ちょっと考え事したいから一人になりたい。真由が帰ったら、昨日のこともちゃんと話すから」
私の言葉に真由が素直に頷くと、部屋のドアが開いて、理央に連れられた流川先生が入ってきた。
流川先生から貰った薬は睡眠薬かというくらいよく効いて、私はそこから夕方まで、一度も起きることなく眠り続けた。
次に目を覚ますと紗夜ちゃんがベッドサイドにいて、ちょうど額の冷却シートを貼り替えてくれているところだった。
「あ、ごめんね、冷たくて起こしちゃった?」
「大丈夫。ありがとう」
起きて水を飲ませてもらうと、気分も幾分すっきりした。紗夜ちゃんが私の耳に機械を差し込んで体温を測る。熱はまだ高い。
「アイス持ってきたよ。食べる?」
「うん」
体温計が示す数字ほど重症ではないと自覚しつつも、カップの内側のフィルムを開ける力もなく、それも紗夜ちゃんが取ってくれた。
見つめられながらでは食べにくいだろうと、気を利かせて場所を移動してくれた紗夜ちゃんと、ベッドルームから一緒に窓の外を見る。
夕日が部屋を赤く照らして、部屋の中はセピア色。まるで古いアルバムの中にいるかのように、全てが遠い記憶に思えてくるのは、熱のせいだろうか。
「真由ちゃん、授業が終わったらすぐに戻るって言ってたから、もう少しで着くと思うよ」
紗夜ちゃんから発せられる柔らかな声に、なぜか突然頭が働きだす。そういえば紗夜ちゃんに聞かねばならないことがたくさんあったんだ。
「紗夜ちゃん、あの後どうだった?」
「え、ああ」
今はそんなこと心配してる場合じゃないでしょう、とでも言いたそうな顔をしている紗夜ちゃんの顔を、私は半ば睨むように見る。観念したのか、窓の外を見ながら簡潔に教えてくれた。
「あの後すぐ職員寮へ連れて行って、熱いコーヒーを飲ませたら落ち着いてくれたよ。今もう大丈夫」
「紗夜ちゃんは柊平くんのこと、どこまで知ってるの?」
「どこまでって?」
質問しているのに私を見ようとしない紗夜ちゃんに、無性に腹が立った。昨日はわざわざ緊急時に呼んであげたというのに、腹の内を見せる気はまるでないということか。
「たまに会ってるんでしょう?柊平くんから紗夜ちゃんの匂いがする時がある」
ああ、なんて子供っぽくて安い女のような言い回しだろう。高熱のせいだとしても、自分で自分が嫌になる。でも仕方ない。今は道を選んでいる余裕はない。
「柊平くんと昔話とかしないの?例えば、宇野さんのこととか……」
そこで紗夜ちゃんの体が微動したのが分かった。
「知ってたの?」
呟いた紗夜ちゃんが、顔面蒼白になってこちらを振り返る。
クリティカルヒットか。
「心美ちゃん、どうして宇野さんのこと知ってるの?」
「柊平くんから聞いた。昔つき合ってたって。部室の外階段から落ちて亡くなったのも、宇野さんだよね」
動揺している紗夜ちゃんに、ここぞとばかりに事の真相を聞こうとした時、タイミング悪く玄関のドアが開いて、真由と理央が入ってきてしまった。
紗夜ちゃんが逃げるように腰を上げようとしたから、私は静止させるべく話を続けた。
「柊平くんが宇野さんの後を追おうとしてること、紗夜ちゃんは知ってるの?」
紗夜ちゃんの足がピタリと止まる。
ベッドルームに入ってきた二人が、異様な雰囲気に気圧されて私たちを黙って見つめる。
「知らないわ。私はなにも知らない。藤堂先生とも、別に特別な間柄じゃない。誤解しないで」
「宇野さんのことを聞けるくらいの間柄でしょう?」
「宇野さんとはちょっとした知り合いだったの。それだけ」
「紗夜ちゃんが本当のことを教えてくれなきゃ、柊平くんを助けられない!」
「なに、ちょっと、どうしたの?二人とも!」
間に立った理央の不安気な声が、夕闇に沈みそうなベッドルームに響いた。




