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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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過去14 終わりの始まり②



「食べないの?」


 近づいて声をかけると、セツナはふいとそっぽを向いてしまう。


「柊平くん、面倒くさいって言って簡単な料理しかしないはずなのに、カツサンドだけはよく作るよね」

「そうなんだ」


 私はセツナの横顔をじっと見る。


 似てるな……と思った。


 ……誰に?


「お腹空いてるなら、カツサンド貰って食べたら?」

「今日はよく喋るね」

「そう?」


 居心地悪そうに私から少し離れて椅子に座ると、セツナは頬杖をついて窓の外を見はじめてしまった。後ろでは丁度バースデーケーキが入室してくるところで、ケーキを作った真由と理央がみんなから大歓声で迎えられている。


「ケーキも食べないつもり?あの二人、セツナの為に気合い入れて作ったみたいだけど」

「そういうの、苦手なんだよね」


 いつになく不機嫌なセツナに、真由と理央の気持ちが無駄になったと落胆せざるを得ない。昨日はあれから三人で図書室へ行って、夜遅くまでセツナが好きそうなケーキのレシピを探したのに。ほらね、だから止めておけと言ったのだ。


 きゃあきゃあと騒いでいる中から、セツナを呼ぶ声がする。


「ほら、セツナ!早く来てみんなと一緒にローソク消せって!」


 楽しそうな部員たちの声を背に、セツナは心底嫌そうな顔をして立ち上がる。もしやこのまま帰るつもりじゃないだろうか?


 子供か……と言いたいところを「おめでとう、セツナ」と祝福すると「めでたくなんてないよ」とすれ違い様、セツナの暗い声が耳に届いた。


 大儀そうに双葉先輩の横でローソクを消すセツナを見て、人のことは言えないが、随分と面倒な性格に生まれてしまったものだと可哀想になった。



 その日の夜。


 課題に取り掛かろうとした矢先、アトリエに鉛筆用のペンケースを忘れたことに気づいた私は、一緒に行くと言い張る真由を置いて一人寮から抜け出した。


 夜道で腕時計を見る。良かった、この時間ならまだ柊平くんがいるかもしれない。


 別に今夜中に片づけなければならない課題でもないけれど、なんだか今日は胸騒ぎがした。


 どうしても今日中に取りに行かねばならない気がする。そう思った時は、そうした方がいいと今までの経験が証明していた。


 私は胸に漠然とした不安を抱えつつ、無駄足にならないように祈りながら、厳しい冷え込みの中を小走りで部室へ向かった。


 部室に近づくと、漆黒の闇に宝石を撒き散らしたかのような夜空が頭上に広がっていることに気がつき、私は白い息を吐きながらそれを仰いだ。この辺の星空の美しさにはもう慣れていたけど、今日は格別に光り輝いている。寒いような暑いような体は多少の不快感があるけど、この星の瞬きには思わず笑顔になった。


 空を見上げながら外階段の下へ行くと、階段の上でうずくまる誰かの姿を見つけ、私は思わず立ち止まる。


『ずっと昔、外階段から転落して亡くなった生徒がいるんだ』


 突然頭に再生された先輩の言葉に、私は無意識に一歩後退した。


 こんな時間に誰だろう。


 暗闇の中、よく目をこらすと、それが誰なのかすぐに分かった。


 私は足音を消して階段を上がる。


「この人生も、あと一年か……」


 腕の中に顔を突っ伏して、泣いているかのようなか細い声を出す柊平くんの頭に、私はそっと手袋を外した手を置く。それに驚いたのか、顔を上げた柊平くんの左目から一粒の涙が流れたのを、私は見逃さなかった。


「柊平くん?」


 驚いた顔のまま何も言いださない柊平くんの頭を、私はどうしてか胸に抱えた。


「こんなところにいたら、風邪ひいちゃうよ」


 そんな月並みな言葉しか出てこなかったのは、その涙を受け止める自信がすぐには持てなかったからだろうか。


「ごめん……」


 相変わらずくぐもった声で、柊平くんは私の袖をきつく掴む。


「ごめん、もう大丈夫だから」

「柊平くん……」


 明らかに怯えている柊平くんの目が、伸びた前髪から覗く。


 なんでこんな時間に、こんな場所で泣いてるの……?


 記憶を早戻ししながら、考えうる理由を探っていくと、私は収蔵庫で見た、一枚の絵の前で記憶を停止させた。


「まさか、ここから落ちた人って……」


 私の嫌な予感は、胸騒ぎよりよく当たる。


 それが今日ほど辛いことはなかった。


 口をつぐむことも今ならできる。でもそうできないのは、柊平くんの言葉で私の心にきつく蔓が絡みついたから。


「もしかして、宇野さん?」


 柊平くんの目が見開いて、私の目をじっと見る。


 私は足元から階段に沈み込んでいくような感覚に陥った。いつかの冬、ここから落ちて死んでいったのは、柊平くんの恋人だったのか。


 きっと鏡合わせのように同じ目をしている私たちの間に、頬の皮膚が千切れるような冷たい風が吹き抜けていく。


「柊平くん、今度は私が守ってあげるよ」


 階段の下から吹き上げられる風は私の背中で方向を変え、結んでいない髪がそれに巻き上げられる。背中は凍えそうだけど、柊平くんの胸元にぶつかるよりは全然マシだ。


「だから、こんなところにいちゃだめ」


 私は震える手でポケットを探ると、番号を登録してからはじめて、その人にコールをした。




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