過去14 終わりの始まり
今年はクリスマスも年越しも柊平くんのところで過ごした。
部室へ入り浸っていたという意味じゃない。文字通り、柊平くんの家に転がり込んでいた。
「柊平くん、朝だよ。ご飯できた」
「うーん、あと五分……」
「今朝も雪凄いよ。早く食べて雪かきしなきゃ」
「やっといて……心美の方が元気そうだから……」
「いーや!」
この家では、朝ごはんが出来上がる直前に柊平くんを起こしに行くのがお決まりで、私はこんな新妻のようなことを、冬休みの間の十何日か毎朝欠かさずにやっていた。
「ほら、早くしないと車が雪で埋まっちゃうよ。そしたら買い出しに行けなくて、夕飯なしだよ?」
「んー、理央は?か、梅原……」
「理央?梅原?……誰よそれ」
この穏やかで幸せな生活に一つケチがつくとしたら、転がり込んでいたのは私一人じゃなかったということ。
冬休みがはじまる直前、隠れて荷造りしていた姿を目ざとい真由に見つかり、止める間もなく真由と理央もついて来てしまったのだ。
計画が崩れてむくれる私へ「最初から三人で来るって話だったじゃない」と言う柊平くんの言葉に、二人が「聞いてない!」と大ブーイングをしたのが、今から約一ヶ月前のこと。結果としてはここに卒業制作に著しい遅れが出ていた梅原部長も加わり、計五人の無駄に賑やかな年越しとなった。
「ああ!体重が落ちないよー!」
夕食後に寮の部屋へ戻ると、体重計に乗っているであろう真由の絶叫が聞こえ、バスルームを見る。私の気配を察したのか、バスタオル姿の真由が真っ青な顔でドアを開け、「どうしよう、五キロも太った!」と半ベソで訴えてきた。
「真由、明らかに顔が丸くなったもんね」
「ヤバいよヤバいよっ、どうしよう!」
「確かに出川そっくり」
崩れ落ちる真由を一瞥して、私は窓から外を見る。辺りの森は一面真っ白で、もう充分だというのにしつこく雪が降り続いていた。
暖かい時期はこの時間になると必ず窓を開けて換気をしていたけど、今や外はマイナスの極寒世界。開けたら一瞬で室内ごと凍りついてしまいそうだ。
「心美はいいよね、太らなくって」
「太りたくても太れなかったの。私が食べようとすると、もう殆ど残ってないんだもん」
「心美のご飯は本当に美味しいからね」
女子力をフルに発揮したモコモコのパジャマに着替えて戻ってきた真由が、さっそく上着を脱いでベッドの上で腹筋をしだす。そのやる気に足首でも押さえてやろうかと腰を上げたのに、僅か数秒で「あー、アイス食べたい」と呟いた真由に、私は思わず吹き出した。
「ねぇ心美、明日ってセツナの誕生日だよね?プレゼントどうする?」
両膝を立てたまま、真由が私を見る。
「セツナは人付き合いが嫌いだから、貰っても迷惑するだけでしょう」
「ケーキでも焼いてあげようかって、さっき理央と話してたんだ」
「だったら二人で作ってプレゼントしたら?」
「心美つれないね。最近ずっとそう」
ゴロンとうつ伏せになりながら、真由が怒った顔で私を見る。
「気を使ってあげてるんでしょう?付き合いたてなんだから、二人にしてあげようって」
「そういうのいいよ。三人でいた方が楽しいもん」
「……もう倦怠期なの?」
私も真由に倣ってベッドに横になる。
天井に伸びる影のグラデーションを眺めながら、空想のキャンバスに同じように色をのせていく。
「心美は馬淵さんとはもう別れたの?」
「こっちに来るにあたって別れるとかっていう話はしてないけど、向こうはもう新しい彼女がいるだろうね」
「嫌じゃないの?」
「向こうに彼女ができて?別に。そこまで本気じゃないもん」
「ほぼ毎日デートしてたのに?なんか勿体無い。馬淵さん、優しい人だったよね。私にもドーナツくれたりしたし」
「ドーナツ一つで優しいって思っちゃうの?理央も大変だね」
「いい人だったよ。心美が連れてる人は、みんないい人だった」
そんな風に真由から言われて、最初に付き合った人から最後に付き合った馬淵まで、一通りの顔を思い出してみる。
中学の三年間で友達以上の関係になったのは全部で六人。いずれの男も愛していたかと聞かれると、別に愛だの恋だのはなかったように思う。
向こうが望んだから恋人というポジションになっていたけど、こちらとしては更地から関係を構築していくことが楽しいだけで、大部分を理解してくると途端に興味を失ってしまう。我ながら身勝手だと思うけど、そんな風に異性の心を弄んでいた三年間だった。
馬淵は元気だろうか。そんなことすら思わない、桜の花びらよりも軽い思い出だ。
「柊平くんとは?付き合ってるの?」
真由の問いに、否定するより先に鼻で笑ってしまった。
「柊平くんと私が?ないない」
「いつも一緒じゃん。端から見ると恋人みたい」
恋人みたい?
まず電話番号すら知らない人とは、恋人以前に友達でもないのに。
「興味があるからそばにいるだけだよ。恋愛感情じゃない。それに、あの人は無理だと思うよ」
「……なにが?」
「宇野茉莉子以外を愛すること」
空はすっきり晴れていて、どこまでも見渡せる澄んだ空気の中、太陽を追いやった端から星々が瞬きはじめる。
放課後、「今日はこれから補習がある」なんていかにも口実っぽい嘘を言い出すセツナをアトリエに引きずり込むと、月末恒例のお誕生会がはじまった。
美術部はその月に誕生日を迎えた部員の誕生日会を毎月末に開いていて、今月はセツナと、双葉先輩をはじめとした四人の先輩が主役だった。残念ながら柊平くんも紗夜ちゃんも急な職員会議で来られなかったけど、部員はほぼ全員揃っている。
「と、言うことは……やっぱりね」
窓の外に目を向けると、美術部員である各学年の上位陣が一同に集まっているとあって、案の定 “美術部オタク” たちがカメラを構えてこちらの様子を盗み見いていた。これも誕生日会によく見られる光景で、最初は気味が悪かったが、今ではもうすっかり慣れてしまった。
しかしこの寒い中よく頑張るものだ。そんな時間があるなら、デッサンの練習でもした方がよっぽど自分の為なのに。
「まりこ会といいセツナといい、月末生まれはタイムリーに祝ってもらえていいよなー。俺なんて二日生まれだから、忘れた頃に「おめでとー」だよ」
副部長がそう文句を言って、暑いくらいの部屋で氷の入ったアイスティーを飲み干す。
「言ってもらえるだけ幸せだろ?」などと、なんやかんやと言い合っている輪から距離を置いているセツナを見ると、一人でじっとカツサンドを睨んでいた。




