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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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現在1 心美31歳/春②


 このログハウスは面積の約半分が吹き抜けになっているので、二階へ上がっても一階の様子がよく分かる。


 私たちは手摺に体を預けて、二階から一階を観察した。


「なんだか見るほどに昔のままね。カビの匂いもしないし、まるで今さっき換気したみたい」


 理央がぐるりと首を回して家の中を見渡す。


 これで私たちが制服を着ていれば、十五年前と何ら変わらない光景だ。


 まだ私は高校生で、先生も生きている。


 夢幻のような、あの時代。


「なんだか今にも……」


 真由がそこまで言ったところで、私は手摺から体を離して真後ろの廊下へ向かった。このログハウスは吹き抜け部分を除けば、一階も二階も中央を通るように廊下が伸びていて、左右に部屋が設けられている。


「ここも変わらずか……」


 後ろから追いかけてきた理央が呟く。


 木目が剥き出しの壁もドアも、はやり当時のままツヤを出して綺麗に管理されている。十五年間ずっと空き家のままだと思っていたのに、最近まで誰かが住んでいたのかもしれない。


 私は廊下の左右にふたつずつあるドアの、左奥のドアの前で立ち止まった。


「誰かが待っているなら、ここしかない」


 断言する。この部屋はかつて私たちが絵を描いていた部屋だ。あの奇妙な手紙の差出人がいるのなら、きっとこの部屋のはず。


 あえてノックはせず、私は勢いよくドアを開けた。


「あ、れ?」


 余計なものがなにもないガラリとした洋間は、開け放たれた窓から風が入り、レースカーテンが静かに揺れていた。ほのかに油絵の具の香りがするのは、絶対に気のせいではない。


「誰もいない……よね?」


 春の柔らかな陽の射す部屋には、誰の姿もなかった。


 予想は大きく外れたらしい。


「でも、あれ……」


 真由の指差す方を見ると、部屋の奥にあるガラステーブルにティーセットが置かれていた。


 カップは三つ。


「違う部屋にいるとか?」


 真由の言葉を聞き終えるより前に、私は一階へ駆け出した。



 それから約十五分後。


 ログハウス中を走り回って息を切らした私は、窓際の籐の椅子に座りながら信じられない光景を目の当たりにしていた。


「心美、勝手にうろちょろしたら危ないわよ」


 湯気の立つティーカップを私の前へ置きながら、理央が真顔で注意してくる。


「そうそう。変な人に襲われたら大変だよ」


 理央の横で、真由は淹れたての紅茶を一口飲む。ソーサーの傍らには、星形のクッキーまで添えてある始末だ。


「そんなことを言うなら、誰が用意したかも分からないお茶を飲む方がよっぽど危ないよ!」


 私が全速力で全ての部屋を確認したあと、裏庭の物置小屋まで誰かいないか走り、やっと二階の部屋へ戻ってきたと思ったら、二人して呑気にお茶の準備をしていたのだ。


 この危機感のなさに、呆れて物も言えない。


「悪い人が用意したわけじゃないと思うよ?クッキーも星形だしさ。これって美術部名物のやつじゃん。それと…」


 そう言いながら真由はおもむろに鞄から手紙を取り出す。私は嫌でもその手紙に注視せざるを得なかった。


「心美も理央も、この手紙が届いたから今日ここへ来たんだよね?」


 テーブルに置かれたその手紙は、私のところへ来たものと同じ封筒と便箋だった。書いてある内容も全く同じで、送り主の名前はなし。手書きだったが、筆跡に見覚えはない。しかし、書かれた内容からして、過去の私たちとかなり近しい人間が送ったということだけは確かだった。


 そう、私が今日ここへ来た理由は、この手紙が送られてきたからだ。


「私ね、今、四国に住んでるの。私の住所を知ってる人なんてかなり限られてると思うんだよね。例えば、ここの理事長とか…」

「私のも、事務所じゃなく直接自宅へ届いたわ」


 理央も自分の手紙をテーブルに置く。


 それに倣い、私もポケットから手紙を取り出した。


「私のところへは、旧姓で届いた」


 テーブルには同じ手紙が三通。


 宛名以外は、切手の絵柄まで全て同じだった。


「待って、旧姓って……心美、まさか結婚してるの!?」


 理央が目を見開いて立ち上がる。


「そういえば心美、さっき娘がどうこうって言ってたよね?」

「娘!?あんた、娘がいるの!?なんでそんな大事なこと今まで黙ってるの!」


 相変わらず理央のアクションのオーバーなこと。


 私はここだけ話を脱線させ、驚かせるつもりはなかった……と、携帯電話の中に保存されている娘の写真を二人に見せた。


 理央が私の手から携帯を奪い取ると、二人とも食い入るように画面を覗きこむ。


「なんだか心美を通り越して理央に似てるね」

「ええ、そう?私こんなに綺麗な二重じゃないわよ」

「でも口許とかもさぁ~」

「ちょっと真由、やめてよ、父親似で通ってるんだから」

 心外なことを言われた私は、二人から携帯を取り上げる。

「そんなことより手紙のことでしょ?」

「差出人より、あなたの娘の方がよっぽど興味があるんだけど……」


 理央が不服そうに睨む。


「追々話すから、今は手紙!」


 念のため紅茶に混入された毒が体中を回るよりも早く、二人には事情を聞いておかねばならない。今はそれが最優先だ。



【十四年前のことで、どうしてもお伝えしなければならないことがあります。来週の土曜日、あのログハウスまでお越しください。今までもこれからも、あなたの秘密は厳守します。】



 三人の話しから、私たちの現在地を知っている可能性があるのは、ここの高校の理事長だけであることが分かった。


 しかし理事長が私たちへこんな手紙を書く理由が分からな

いし、なぜ差出人を伏せたのかも謎だ。仮に本当に理事長だとしたら、何故、私たちの秘密を守る必要がある?学校の評判の為?ならば、わざわざ昔の話しを掘り起こすことはない。今まで通り黙っていればいいのだ。


「この文面だとさ、十四年前のことって藤堂先生のことだよね?」


 真由が不安そうに言う。


 藤堂先生。私たち美術部の顧問だった、藤堂先生。その懐かしい響きに、胸がきつく締めつけられた。それなりの覚悟をしてここへ来たはずなのに、どっと現実が押し寄せて、とっさに耳を塞いで帰りたい衝動に駆られる。


 自らが生み出した妄想でも夢でもない。確かにここで存在していた、彼の名前。


「そうでしょうね。でもその前に、どうしても二人に言っておかなきゃいけないことがあるの」


 椅子に浅く腰掛けていた理央が前のめりになり、顎の前で手を組む。


「柳沢刹那が死んだわ」


 私と真由は、はっとして理央を見る。


 柳沢刹那とは、私たち三人のクラスメイトであり、美術部員でもあった学年一の秀才だ。


 身近だった人の死に、頭のなかで警戒音が鳴る。


「先週ね、警察がうちに来たの。なにかと思ったらセツナの遺体を確認しろって。死因は転落死で自殺だったんだけど、身内を探しても誰もいなくて、代わりにセツナの手帳に名前が書いてあった私のところへ来たみたい。手帳にはね、私の自宅の住所と電話番号まで書いてあったんだって。どうしてセツナは私の連絡先を知っていたのかしら……」

「じゃあセツナがこの手紙を?」


 私が聞く。


「いいえ。手帳には私の名前しかなかったから、心美と真由のところへは手紙を出せないはず。それとね」


 理央の大くて華奢な手がテーブルに落ちる。


「セツナと一緒に亡くなった女性がいたらしいわ。どうやら二人は同棲してたみたいなんだけど、その時点で女性の身元の特定になるような物はなにも見つかってなかったみたいなの。だからね、女性の方も確認して欲しいって言われたんだけど、セツナとは卒業以来一度も会ってないし、きっと知らない人だからって断ったのよ」


 セツナが同棲していた彼女と自殺をした。


 彼女の素性は分からない。


 そして、私さえ知らなかった理央の住所をセツナは知っていた。


 今回のこの手紙と、何か関係があるのだろうか。


「それと、もう一つだけ」


 私はテーブルに落としていた視線を再び理央に向ける。理央は私と目が合うと、すぐに違う方へ目線をずらした。この人、まだ何か爆弾を抱えているらしい。


「セツナは、藤堂先生の息子だったみたいなの。それに母親は……」

「茉莉子さん」


 自分でも驚くくらい、私ははっりとその名前を口にする。


「そう、茉莉子さん。まさか二人の間に子供がいたなんて。しかもその子がセツナだったなんて。私、今まで知らなかったわ」


 理央がふっとため息を吐く。真由はなかなか衝撃的な真実に頭が追いつかないのか、黙って外の木々を見つめている。


 いまだ二人に苦しむ様子は窺えないので、どうやら紅茶に毒は入っていなかったらしい。そんなことを思ったのと同時に、ざっと強い風が吹き込んで三人の髪を掻き上げた。


 それが合図になって、私はついに口を開く。


「自殺したセツナの父親は、私が殺した藤堂先生だったのね」



 藤堂先生。



 声帯に響く甘美な音。


 ずっと記憶の奥深くに隠していた、大切な名前。


 私がかつて、本気で愛した人。



 長く長い月日を越え、再来の風は私の首元を優しく撫でた。



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