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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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過去11 宵星は決意と共に③


 スポットライトがステージを照らすと雑音は一気に消え、光の中心にいる理事長が、シンと静まり返った会場に向かって深々と一礼をする。沸き起こった万雷の拍手の中で再び顔を上げると、理事長は場の空気を読んで少しばかりの挨拶をし、その後すぐに呼び寄せた校長先生に、マイクを手渡した。


 ほんの僅か、体育館が明るくなる。


 正面のスクリーンに写し出されたステージには、すでに赤い布が掛けられた三つの作品がイーゼルに置かれ、今か今かと面前に晒される時を待っていた。


「皆様、大変お待たせいたしました。それではこれより、本年度、校内コンクール最優秀賞を発表いたします」


 その場にいる全員が固唾を呑む中、校長先生は手前の布に手をかけると、それを勢いよく振り上げる。


「一年生の部、最優秀賞、一年三組柊理央。テーマ《そら》タイトル『暁』」


 まず一同の目に入ってきたのは、濃紺から明るいオレンジにかかる、見事なグラデーション。上部に描かれた夜の空には、すぐ向こうに広大な宇宙が透き通って見えるかのような奥行きが、巧妙に描かれていた。


 昇る朝日に、輝く砂浜に、その余りにも美しい世界が、この地球であることを知らされる。


 真っ先に『創世』という言葉が出てくるほどに、それは穢れなく、たった今生まれたばかりのような星の姿をしていた。


「綺麗……」


 どうしたって目を奪われる、この星で一番、尊い瞬間。


 そこかしこから、感嘆のため息がもれる。


 私は今にも前に向かって歩き出しそうな足をなんとか留めさせ、一心不乱にその絵を目に焼きつけた。


 これが理央の夜明け。


 私の知らない、理央の空。


「柊さん 、確かあなたのご兄弟ね」


 前の椅子に座るおばあちゃんが、嬉しそうに隣の心美に顔を寄せる。その言葉に、心美はステージを見つめたまま冷静に返す。


「いいえ。単なる幼なじみです」

「あら?確か……」


 おばあちゃんがそう言いかけたところで、ステージ横の階段辺りから物音が聞こえ、次の瞬間、制止を振り切って誰かが壇上に上がってきた。その人物は驚いた顔をしている校長先生から無理矢理マイクを奪うと、即座にスポットライトの中に入り込む。


 光を浴びたのは、きっちりネクタイを締め、ブレザーを着込んだ理央だった。


「コホン。えー、どうも、ただ今ご紹介にあずかりました、一年三組、柊理央でございます。この場をお借りして、一言だけ感謝の言葉を述べさせてください」


 驚きから呆れ顔に変わった校長先生が、理央を下ろしに壇上へ上がろうとする先生たちを手で止める。予期せぬアクシデントに、周りは何だ何だと興奮気味だ。


「紗夜ちゃーん!!聞いてるー?わたし、一等賞だって!この金メダルは、今まで迷惑かけっぱなしだった、担任の紗夜ちゃんに捧げまーす!!」


 キャットウォークの照明機材に向かって両手を振る理央に、会場中からどっと拍手と歓声が起きる。きっと紗夜ちゃんは、この会場のどこかで顔を真っ赤にして握りこぶしを作っていることだろう。


 優しく拍手を送るおばあちゃんに向かって、心美が再度「あれは他人です」と言うと、発表は滞りなく二年生へと移っていった。



 文化祭の全行程を終え、名残惜しそうに車に乗る込むおばあちゃんたちを見送ると、私は心美と共に部室へ向かった。


 来場者のために開放していたアトリエには、文化祭の残骸が無惨にも散らばっていて、それを柊平くんがうんざりした顔で眺めている。


 私は柊平くんの前へ立つと、まずは頭を下げた。


「祖父に案内状を送って頂いたみたいで、ありがとうございました」

「お節介だけどね。会いたいと思われているなら、会えるときに会ってあげた方がいいと思って」

「はい。とても喜んでもらえました」

「あとこれ、下で食べておいで」

「わあ、いい匂い!」

「僕が作ったやつだから、あんまり期待しないでね」


 柊平くんからの不意打ちの差し入れで、カツサンドの入った紙袋を受け取ると、すぐに一階の講義室へ行き、心美と一緒にそれを頬張った。サクサクのカツとパンは温かくて、きっと私たちが来る頃を見計らって温めてくれたんだろうと、更に気持ちが暖かくなる。空腹のあまり二人とも無言で食べ終えると、最後にお茶を飲んで、やっとひと息ついた。


「はぁ。美味しかったー!生き返ったよー」

「朝から働き詰めだったもんね。真由のとこが一番大変だったから」

「高校生になってもくじ運ないね、私」


 窓の外は暗くなりはじめていて、辺りを歩く人もかなり少なくなってきてる。


「心美、後夜祭は行く?」

「行きたいところだけど、ここの掃除しないとね。明日もアトリエ使うから、今夜中に元に戻すって」

「手伝う?」

「ううん、大丈夫。あとで部長も来ることになってるし、被害に遭ったのはアトリエだけだから」

「そっか」


 私はこれからどうしようか。もうヘトヘトだし、キャンプファイヤーは諦めて寮に戻って休もうか。


 ポケットから取り出した携帯の未読メッセージは全部で七件。実行委員からの労いの言葉と、あとの五件は先輩や同級生たちから理央への祝福の言伝だった。


 理央は今頃、あの派手な人たちと騒いでるに違いない。なんて言ったって今日の主役だ。きっと輪の中心で、お祭り騒ぎに巻き込まれてることだろう。


「そうだ。さっき柊平くんから聞いたんだけどさ」


 ペットボトルに口をつけながら、心美が何気に言う。


「理央のあの絵、真由のために描いたんだってよ」

「え……?」

「きっとセツナと見たあの夜明けを、真由に見せたかったんだろうね。まったくキザな奴」

「私に……?」


 頭で考えるよりも前に、体が動いてしまっていた。

 心美にゴミを預けると、私はそのまま体育館に向かって走りだす。私の遅い足では、もう片づけられてしまった後かもしれない。そう思いながら体育館へ入ると、まさに今、理央の絵が取り外されるところだった。


「まっ、待ってください!ちょっとだけ見せてください!」

「あら。そんなに慌ててどうしたの?今日じゃなくても、明日から職員室の前に飾るわよ?」

「どうしても、今見たくって!」


 息も絶え絶えの私に、先生たちが笑いながらスペースを空けてくれる。


 私は絵と対峙すると、水平線から昇る朝日を真正面から浴びた。


 足元が柔らかな砂浜に変わっていく。


 潮風が頬を撫でて、新しくはじまる世界に心が躍る。


 押し寄せる波と潮騒の中、横に立つ理央が

『夜明けだ……』

 と耳元で囁いた。


「ありがとうございました」


 先生たちにお礼を言うと、私はまた走り出す。


 走って、走って、寮まで着くと、そのまま階段を駆け上がる。誰もいないバルコニーに出ると、先に着いていた理央が一人で星を眺めていた。


 物音に気づいた理央がゆっくりと私に振り返り、二人の目が合う。遮るものも、邪魔をするものも、今はなにもない。


「理央……」


 どうしてこんなに声が震えるんだろう。


 この気持ちを、なんて表現すればいいんだろう。


「理央、あの絵、ちゃんとそばで見てきた」


 理央が私に近づいてくる。今朝とは違う、よく知っている理央の顔が、私を覗き込む。


 柔らかく抱き寄せられると、私は思い切り背伸びをして理央の首筋に顔を埋めた。あったかくて、優しくて、なんて安心できる場所なんだろう。


「一緒に夜明けを待とう。必ず夜は明けるから。だから、もう一人なんて思わないで。例えなにもできなくても、ずっとそばにいるから……」


 今まで長い間、ずっと気づかなかった。こんなに想われていたことも、支えられていたことも、必要だったことも。


 だから、


 この人だけは、


 この手だけは、


 絶対に離さないと、そう心に強く決めた。





真由が受信したメッセージの残りの一通は

理央からで

『後夜祭が終わったら会いたい』

でした。

ダッシュで帰った真由より先に着いていたということは、理央はそこで何時間も待ってるつもりだったのかな。

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