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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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過去9 pure heart⑤


 心美はなにも言わずに遠くを見ている。


 花火なんか通り越して、もっとずっと、遥か遠くを。


「何度か挨拶するうちに意気投合して、花火大会が終わっても二人はよく会ってたから、すぐに二人の話はおじいちゃんの耳にも入ってね、お母さんはまだ高校生だったし、お父さんはお母さんより十四歳も歳上だったから、すぐに会うのを止めなさいっておじいちゃんに強く言われたの。そこで一旦は会わなくなったんだけど、でも、どうしても諦めきれなくて、お母さんの卒業式の日に、玄関に置き手紙だけ残して、二人で遠くまで逃げちゃったの。知り合いなんていない、ずーっと遠くまで」


 四人は空を見つめる。


 並んで古いモノクロ映画でも見てるみたいに。


「二人で生活をはじめて、数年後に私が生まれた。入籍なんてしてなかったから、なんて言うの、非嫡出子?でもね、全然普通だったんだよ。お父さんは花火師を続けられてたし、お母さんも専業主婦で、他の家と同じ、普通の家族だった。夏休みはお父さんと遊べなかったけど、冬休みには遠くまで遊びに行って、誕生日もクリスマスも、いつも家族一緒だった。今じゃ信じられないくらい、完璧に幸せな毎日だったの。でもね、お父さん、私が小二の秋に、突然いなくなっちゃった……」


 私は思い出す。


 夕暮れの台所、


 お母さんの背中、


 異様な雰囲気。


「お父さんがいなくなった理由は、結局なにも分からなかった。分からないから納得もできなくて、そんな私に、もうお父さんには会えないんだよって、ごめんねって、お母さん何度も謝った。でも、本当はお母さんが一番辛かったんだよ。お父さんとはすごく仲良しで、喧嘩なんてしたことなくて、うちは仲がいい夫婦だって、近所でも有名なくらいだったから。それなのに、お母さんは泣かないで、泣いてる私のことをずっと慰めてくれた……」


 そうだった。お母さんはあの日の晩、急なことで何も手につかない状況だったはずのに、私のためにオムライスを作ってくれたんだ。


 ちゃんと卵にスマイルマークも描いてくれて、真っ赤なミニトマトをリボンみたいに添えてくれた。


「それから私たちは遠く離れた街の、小さなアパートに引っ越して、お母さんは働きに出はじめた。お母さん、毎日疲れて帰ってくるのに、いつの間にか仕事を増やして、私が絵を描くのが好きだからって、絵画教室にも通わせてくれた。私も何か手伝いたいって言ったら、お母さん、コンクールで賞を取ってって。そしたら疲れも忘れちゃうくらい嬉しいからって。だから私も真面目に、一生懸命に絵の勉強をした。おかげでなんとか小さなコンクールでなら賞を取れるようになってきて、その度にお母さんも喜んでくれて、色々あったけど、それでも私は幸せだった」


 ここで私は一呼吸置く。


 心美も深く息を吐くのが分かった。


「それなのに、お母さんまである日突然いなくなっちゃった。学校から帰ったら、家の中にはじめて会うおじいちゃんがいて、今日から真由はうちで面倒みるからって。お母さんともそういう話になってるって。私、訳が分からなかったけど……もう家の中にお母さんの荷物はなくて……」


 記憶の中で私は制服を着ている。冬だというのにコートを家に忘れて、雨が降る街を一人でふらふらと漂う。


 気がついたら学校の前にいて、理央が驚いた顔で私を見ている。ああ、まだ男子の制服を着ている理央が、とても懐かしい。


 理央は着ていたコートを私の肩にかけてくれて、それからなんとなく、私たちは並んで歩き続けた。


 体は冷たくて、でも、顔だけは熱くて。


 そこからどうなったのか、次のシーンでは家に帰っていて、うちの台所で心美が料理を作ってた。


 家の中は私と心美の他に誰もいない。私はパジャマ姿で頭にタオルをかけられて、じっと心美の動きを見つめている。


 しばらくしてテーブルに出されたのは、湯気の立つ肉じゃがと、から揚げと、卵スープ。見たら急にお腹が空いて、私は躊躇なく箸をとる。


 肉じゃがの人参を避けようとしたら、心美に無理やり口に入れられた。でもそれは全然臭くなくて、人参が苦手な私のために砂糖で甘くしてくれてたことが、お母さんの作り方と一緒で、泣くほど嬉しかった。


「その時に理解したの。お父さんの時みたいに、急にお母さんがいなくなっちゃったのは、私が甘え過ぎちゃったせいなんだって。本当は絵の勉強なんかしないで………絵なんてやめて、家で大人しく教科書を読んでれば良かったの。そうすればお母さんの負担も増えなかったのに。私が調子に乗って、私立に行きたいなんて思っちゃったから、お母さん……また知らない場所に……今度は一人で行く羽目になっちゃった……」


 光の粒が滲む。


 もう花火も終盤で、景気良く何発も同時に上がっているのに、それぞれを見分けられない。それを見兼ねた心美が、浴衣の袖を乱暴に擦りつけてくる。途端に視界がクリアになって、最後の一発は、それはそれは見事な大輪の花火だった。


「真由ちゃんも、お母さんも、もっと言えばおじいちゃんだって、誰もなにも間違ったことはしてないよ」


 花火の消えた暗がりで、柊平くんはみんなの手の中から空き缶を集めると、私の前にかがんで微笑む。


「今はまだ、思い出との距離が近すぎて分からないかもしれないけど、大丈夫、間違った道は進んでない。でも、どうしても不安になったら、横を向いてごらん。心美や理央がいつも真由ちゃんのそばにいるからね」


 頷く私の頭を心美が撫でる。


 そうだ。


 私は一人じゃない。


 いつだって家族みたいな二人がいる。


 大丈夫。きっと二人は、私の前から消えたりなんてしない。


「じゃあ、帰ろっか」

「待って、その前に。せっかく素敵な浴衣を着てるんだからね」


 気のせいか赤い目をした紗夜ちゃんがポーチから口紅を取り出すと、私と心美の唇に丁寧に紅をさしてくれた。


 私たちはお互いの顔を見て、笑顔になる。


「僕にも見せて。うん、二人ともとても綺麗だ」

「ん?聞こえない。もう一回言って?」


 心美がおどけて耳に手を添える。


「綺麗だよ」

「真由、聞こえた?もう一回!」

「僕、言葉の安売りはしない主義なんだけどね。二人とも、世界で一番綺麗だよ」


 柊平くんからさんざん褒めてもらい、私は来た時とは違う、救われた気持ちで山道を下る。煙が散った夜空には、たくさんの星が瞬いていた。


 理央は今頃なにをしてるだろう。


 例え一瞬でも、笑ってる私のことを思い出してくれてたらいいな。





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