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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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過去9 pure heart


お母さんへ


元気にしてますか?

私はとても元気です。

高校に入ってからバタバタしていて、手紙を出すのが三ヶ月も空いてしまいました。ごめんね。

一学期も無事に終わり、高校生活にもすっかり慣れました。この一学期は噂通りデッサン漬けの毎日だったけど、見るからに上達してるのが分かるので、無機質な石膏のデッサンでもなんとか飽きずにこなせました。

高校に入ってから、もう三回もテストがありました。うちの学校は実技と学科があるので、中学の時より大変です。成績は上の下が精一杯。自分なりに頑張ってはいるけど、心美や理央には到底追いつけなくて少し焦っています。

今は夏休みですが、心美も理央も家には帰らないと言っていたので、私も学校に残ることにしました。私たちみたいに寮に残る生徒も少なからずいるお陰で、休み中の生活は学校がある時と同じようにできています。(夏休みくらい、消灯時間が遅ければいいのに……)

心美も理央もとても元気にしています。相変わらず先生たちに迷惑をかけることはあるけど、二人とも中学の時よりのびのびと、楽しそうにやっているようです。そんな二人を見てると、私まで幸せになります。

三人とも美術部に入ってるので、今は毎日部室へ通い、先輩たちに面倒を見てもらいながら油絵を描いています。一学期はデッサンばかりで油絵の授業はなかったので、手が筆の感覚を忘れない内にと、先輩が進んで指導してくれるんです。とてもありがたいです。

お母さんはこの学校に年に一回、秋の文化祭で開催される校内コンクールがあることを知っていますか?このコンクールは最優秀賞を取ると、希望者には短期海外留学と、単位免除の副賞があるみたいで、みんな熱気を帯びて制作活動に取り組んでいます。私の実力では最優秀はとても無理だけど、イベントみたいなものだと思って楽しみながら参加します。一年生のテーマは『そら』なので、ここのところ空ばかり見上げて、あれこれと構想を練ってるんですよ。

ところで、今月もお祖父様からたくさんのお小遣いをいただきました。電話でお礼を伝えた時に、こんなには貰えませんと言うと、せっかくの夏休みだからどこかへ遊びに行ってきなさいと言ってくださいました。とても嬉しい反面、決して安くはない学費を払っていただいているので、恐縮してしまいます。ここの学校には全国から才能のある人たちが集っているので、自分の実力の無さを痛感する以上に、毎日新しい発見があって、通わせていただいてるだけでも私はとても感謝してます。

いつかお祖父様に恩返しができるように、今は勉強を頑張りたいと思います。

お母さんは不自由なく暮らせていますか?

お母さんがいつも笑っていられるように、遠い空の下から祈ってます。


真由より


追伸 お母さんのから揚げが食べたい!








 顔を上げると、窓の向こうでは、ギラギラした太陽が容赦なく森の木々を照らしつけていた。


 ここはクーラーが効いて快適だけど、一歩外に出たら、たちまち暑さで萎れたほうれん草のようになってしまいそう。


 私は便箋に視線を戻すと、読み返すこともせずにそれを封筒に入れ、なんのデザインもされていない、ありきたりな切手を貼った。


 住所は私が中学生の頃に住んでいたアパート。


 宛名は母。


 今日ポストへ投函しても、来週の頭には私の元へ戻ってくるだろう。そうと分かっているから、思った事をストレートに、文脈も考えずに書きなぐった。どうせ読まれない私の気持ちを、それでも書かずにはいられない。そんな手紙は、これで六通目になる。


「真由、お腹すいた」


 今朝、間近でクリーナーをかけても起きなかった心美が、ベッドからむくりと起きだす。どうせ朝方まで起きていたんだろうその顔には、疲労ではなくて充実感が浮かんでいた。


 ちゃんと消灯時間を守っているのは、この部屋では私だけだ。


「そろそろお昼だね。食堂行こっか」

「うん、そうしよ」


 着替えようと動き出した心美のキャミソールの肩紐が、華奢な肩からするりと落ちる。


 ふと心美の胸の谷間に影が色濃く落ちるのを見て、私は思わず目をそらした。


 頭に浮かぶは、理央の顔。こんなに魅力的な心美の横にいる私のことを、理央はどう思っているんだろう。いや、これは自惚れだ。なんとも思っていないに違いない。


「お待たせ、行こう」

「うん」


 Tシャツにジーンズ。こんな格好でも様になってしまう心美の横では、例え私がドレスを着たって負けてしまう。こんなこと、何年も前から知ってたのに、高校に入ってからは更に差をあけられてしまって辛い。おまけにクラスには、オシャレで美人な子がたくさんいて、理央も彼女たちといると、とても楽しそう。


 中学の先生からは「高校に入ったら思ってた以上に才能のある子や、自己主張がちゃんと出来てる子がたくさんいて、怯んでしまうことがあるかもしれない」と言われていたものの、実際目の当たりにすると想像以上の大ダメージ。勉強さえしていればよかった中学時代が、今はとても懐かしい。


「あれ、先越されてる」

「二人とも早起きじゃん」


 食堂へ入ると、そこには既に理央とセツナがいた。


「心美こそ早起きじゃない」

「理央、心美が朝まで起きてたの知ってたの?」

「知らないわよ。けどそんな酷い顔してたら、朝まで起きてたに違いないわ。心美、あんたすっごいブスよ」

「ブスの何が悪いのよ、ブスだからってCO2の排出量が増えるとでも思ってんの、ん?」


 私は二人の喧嘩がはじまる前に、心美の背中を押してカウンターに向かわせる。あれこれ悩んで料理を受け取ると、食事を済ませた理央とセツナは先に出て行ってしまったので、私たちは窓際の二人用の席に着くことにした。向かい合って手を合わせると、私はロコモコ丼を、心美はおろしハンバーグ定食を食べはじめる。


「はぁ、今日も暑そう」


 外の景色を見ながら、気怠そうにハンバーグを口に運ぶ心美の姿に、私は思わず目を留める。


 決して派手な格好をしてるわけじゃないのに、心美は本当に綺麗だ。髪も素肌もピカピカで、まるで体の中から光りを放っているよう。


 嫉妬すら感じさせないほど、完璧だ。


「あ。真由、また妄想してるでしょー?スプーンが止まってる」


 心美に覗き込まれて、はっと我に返る。


「そんなにいい男かね?あのオカマは」


 行儀悪く箸で理央がいた方を指すと、心美はわざと顔をしかめる。


「ち、違うよっ、今は心美のこと考えてたの!」

「いいよ、いいよ。 “蓼食う虫も好き好き” って言うしさ。真由の好みは否定しないよ」


 心美がつけ合わせのナスの素揚げを口に放り込むと、私は顔が赤くなるのを自覚しながら、考えていたことをまるで言い訳のように説明した。


 心美は綺麗だ。


 口にするだけでも、何だか緊張する。


「真由は子供なんじゃない?まだ男でも女でもない。いや、やっとそこに気づきはじめたくらい?」


 私の言葉に肯定も否定もせず、心美は続ける。


「女って言うのは、異性を意識して、それから相手からどう見られてるか、どう見られたいかを考えて、試行錯誤で手入れをしながら綺麗になっていくの。綺麗な人が何もしないで綺麗なわけないでしょ?女になるっていうのは、そういうこと」

「手入れ……」

「真由はまだそこに気がついてないの。悪いことじゃないよ?私はそういう真由も好き。ちょっと心配ではあるけどね」

「心配?」


 ハンバーグに添えられたミニトマトを噛むと、口いっぱいに酸味が広がる。


 手入れかぁ。確かに、乳液すらろくに使ってない。それでも心美よりは、言動や身なりには気を使っているつもりではいたんだけどな。


「例えば二組の久世くん」


 心美が久世くんの名前を出したところで、昨日の夜に、久世くんから送られてきたメッセージのことを思い出した。えっと、内容はなんだっけ……。


「あの子、なんで真由を遊びに誘ったか分かってる?」

「それは久世くんが夏用の新しいスニーカーが欲しくて、一人じゃ似合ってるか分からないから私に確認して欲しいって。私も理央が狙ってたストラップが欲しかったし、じゃあ一緒に行こうって。それだけ」

「それ口実だから。口実、意味分かる?」


 心美は最後の一口を飲む込むと、続けてお茶を一気に飲み干す。


「久世くんは真田のことが好きなんだよ」


 私は、スプーンをお皿の上に落とす。



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