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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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過去7 それは雨上がりを待つ花のような②


 我が美術部に朝練なるものはない。


 だから早起きをする必要もない。


 けれどもなぜか、 “お茶当番” なるものがあり、当番になると朝早く寮を出て、部室までその日の分の紅茶を作りに行かねばならない。校舎から離れたところにぽつりと建つあの部室へ、朝っぱらから紅茶を淹れるだけに行くのだ。


 しかも当番は男子だけ。


 ……男子だけ。


「じゃあこれ、部室の鍵ね。朝イチは一階の入り口から入って。……なんだ理央、不服か?」

「当番って男子だけですよねー?なんで男子だけ?」


 私は半ば睨むように視線を上げる。


「女子が道中、熊にでも襲われたら一大事だろ?」

「私も襲われたら勝てる気しないんですけど」

「その長い足で逃げ切ればいいさ」


 目の前の棒読みな笑顔に、私の不満は更に募る。


「足の速さなら心美の方が遥かに……というか、心美ならひと睨みで熊の方から逃げていくのに」


 部長が私に部室の鍵を渡しにきたのは、夕食後に談話室でクラスメイトと遊んでいた時のことで、談話室に部長が入ってきた途端、あちこちで騒いでいた生徒が一瞬で静まり返ったのには笑ってしまった。こんな現象を起こせるのは、学年首席であるうちの部長と、寮監くらいだろう。知らないけど。


「じゃ、よろしく。鍵は昼飯の時にもらいに行くから、それまで絶対に無くすなよ?」

「もしも熊に食べられちゃったら、ちゃんと慰霊祭とかやってくださいよ?」

「分かってるって。仇も討ってやるから!」


 ということで、わざとらしく寝坊しているセツナの寝顔を二十枚ほどサイレントカメラで撮ると、私はいつもの文化部及び無所属メンバーとは違う、熱気あふれる運動部の連中と朝食を取り、足早に部室へ向かった。


 やっとの思いで到着すると、やり慣れない鍵開けをして、忍びこむようにするりと部室へ入る。誰もいないシンとした清らかな空気に、さながら泥棒にでもなった気分になって、急にテンションが上がった。


「ターゲットは給湯室の宝石ね!」


 近くににとっつぁんがいないか確認しながら壁伝いに移動をすると、すぐに目的の給湯室のドアが現れた。ふぅ。なんとか邪魔者に見つかる前にミッションを遂行できそうね。


 音を立てずにドアを開けると、小さなキッチンには、出窓からキラキラと朝陽が差し込んでいた。


「えっとー、まずは」


 ひとまず泥棒ごっこは置いておいて、私は壁に貼ってあるレシピを一通り読むと、さっそく紅茶を淹れる作業に着手する。 紅茶なんて作ったことがないから、手順を読むだけでも一苦労だ。


「最初に戸棚から薬缶を出し、そこに水道水を入れ、強火にかける。次に、沸騰したそのお湯でティーポットを洗って温める。で、そのティーポットに」

「違うよ」

「ッ!!ぎゃああああっ!!!」


 誰もいるはずのない背後から突然声をかけられ、私は思わず悲鳴をあげる。そして素早くガス台に置いてあったミルクパンを両手で持つと、一目散に壁の隅へ逃げ込んだ。


「うるさい、うるさい。こっちは寝起きなんだからさ」


 聞き覚えのある声に、恐怖できつく瞑った目を開けると、柊平くんが耳を塞ぎながらドアの前に立っていた。


「柊平さん?どうしたの?」

「声がしたから、お茶当番かな?って思って下りてきたんだよ」

「あら。声に出てたのね……」

「脅かす気はなかったんだ。ごめん、ごめん」


 柊平くんは申し訳なさそうにこちらへ来ると、流しの下からガラスの大きな容器を二つ出し、そこへ冷凍庫から出した氷をいくつか放り込む。


「朝作るお茶は水出しなんだ。ほら、そっちの紙に書いてあるでしょう?」

「ああ、こっちが朝用だったの」

「部活に来たらすぐ冷たいのが飲めるように、半日氷水でじっくり抽出させるんだ。アイスティーはお湯で作ると濁っちゃうから、時間はかかるけど水出しで。あ、理央、戸棚からダージリンの茶葉出してくれる?水出しにはダージリンがいいんだよ」

「あーはい。えっと、ダージリン、ダージリン……あ、これね」

「そうしたら下の引き出しにお茶パックがあるから、このスプーンで二杯ずつ八つ作って」

「はいはい」


 言われた通りにティーバッグを作ると、柊平くんは水を入れた容器にそれを浮かべる。

「蓋をして冷蔵庫に入れたら完成。これでお茶当番の仕事は完了です。お疲れ様」

「お疲れ様でした。って、柊平くんここに泊まったの?」

「そう」


 柊平くんは適当なマグカップにインスタントコーヒーを入れると、薬缶の熱湯を注ぎ、熱そうにそれを一口飲む。


「はぁ。今朝にぴったりな安っぽい味だ」

「柊平くん、こんなところで一晩なにしてたの?」

「……なにも」

「なにも?」

「そう。なにも」

「一人で?」

「当たり前だろ」

「へえ 」

「なんだよ」


 鼻で笑いながら、柊平くんが残ったお湯で私に甘いカフェオレを作ってくれると、二人で朝日を浴びながら、マグを持ってシンクに寄りかかる。


「こんなところに一人で一晩いて、怖くないの?つまり、ユーレイとか出ない?」

「出てくれたらとても嬉しいけどね。残念ながら、今のところは見たことがないな」

「そう……」

「噂、もう聞いた?」

「んまぁ、ちらほらとは」

「そっか」


 私はつい先日聞かされた、この部室で不慮の事故で亡くなった先輩の話を思い出していた。




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