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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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過去6 邂逅③


 息も絶え絶えに職員室に着くと、ちょうど配達物の荷解きをしている紗夜ちゃんと出くわした。手早くハサミで開けられていくダンボールには、大量の色鉛筆とコンテが詰め込まれている。


 真由が率先して前に出る。


「紗夜ちゃん、お疲れ様!」

「ああ、三人とも!ちょうど良かった。これから部活でしょ?少しでいいから、これ持っていってもらえる?」


 笑顔が弾ける紗夜ちゃんに、私はいつものように多少の疲労感を覚えた。それは紗夜ちゃんが、必要以上の体力を、笑顔を作る為に使っているかのように見えるからか、単に私が紗夜ちゃんと柊平くんの仲を邪推するのに疲れるからか、原因はよく分からない。


「私たち、柊平くんからクロッキー帳とキャンバスを運ぶように頼まれてきたの。職員玄関に台車持ってきたよ」

「ナイスタイミング!そっちも揃ってるから、台車に運ぶの手伝って」


 こんな風に三人で紗夜ちゃんと会う時は、紗夜ちゃんに最も信頼されている真由が代表して話すことになっている。その間、私と理央はまるで部屋の外にいるかのように直立して、二人の話が終わるのを黙って待つ。それが紗夜ちゃんにとって一番ストレスの掛からない方法だと、この場にいる全員が知っているからだ。


「そっち、重いから気をつけてね」


 先に真由が軽そうなコンテの箱を持たされると、その横で理央が、クロッキー帳の入ったダンボールを難儀そうに持ち上げる。重みに耐えきれずよたよた歩く理央の姿に、紗夜ちゃんが見かねて箱の反対側を支える。


「理央ちゃん、 ちゃんとご飯食べてる?」

「どうして?」

「なんだか背の方にばっかり栄養を取られちゃって、筋肉の方まで栄養いってないんじゃないの?」


 紗夜ちゃんのつまらないほど健全な視線が、理央の体を点検するようになぞる。


「でも理央、食欲なら人三倍あるから。お昼もかつ丼にざる蕎麦追加してたし。ね!」


 そう言って真由が笑うと、紗夜ちゃんもつられて微笑む。


「それならいいんだけど。オシャレがしたいからって、成長期のダイエットはだめよ?」


 紗夜ちゃんの慈悲に溢れる声に、今度は理央が笑い返す。


「お陰さまで、私は食べても太らない体質なの。だからダイエットなんて必要ないわ」

「そうなの。羨ましい限りね」

「理央はムダな動きが多いからね。食べてもすぐにあっち行ったり、こっち行ったり。叱ってもすぐに忘れちゃうの。好きなのも和食だから、あれだけ食べてもカロリーが追いつかないのかも。ちゃんとバランスよく食べさせるから、安心して!」


 そう真由が親のように振る舞うと、紗夜ちゃんは理央を見て「だってよ?ママの言うことよく聞いてね」と茶々を入れる。それに理央がすかさず心外そうに反応するので、一瞬その場が三人の笑い声で溢れた。


 私はそれの何が楽しいのか理解できずに、愛想笑いをすることも忘れて、その様子をぼんやりと目に映す。


 別に理央が太ろうが痩せようが、私には何の関係もない。そんな言葉しか浮かばなかった。


「本当に真由ちゃんは、理央ちゃんのことよく知ってるのね」


 各々画材道具を胸に抱えながら、外に置いた台車にバランスよく載せていく。


「うん。理央が子供で、心美が妹だと思ってるからね」


 突然なんの脈絡もなく自分の名前が出てきて、私はロールキャンバスを思いきり足の上に落とした。


「へえ、真由ちゃんはママだけじゃなくて、お姉さんもやってるのか」


 転がるキャンバスを拾おうと屈んだ理央と、不意に間近で目が合う。すると、 鏡で自分の顔を覗き込んでいるかのような理央の瞳が、私を捕らえてニヤリと弓ように細くなった。真意を読むより前に私はすぐさま目を逸らし、立ち上がって背筋を伸ばす。


「心美も理央もしっかりしてそうでいて、気を抜くとすぐ風に乗って飛んでいっちゃうから、私が重石なの」


 三人は楽しそうに笑い声を上げる。この空間で、また私だけが笑っていない。


「あっ、そうだ!HRでは触れなかったんだけど、コンクールのお題が発表されるの、今日だからね。もう学校と寮の玄関に貼ってあるはずだから、帰りに必ず見ていってね」


 理央の押す台車が動き出すと、紗夜ちゃんは思い出したように私たちにそう告げた。


「コンクール?」


 私は思わず振り返る。


「そう。校内コンクール。スタンプラリーの時に説明したでしょう?制作期限は夏休みいっぱいだから、くれぐれも気をつけてね」


 私は振り返った頭を百八十度回し、真由と理央を見る。


「何の話?」

「さぁ?」


 理央が首をかしげる。


「スタンプラリーの時って、確か私たちグループから一瞬離れて、ポイント一つスルーしてなかったっけ?」


 真由も首をかしげつつ、私を見る。確かにそんなことがあったような気もするし、なかったような気もする。


「じゃあ、そこでコンクールの話があったのかしらね」


 私たちが立ち止まって小声で話し合っていると、紗夜ちゃんが小走りで私たちの輪に顔を出す。


「分からなかったら、部活で先輩たちに聞いてみて。自由参加だけど、提出して損はないから、ね」


 心配そうな紗夜ちゃんの元から再び歩き出すと、私たちはコンクールの話を忘れない内に、真っ直ぐに部室へと帰った。



 職員室から持ってきた荷物を部室の倉庫へ入れ終えると、柊平くんからお駄賃の飴を貰い、それを舐めながら私たちはアトリエに上がった。


 いつもの場所に椅子を置いて座ると、都合よくすぐ近くで先輩たちがコンクールのお題について語り合っていたので、黙って耳を傾ける。


 とても「校内コンクールってなんですか?」とは聞ける雰囲気ではなかったので、周りの話を盗み聞くのが私たちにやれる精一杯の努力だった。


 校内コンクール。


 とにかく、私にとって興奮する出来事ではないということは、周りの様子を察するによく分かった。


 私はどうも周りとのテンションが上手く合わない。イベント事より、あちらこちらに咲いていた桜が少しずつ散っていく様子を観察する方が、よっぽど心躍るものがある。コンクールへの参加の是非は、後でゆっくり考えることにしよう。


「あ、セツナ!こっち空いてるわよ!」


 だいぶ遅れて到着したセツナに、理央が手招きをする。セツナは嫌そうな素振りを一切消して私たちの輪に加わると、「あまりお喋りはしたくない」と意思表示をするかのように、さっそくクロッキー帳を開く。中のページには、裏庭の一角に咲いている薔薇の生垣のデッサンが描かれていて、水を弾いて咲き誇っているそれは、なんとも瑞々しい姿をしていた。


「セツナ、コンクールのお題、見た?」


 カバンから出したペットボトルを一口飲むと、セツナは小さく首を縦に振る。


「うん。一年生は “そら” だって」

「そら?」

「そう。ひらがなで、そら」

「ひらがなで、そら、ねぇ」


 三人それぞれの “そら” を頭に浮かべながら、私たちは鉛筆を握るセツナの手元を見つめた。一時も手を休めることなく、あっという間に描き上げたそれは、海岸沿いにヤシの木が並ぶ、南国の空だった。


「わぁ!素敵!ここ、どこ?」


 真由が覗き込みながら目を輝かせる。


「空想の場所だよ。南の島って憧れるよね」


 俯いたまま僅かにはにかむセツナに、私ははじめて彼に対して人間味を感じた。今まで、もしかしたらセツナは高性能ロボットなんじゃ……とも疑っていたが、ちゃんと感情を持った生身の人間らしい。そうなると、セツナも泣いたり、笑ったり、傷ついたり、嬉しくなったりするのだろうか。セツナが激情にかられているところを想像しようとしてみても、私には上手くイメージできなかった。


「南の島ねぇ。私、フィジーの透き通った海とか行ってみたいわ」


 頬杖をついて、理央がため息を漏らす。


「私はジャンクフードをたくさん買って、ワイキキビーチでワイワイしたい!」


 理央に続き、真由も満面の笑みで頬を両手で包む。


「ジャンクフード持ってワイキキ?なんか、真由らしくないわね」


 理央の言う通り、真田ならお手製ランチの入ったバスケットを持って、昼下がりの無人のビーチでまったり……の方が性に合っている。


「ここにいると寮のご飯ばっかりでさ、たまにはハンバーガーとかピザとか、体に悪そうなもの食べたくならない?」

「確かにしばらく食べてないわね。ああ、そういうこと言われると無性に食べたくなってきたー!」


 理央が机に突っ伏してハンバーガーに想いを馳せている間に、セツナはもう一枚描き上げた。真っ暗な宇宙に漂う宇宙飛行士の絵。輝く星もなく、孤独な白い宇宙服が、一本の綱に繋がって中央に浮いている。


 そうか、宇宙も “そら” か。


 無駄なく動いていたセツナの手が止まると、舞台の幕が下りたように、とても寂しい気持ちになった。なんだろう。この気持ちは。


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