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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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プロローグ④





 午後九時。


 ようやく仕事を終え、駐車場へ向かう。人目につかぬように車のトランクから保冷バッグを取り出すと、それを二つ胸に抱えて裏門まで行き、心許ない夜の森へと踏み出した。



 鬱蒼とした森の中は、夜鳥の声が幾重にも響いていて、不気味なことこの上ない。興味本意で見上げれば、今にも箒に乗った魔女が頭上の木枝を横切りそう。



 耳に届く自分の足音がやや大きくなる。



 もしかしたら、誰かが密かにこちらを監視しているんじゃないか。そんな不安と焦燥感が恐怖となって心の中を渦巻き、無意識のうちに両手に持った大きなバッグを体に密着させた。


 眩しいほどの月明かりが小道を照らす。


 念のためにと懐中電灯を持ってきていたが、どうせ両手が塞がっているからこの明るさは有り難かった。


 森の中を歩き始めて十分。目が慣れ、視界も随分と遠くまで開けたところで目的地に着いた。



 カチャ、と軽い音がしてドアの鍵が外れる。周囲をよく見回してから、そろりと中へ。


 すべての部屋に遮光カーテンをかけてあるので、部屋に灯りを点しても問題はない。真っ先にリビングのスイッチを押し、その次に一番奥にある調理室の灯りを点けた。


 昨日までに一通りの掃除は済ませてあったので、調理台の上を軽く拭き、そこへ持ってきた荷物を置いた。重かった証拠に、手の平が赤くなっている。


 次に念のためガスが通っているかチェックをし、オーブンのスイッチも入れてみた。


 よし、これで問題なく料理ができるはずだ。


 ふと思い出し、普段は使っていない冷蔵庫のコードをコンセントに挿す。中が冷えるまでしばらくかかるので、その間に上の階へ移動することにした。


 絵の具、木炭、そしてキャンバスが四枚。それぞれ不足はないかよく確かめた後、丁寧に上から布をかける。昼間のうちに干しておいたカーペットを部屋に敷き、電球切れがないか各部屋を確認すると、再び調理室へ向かった。


 冷えはじめた冷蔵庫に、綿密に練った献立の材料を詰めていく。


 四人が一泊するのに充分な食材というのは、思っていたよりもうんと多くて驚いた。しかも三人とも育ち盛りなので、余らす位の量を提供せねばならない。なので結局、予想の倍の量になってしまった。


 失敗は許されないので、火加減だけは慎重に。


 何故だろう。恋人に初めて手料理を振る舞った時より緊張する。



 まだ秋と言っても、この辺は高地なので夜は冬のように冷える。


 そろそろ休憩しようと、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。泡立つコーヒーにミルクを混ぜていると、吐く息が白くなっていることに気づいた。ひと口飲み、両手をカップで温めながら明日のことを考えてみる。


 あの三人は、どんなことを喋り、どんなことをし、どんな絵を描くのだろう。


 久しぶりに心踊る感情を思いだし、余計に楽しくなってきた。



 三人と出会った日から今日まで、何も霞まずに思い出すことができる。



 もうとっくの昔に果ててしまった自分に、まさか最後にこんな出会いがあるなんて。



 人生とは、なんて面白いのだろう。



 不安定で、繊細で。

 きっと一直線に幸せへ飛び込んでいけない彼女たちの幸せを、誰よりも祈っている。








 部屋の明かりを消してカーテンを開けると、木々の隙間に満月が浮かんでいた。





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