現在5 記憶の彼方へ②
さっき入った時と変わった点はない。私は適当なPCにメモリーカードを挿入して、ファイルを表示する。中にはセツナの戸籍謄本と、橘先生の日記が記録されていた。
まずは戸籍謄本を開けてみる。
「あら?この戸籍謄本、これだとセツナは柳澤家の養子でもないわよ?」
理央が画面を指差す。
「はい?」
「ほら。両親の名前がないし、これ、セツナ単独の戸籍になってる」
「本当だ」
私たちは戸籍謄本を隅から隅まで確認する。これをセツナが残したということは、絶対に何らかの手がかりになるものだと確信してるから。
「どういうことかしら。てっきり柳澤家と養子縁組したものだと思ってたけど。でも、この紙でもセツナは柳澤の姓を名乗ってるわね」
理央が呟く。
「だったらセツナが与えられた苗字と、養父母の柳澤さんは、たまたま同じ苗字だったってこと?」
「待って、もう一枚画像がある」
スクロールして下部に移動すると、もう一枚セツナの戸籍謄本が現れた。
「あ、こっちだとちゃんと養子になってる。養子になったのは、えっと……一歳の頃か」
「この頃の養父母は共に五十歳。ということは、今はもう八十歳を超えてるね」
私の言葉に、真由が続けた。
五十歳。
「もしかしたら、もう二人とも亡くなってるかもね。だから理央のところに警察が行ったのかもしれないよ」
「その可能性が高いわね」
私たちはセツナの戸籍謄本をじっくり目に焼きつけると、一先ずそれを閉じ、次に橘先生の日記を開いた。
「なぜ橘先生の日記が、セツナの戸籍謄本と同じメモリーカードに入っているのかしらね」
「セツナと橘先生に接点なんてあったっけ?」
「あったからこそ、ここにあるんでしょう。とりあえず読んでみよう」
その日記は私たちが生まれる前、柊平くんがまだ中学生だった頃からはじまっていた。
最初はこの日記を読み続ける意味がいまいち分からずに悶々としていたが、徐々に読み進めていくと、この学校と柊平くんの関係性が明らかなになり、手書きからPCで書かれるようになった頃には、茉莉子さんの名前も出はじめた。
教え子の茉莉子さんが亡くなってから十六年後。最後の日記は、紗夜ちゃんが病室に来たことを綴ったもので終わっていて、
『どうか私の解告が、扉の向こうで息をひそめる柊平に届きますように』
と、別枠に追伸のようなものが記されていた。
三人は長い時間をかけて読み終えると、同じくらいの時間をかけて黙り込み、やっと声を上げたのは理央だった。
「この日記を読む限りだと、茉莉子さんが柊平くんの邪魔をしていると思い込んだ理事長が、タイミングよく倒れた紗夜ちゃんのために茉莉子さんの命を消した、という風に取れるけど 」
「別に紗夜ちゃんのためじゃない。あくまでも自分のために茉莉子さんを殺したのよ。危うくセツナも一緒にね」
私は理事長に対し、攻撃的な気持ちでそうはっきりと言い返す。
「セツナ、よく無事だったね。それに理事長と紗夜ちゃんって、親戚関係だったんだ。知らなかったな」
「真由が知らないなら、私たちはもっと知らなかったわ。ほら、紗夜ちゃんと一番仲が良かったのは真由じゃない?」
「仲が良かったって言えるのかなぁ。私、紗夜ちゃんのこと何も知らないよ。病気して、移植して、絵を描きはじめたってことくらい。そんなの理央も心美も知ってるでしょう?だから別に特別な仲でもなんでもないよ」
「心美はどこまで知ってたの?」
「二人と一緒。セツナと柊平くんが親子だったなんて、夢にも思ってなかった。でもこの日記を読んで、一つ分かったことがある」
「なに?」
真由がイスから勢いよく立ち上がる。
「柊平くんが死のうとしていた理由は、理事長と、 なにより柊平くん自身への復讐だったんだよ」
「どういうこと?」
理央もつられて立ち上がる。静まり返った職員室に、自分の鼓動だけがゆっくりと響いている。
「茉莉子さんが死ぬことになったのは、紗夜ちゃんが倒れたから。でも、茉莉子さん以外の誰かが適合者だったら、計画は実行されなかったかもしれない。理事長が最後まで止めなかった大きな理由は、茉莉子さんが柊平くんの創作活動の邪魔になったから。だから柊平くんは許せなかった。茉莉子を殺した理事長と、原因の根本を作ってしまった自分のことを」
「そんな……」
真由が口に手を当てる。
「柊平くんが理事長へ与えられる、最大のダメージは何?」
私の問いに、理央は再び椅子に座り、頭を抱え込む。
「そうね、心美の言う通りかも」
理央は続ける。
「柊平くんがイタリアで修復師をやっていた時も、理事長は年に何度も柊平くんの様子を見に行ってたって。それほど可愛がってた柊平くんが自分の元で死んだら、そう簡単には立ち直れないわよね。事実、柊平くんが死んだ後、何ヶ月もここを離れていたでしょう、理事長は」
ことの全てを知ってしまった柊平くんの感情は、想像に難くない。
なんて悲しいのだろう。
なんて腹立たしいのだろう。
橘先生は、抗うことのできなかった罪の許しを乞う為に、教え子一人を再び死に追いやった。
「私たちは、柊平くんの気持ちになにも気づけなかった。あんなにいつも一緒にいたのに」
あんなに愛情に溢れて、あんなに優しい人が、最期は自分への怨みに溺れて死んでいった。しかもとどめをさしたのは、まぎれもなく私のこの手だ。
「だったら!」
真由が私の肩をつかむ。
「いいんだよ、心美のしたことは、なにも間違ってなかったんだよ!」
すっかり泣声なのに、今度は泣いてない。ちゃんと力強く私を直視している。
「柊平くんは真っ暗な夜に、孤独のまま死んでいったわけじゃなかった。心美のしたことは、悪いことじゃない!」
真由に思いきりつかまれて、少し肩が痛かった。しかし、凍てついた大地に陽がさしたような気がして、ほんの少し、心が救われた。
「でも」
そこで、理央が口を挟む。
「心美は知っていたのかもしれないわよ。さっきの手紙にもあったでしょう。心美が柊平くんの自殺願望に気がついてたって。紗夜ちゃんはどういう根拠で、そうと思ったのかしらね」
「知っていた?私が?」
「そうよ。記憶の蓋を開けて、よく思い出してごらんなさい」
「記憶の、蓋……」
理央の言葉で、私は真っ暗な穴に放り込まれたように、記憶の中へ落下していった。




