現在5 記憶の彼方へ
耳元でフクロウが囁きそうな夜の森を抜け、私たちは三度、石畳の道を下りていく。
手にはメモリーカードを握り、PCを求めて再び職員室へ。
今日は朝からあっちへ行ったり、こっちへ行ったり、長距離移動も重なって、私はすっかり疲弊していた。けれど重い体に鞭打ってこうして歩いているのは、早く謎を解き明かして帰路につきたいのと、 それとは裏腹に、このままもう少し三人で冒険をしていたいからかもしれない。
「そういえばさ、玲央くん更にかっこよくなってたね。渋さまで加わって、まさに出来る男って感じ!」
疲れているのは二人も同じなのか、極端に言葉数の少なくなった道中、真由が突然そんなことを言って場を和ませた。
「髭もいい感じでさ。あれはおじさんになっても絶対にかっこいいよね!心美!」
「ね!と言われてもね。だんだん父に似てきて、複雑な心境」
私は理央に気なんて使わず、思ったことをそのまま言葉にしてみた。
「そうなの?」
真由が理央を見る。
「そうね。兄弟の中では、一番あの人に似てるかもね」
「そうなんだ。理央はお母さんに似てるもんね。双子のくせにあんまり似てないから、 最初はがっかりしたよ」
「がっかりしたの?」
理央が心外そうに真由を見る。
「双子ってロマンがあるけど、理央たちみたいに似てない二卵性だとね、ちょっと減るよね」
「ロマンが?あるわよ!ロマン!いや、そんなもの、ないわね……」
そんな二人はさて置き、私は仄かに記憶に残る父の顔を思い出してみた。
最後にちゃんと面と向かって会ったのは、小学生の時だ。それまではとても可愛がってもらっていたけど、家を出てからは一度も連絡を取っていない。分籍した時も会っていないし、娘が生まれた時も、秘密裏に母と会っただけだった。
確かに玲央は父に似ていると感じても、もう父の顔をはっきりと思い出すことはできない。
「で、玲央くんとは仲直りしたの?」
真由が理央に聞くと、
「別に喧嘩なんてしてないわよ」
と、理央は素っ気なく答えた。
私と、理央と玲央の双子は、かつて兄弟だった。同じ人を母と呼び、自分たちは血の繋がった兄弟であると、疑いもなく生活していた時代があった。そんな関係はある日をきっかけにヒビが入り、その細かいヒビは、誰の目にもとまらぬところであっという間に広がっていった。そして数年後には修復不可能な状態にまでなり、儚くも私の“家族”は泡と消えてしまった。
「心美は知ってる?なんで理央と玲央くんが仲悪くなったか」
私は、私の隣にいつもいた双子のことを思い出してみる。それは父とは違い、どんな場面も昨日のことのように色鮮やかに思い出せた。好奇心旺盛で我が道を進む理央に、冷静な玲央がストップをかける。簡単に言えば、二人はそんな役回りだった。
「別に仲が悪いということはないでしょ。私がよく知ってるのは小五までだけど、それからも喧嘩なんてしてないと思うよ」
「でも中学に入った時には、もう話題にもしたくないって感じだったでしょ?」
「そうなの?知らなかった」
それはきっと、理央の意地だろう。そうやって長兄は、自分なりに三人のバランスを取っていたんだ。
「そうだったじゃん。私がいくら理央に玲央くんのことを聞いても、 いつもすぐにはぐらかして」
「それは単純に真由のことが好きだったから、ライバルともなりえる弟のことを話題にしたくなかったんでしょう」
「え、そうなの?」
私がそう言うと、真由は驚いた顔をして理央を見る。理央は気まずそうに、真っ暗な森に視線を逃した。
「図星か。適当に言ってはみたものの、こんなに単純な奴だったとは」
私は理央のお望みのように、そう言い放ってみせる。
「うるさいわね!」
本当は、別のところに理由があることは分かっていた。その原因が、私というピースを失ったからということも、容易に想像がつく。今まで一度だってこの双子は、少なくとも私や母に対し、互いに抜け駆けをするようなことはしてこなかった。それが兄弟仲の良さを表していたし、だからこそ、この二人はここまですれ違ってしまっているんだろう。
別に仲が悪いわけではない。大切にしすぎて、互いの一番傷ついている部分に、踏み込めないでいるだけだ。
しかし、私が仲を持ってやろうなんて気は更々ない。残念ながら私はもう、この双子の妹ではないのだから。
「理央があの頃から私のことをそう思ってくれてたなんて、全然知らなかった」
「真由はモテたからね。山根くんも滋くんも幸弘くんも澤部くんも、みーんな真由のこと……」
「ちょっと待って、なんであなた、ろくに学校にも来てなかったくせに、そんなに名前が言えるのよ」
「私、かなりの情報通なので」
それがなにか?とばかりに、私はきっぱりと言い切ってみせる。
「情報通ねぇ」
事実そうだった。学校のことは、なんだって私の耳に入ってきていた。
そうするためには誰に気に入られればいいのか、どのグループを牛耳ればいいのか、どうすれば思いのままに人を操れるのか、小さな頃から本能的に分かっていた。
理央は、私が女だから、無条件に父から可愛がられていたと思っているようだけど、実際は違う。あれは私が、父にそうするようにしてきたからだ。だから現に、父に媚を売らなくなってからは、結婚したって祝電の一つも寄越さない。
私にとって自ら誰かと仲良くなる理由は、好き嫌いではなく、使えるか使えないかが全てだった。
もちろん例外もある。それが主人だ。
ああ、それと、もう一人。
藤堂柊平。
「私、そんなにモテてたんだ。知らなかったなぁ」
「真由はほわーんとしてて、つい面倒見たくなっちゃうからね」
あの可愛かった頃の真由を思い出して、私はつい口角が上がる。
「それは違うよ!心美のことをつい面倒見てたのは、私の方だもん!」
「そうよ、律儀に毎回ノートをコピーしてたのは、真由だわ」
「別にコピーをくれなんて言ってないし」
「それ!そういうところ!!」
「なにが?」
私は二人に指を指されながら、煌々と照らされた職員室の玄関を開けた。




