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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
31/107

過去4 分身③


 今朝は珍しく、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。


 私は覚醒しはじめた頭で今日が何の日か思い出すと、布団の中で大きく伸びをしてから、隣で眠る彼を揺すり起こした。


「ねぇ、朝よ。起きて」

「うん……」


 彼は夢の中で返事をすると、壁に向かってもぞもぞと寝返りを打つ。


「ねぇ、起きてってば。遅刻しちゃうよ?」


 なかなか起きそうにないので、私は彼の背中に優しく抱きつき、腕を回してうっすらと筋肉のついた胸を撫でてみる。すると彼はびくりと体を震わせ、私を跳ねのけるように体を起こした。


「なっ、なに!?」


 寝顔も可愛いけど、寝起きの顔はもっと可愛い。目の前の彼を見て、改めてそう思った。


「おはよう、セツナ」

「お、おはよう……じゃなくて!だから、なんでここにいるの!」

「だって私たち、同棲中でしょ?」

「違う!なんで僕の布団の中に君が!?それに同棲じゃなくて、相部屋なだけ!」


 見事な寝癖がついたまま、慌てふためいて壁に背中を押しつける彼の様子も、相変わらず愛らしい。つくづくこの子をルームメイトに指名して正解だったと、自分の直感を褒め称えた。


「とりあえず、その元気のいい髪を直してきたら?そうしたら朝食を食べに行きましょう」


 最大限に怯えて掛け布団を抱きしめる彼の前で、私は堂々と裸になって着替えはじめる。すると彼は、そろそろと壁伝えにシャワールームへ入ってしまった。


「いちいち反応が面白いわね」


 高校の寮で相部屋になった柳澤刹那は、すぐに私のお気に入りになった。



 私よりやや背の高いセツナを連れて食堂へ入ると、そこはすでに大勢の生徒でごった返していた。その大多数が一斉に私たちを見るものだから、朝から最高に気分がいい。


 人から注目されるのは嫌いじゃない。そして自分のお気に入りがモテるのは、もっと嫌いじゃない。


「セツナは席の確保をして。私が二人分運ぶから」

「じゃあ、僕は洋食セットで」

「オーケー、すぐに行くわ」


 行列に並んで二人分の朝食を受け取ると、私は広い食堂の真ん中でセツナを探した。これだけ賑わっていると、ウォーリーを探してる気分だ。


「理央ー!こっちこっちー!」


 雑音に紛れて真由の声がしたのでそちらを見ると、真由と心美の前でセツナが居心地悪そうに座っているのが目に入った。きっと席を探している最中、真由に捕まってしまったのだろう。セツナの人見知りな性格は出会って早々に分かっていたから、明日からは逆の担当の方がいいかもしれない。そんなことを考えながら、私は三人の元へ急いだ。


「お待たせしましたー!本日の洋食セットはベーコンエッグとマフィンになりまーす。スープはお熱いのでご注意くださーい。以上でご注文はお揃いですかー?」


 私はそんなセツナを笑わせるつもりで、ウェイトレス

風にトレーを差し出してみる。しかしセツナは更に俯いてしまい、心美の冷たい視線が容赦なく私を貫いた。


 自重せねばセツナが不登校になってしまう。


 反省した私は、その後は無言でマフィンを口に運んだ。


 カバンを取りに一旦部屋へ戻ると、私はセツナを先に学校へ行かせ、クローゼットの前をぐるぐる回りながら、これからどうするべきか考えた。


 今まで通りの不自然な自分でい続けるか、進学を機に本来の自分をさらけ出すか。


 入学前からずっと考えていたけど、答えは出そうになかった。けれど、どうせ選ぶなら……と、後者を実行することにした。


 そのせいで入学式に遅刻しそうになった私は、初日から猛ダッシュで登校したのだった。



「お、いい足してるね」


 やっとのことで校舎に到着すると、既に新入生は大講堂へ移動してしまったのか、どの教室ももぬけの殻だった。


 ひと息ついていると、二階の回廊から誰かに話しかけられたので、見上げると、若い男が微笑しながら私を指差していた。


「えっと、君は、確か……」

「柊です。柊理央」

「そうそう、柊くん。あとちょっとで首席になれた、柊理央だ」

「あの?」

「入学式から遅刻か?いい度胸だな」

「着替えに手間取っちゃって……」


 この人は誰だろう。やや警戒しながらも、タイプの顔だったのでそのまま話を続ける。


「そうか。でも残念だな、その制服は間違ってるよ」


 そう言われ、私は自分の足を見下ろす。


「ルールブックには、どこにもこの制服がダメだとは書いてなかったけど」

「ああ、そうだったっけ。でも、入学式は式典だよ。式典は正装でなければならない。君は男だろう?だから、スラッスクを着用しなければならないんだ。これは校則より重い、社会のルールだよ」


 自分の大きな決意をさらりと否定されているのに、その優しい物言いに何も言い返せなかった。


「だから今日は諦めて、明日からそうしなさい。俺からも校長に言っておいてあげるから」

 その人はそう言うと、回廊を伝って扉に手をかけた。

「あの!」

「はい?」

「先生……ですよね?」

「いや、俺は教諭ではないよ。ちょっとした授業の手伝いと、美術部の顧問をしているだけだ」


 そう言い残すと、その人は不敵な笑みを浮かべて、扉の向こうへ消えてしまった。




 教室の横には小さな部屋がある。


 私は背筋を伸ばしながら、この部屋をほのかに漂う香りについて考えていた。どこかで嗅ぎ覚えのあるこの香りは、どこの香水だっけ。あと少しで名前が出てきそうなのに、なかなか思い出せなくてイライラした。


「柊くん、どうして入学式に来なかったの?」


 記憶の中を漂っていた意識を戻すと、目の前には怒り心頭と言った顔の担任と、その隣に、やや口角が上がり、面白がっているようにも見える副担任がいた。


 対照的な表情の二人に、私は真顔で「ごめんなさい」と丁寧に頭を下げた。


「で、一体どうしたのよ?」


 副担任の方の教師が、やけに楽しそうに聞いてくる。


「ちょっと……着替えに手間取って……」

「着替え……?」


 私は断じて嘘は言っていない。


 最初はギリギリ間に合うように来たけど、あの謎の男に言われた通りに着替えをしに戻って帰ってきたら、入学式はすっかり終盤に差し掛かっていた。だから、私はみんなが戻るまで静かに教室で待っていたのだ。


「着替えに手間取るって、あなたいくつ?」


 とうとう笑い声が混ざりはじめた副担任に、担任は咳払いをする。「ごめんごめん」と副担任は謝ったけれど、その声もやはり笑っていた。


「理由はどうであれ、入学式をすっぽかすなんて聞いたことないよ。本当に困るから……」


 担任の方が、うんざりした顔で私を見る。


「それに柊くんのこと、合格上位者だってみんな知ってるからね。あんまり派手な行動をして刺激しないでもらえるかな?」


 今までの経験上、激昂している女性教師に逆らうととても面倒なことになることは熟知していたから、私はひたすら反省している態度を熱演した。


「まぁまぁ、紗夜ちゃん、理央くんも反省してるしさ。式の邪魔にならないように、大人しく教室で待機しててくれたってことで、今日は許してあげようよ」


 副担任の華麗なるゴール前へのパスに、私はほっと肩をなでおろす。


 その瞬間、この香水の名前が頭に浮かんだ。『禅』だ。どちらがつけているのだろう。


「授業には絶対に遅刻しちゃだめよ?成績にも関わってくるからね」


 紗夜ちゃん先生の言葉にもう一度深く頭を下げると、その場は解散となった。


 先生たちが出て行った後に部屋を出ると、外にいた同級生たちが一斉に私を見た。


「早速お説教?」


 と見知らぬ生徒から声をかけられたから、


「お説教というか、苦情ね」


 と返したら、いたるところで笑いが起きた。


「もう理央ってば、何してたの?セツナしか来ないから心配してたんだよ。途中で猪か熊に拐われたんじゃないかって、ねぇ?」


 オリエンテーションに向かう途中、真由は私にそう言いながら、すぐ後ろで心美の横を歩くセツナに振り返った。


 セツナは真由に話を振られると、気まずそうに足元に視線を落とし、無言の肯定をする。すっかり仲よく呼び捨てにされてるのに、セツナときたらまだ慣れないらしい。


「理央、明日からは男子寮の入口で待ってるからね!」


 真由の提案に、私は素直に頷いた。




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