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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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過去3 はじまりの春


 寝返りを打った拍子に、柊平さんの広い背中が露わになる。私は冷えないように布団を掛けな直すと、そっとその背中に寄り添った。


 暖かい。


 頬を擦り寄せると、起きてしまったのか、柊平さんがこちらに寝返りを打って腕を回してくれた。


「ごめん、起こしちゃった?」

「自然に起きただけだよ」


 起きたばかりの掠れた声が、耳元で甘く響く。


 遠い夢の記憶よりいくばくか低いその声に、私は急に恥ずかしくなって、柊平さんの胸の中に顔を埋めた。


「寒い?」

「違うの。こうしてたいだけ」


 独り言のように呟くと、柊平さんは私の身体を強く抱きしめてくれた。


 長年想い続けた先輩の体温に、身体の芯から溶け出していまいそうだった。


 私は昨夜の出来事をなるべく思い出さないようにしながら、職員室の鏡の前で入念に身だしなみのチェックをする。


「髪も服も乱れなし!化粧もバッチリ。さて、今日も一日頑張りますか!」


 二年目にして学級担任を任された責任は重く、まだ新学期もはじまっていないと言うのに、こうして気合いを入れないと緊張で体がふわふわ浮いてしまいそうだった。


 今朝は柊平さんの車に乗せてもらったので、時間にはまだ余裕がある。私は他の先生たちの分までコーヒーを淹れながら、本日のスケジュールを頭の中で確認した。


 時間になったらフロアに出て朝礼をし、その後すぐに正門へ行く。そこで新入生を迎えたら、理事長室に連れて行き、話が終わったら先生たちを呼んでクラス毎に面談……って、え?お昼には寮に行かなきゃいけないのに、こんなスケジュールで間に合うの?


「紗夜ちゃん先生?」

「は、はい!」


 急に間近で呼ばれたので慌てて振り向くと、そこにいたのは去年まで三年生の担任をしていた和泉先生だった。この学校に勤めて二十五年目のベテラン教師の顔には、今朝も余裕の笑みがこぼれていた。


「なんだか今にも頭から煙が出そうな顔をしてるけど、大丈夫?」


 今年は和泉先生も一年生の学級担任をすることになっている。私たちの学年主任だ。


「大丈夫じゃないですよ。生徒の前に立つ前から緊張して、口から心臓が飛び出しそうです」


 もし本当に飛び出すようだったら、茉莉子の為にも頑張って飲み込まねば。


「大丈夫。美術学校の担任って言ったって、他の学校と大して変わらないから。それに、副担任の瀬名先生もいるし、僕も力になるからね」

「はい……」


 和泉先生の頼り甲斐のある言葉に、私は孵りたての雛のような感覚になった。ついて行きます、どこまでも。


「ところで、今日来る生徒の確認は全て済んでるかな?」


 和泉先生はそう言いながら、お盆にカップを載せるのを手伝ってくれる。


「はい。うちのクラス生徒は三名です。和泉先生のところは二名ですよね。面接、どうなりますかね」


「紗夜ちゃん先生は寮のチェックもあるしね。もしそっちに遅れるようなことになったら、僕と瀬名先生で紗夜ちゃん先生のとこの子たちを見ておいてあげるから、心配しなくていいよ」


「ありがとうございます!」


 今日は入学試験の合格者上位十名を呼び出して、学校生活や進路について話を聞くことになっている。これは、成績上位者に寮の一人部屋を提供するにあたり、該当者の部屋決めを他の生徒より一足早く行うためでもあった。


 それに、首席合格者には入学式での挨拶を頼まなければならない。今年の首席は私のクラスの子だった。すんなり了承してくれるだろうか。


「紗夜ちゃん先生、リラックスね。そんなに緊張してると生徒にも移っちゃうから」

「はい……」


 コーヒーで一服した後、朝礼が済むと、他の先生たちに見送られて私は正門へと急いだ。


 一年生の校舎を通って玄関へ出ると、そこには既に十名全員が揃っていて、それぞれ一定の距離を保ちつつ静かに待機していた。


 腕時計を見る。針は集合時間の五分前を指していた。


『紗夜ちゃん先生、ジンクスを教えてあげましょうか』


 先ほど職員室で一緒だった、関谷先生の声がよみがえる。


『もし紗夜ちゃん先生が正門に着いた時に、呼ばれた生徒が全員揃っていたら、問題児が多い学年になるかもしれません』

『どうして?時間が守れるのに?』

『理由は分からないですけど、このジンクス、割と当たるんです。だから毎年占いにしてる先生もたくさんいるんですよ』

『ちなみに去年は?』

『十名中、三名しかいなかったって話です。ま、駅に着く電車が遅れたからって理由もありますけどね』

『確かに新二年生って優等生揃いかも……じゃあ絶対にこちらが時間に遅れることはできないですね』

『おかげで毎年、この日だけは朝礼の話が短いんです』


 私は、そう言いながらコーヒーを飲む関谷先生の楽しそうな顔を思い出して、気持ちが沈んでいった。


 問題児か。高田くんみたいな子ばっかりだったら、学級崩壊もしかねない。ここは気を引き締めていかねば。


「おはようございます。みんな時間通りに来てくれてありがとう。点呼するので、名前を呼ばれたら返事をしてください」


 不安も緊張もさし置いて、私は背筋を伸ばした。




 理事長室にて新入生の挨拶が済むと、会議室で学校生活に関する要望を聞くために、生徒たちをクラス毎に分けた。


 私はタブレットを持ち、受け持ちの生徒を一番奥の会議室へ招き入れる。机に座らせたのは左から、櫻井心美、柊理央、柳沢刹那。今年の倍率十倍に対し、余裕で合格を決めてきた三人の顔を見ると、さすがに光るものを感じずにはいられない。早くこの子たちが絵を描くところを見てみたい。そう思ってる教師は、私だけじゃないはずだ。


「改めまして、私があなたたちの学級担任を務めることになりました。どうぞよろしくね」


 私は意識して、いつもよりワントーン明るい声を出す。並んで座った三人は、タイミングも角度もぴったり同じに、丁寧に頭を下げてくれた。


「そんなに緊張しなくていいからね。じゃあまず、寮について説明しておきます」


 私はタブレットを操作し、三人の前に出す。


「あなたたちには、学校のルールに従って一人部屋を用意させてもらいます。部屋の場所を決めるにあたり、何か要望はありますか?例えば一番上の階がいいとか、なるべく静かな場所がいいとか」

「はい!」


 間髪おかずに威勢良く手を挙げたのは、真ん中に座っている柊理央だった。


「は、はい!どうぞ!」

「一人部屋は嫌です!この人と同じ部屋にしてください!」


 そう言って挙げた手を振り下ろし、そのまま隣を指さす。指をさされた方は、驚いた顔で柊理央を見ている。


「嫌なの?せっかくの一人部屋なのに」

「嫌です!ユーレイが出たらどうするんです?暴君が襲ってきたらどうするんです!?一人じゃ対処できません!」


 ぼ、暴君……?


 私はさっそく強めのキャラクターを前にして、ジンクスを信じはじめてしまっていた。いけない、いけない。もっとアクの強いキャラクターなら、今までの教師人生で経験してるはずでしょう。こんなもので怯んでどうする。


「まあ、そういうことなら……で、あなたはどう?嫌じゃない?一人部屋がいいなら、柊さんに違う人を選んでもらうけど」

「仕方ないので、それでいいです」


 指名された方はそう簡潔に言うと、嫌そうな表情もすぐに消え、穏やかな表情で私を見た。黒目がちな、可愛い顔をしている。


 とにかく、すんなり話がまとまってくれてよかった。


「で、最後にあなただけど、希望はある?」


 残った一人は、窓の外を見ていた視線をゆっくり私の目に合わせ、「こちらも同居者を指名します」と、ずいぶん大人びた口調で答えた。


 私は指名された生徒の情報をファイルからピックアップすると、備考欄に注釈をつけ加えてから事務員にメールを送った。これで午後には、全新入生の最終的な部屋割りが決定してるはずだ。


 それから三人には進路等の予め決められた質問をいくつかして、柳沢くんに半ば押しつける形で入学式の挨拶をお願いすると、その場は解散となった。腕時計を覗くと、お昼になるぎりぎりの時間だった。


「今日はお疲れ様でした。繰り返すけど、明日の引越しは午前十時から午後三時の間に済ませてね。何かあったら私の方に連絡ください。よろしくお願いします」


 三人はまた息ぴったりにお辞儀をすると、正門に停まっていたバスに乗り込んだ。


 カーブを曲がり、バスが見えなくなるところまで見送ると、私は寮へ向かって走りだした。今日中に部屋のドアに名札を貼り終え、室内に故障や傷の箇所がないか今一度チェックしなければならない。その合間に教室の座席表を作り、更に入学式の準備もしなければならないので、休んでいる暇は一秒もなかった。




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