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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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過去3 失われた記憶②


 理央と真由は放っておいて、私はさらに収蔵庫の奥を探していく。


 棚に貼られた制作年を示すプレートを見て回り、該当する年の保管場所は見つけたものの、思っていたより所蔵数が多くてそう簡単には見つかりそうもなかった。


「ねえ!あんたも来なさいよ」


 仕方がないので一枚ずつ探そうとキャンバスに手を伸ばそうとした時、理央が遠くの棚から顔を出して私を呼んだ。


「いい!見たって粗探ししちゃうだけ!」

「せっかくじゃない!それに、色々と思い出せるかもよ。私たち、思ってた以上に昔のこと忘れてるみたいだし!」

「そうだよ心美!懐かしいよ!」


 理央の後ろから真由もひょっこり顔を出す。


 そんな二人の姿を見て思う。例えば何か、過去へ置いてきた物があったにせよ、それはもう忘れ物ではなく、捨てた物だと思っているのではないだろうか。もう過去に未練はない。例えこの二人と会えない日々を過ごしても、私はきっとこの後の人生を平凡に生きていける。


 十四年前の何を今更、私は知りたいのだろう。


 どうしてここへ来てしまったのだろう。


「私はもう、このまま忘れちゃっても差し支えないんだけどね」

「えっ!?なに?今なんて言ったの!?」


 二人して耳に手を当てて私を見つめる。もう……。

「今いくー!!」



 私はため息をして、二人の元へ向かった。



 棚に立て掛けられた二枚の絵には、それぞれに最優秀賞を示す金色のプレートがつけられている。


 一年三組 柊理央。テーマ《そら》作品名『暁』。


 二年三組 櫻井心美。テーマ《群青》作品名『無二』。


 理央の方はほの明るい、凪いだ海が描かれている。


 空から海へ続くグラデーションが絶妙で、選出にあたり異議を言う者は誰もいなかったと噂で聞いた。これは、一年生の時に校内コンクールで受賞したもの。


 私の作品には、ここの制服を着た女子生徒が一人、他の生徒たちから離れて立つ絵が描かれている。


 青と言えば青春、青春といえば己の確立……という安直な考えで取り掛かった割に、思いのほか出来が良かったので、発表の前から手応えがあった。こちらは二年生の時に受賞したものだ。


 真っ先に二枚の絵に変化がないか確認したが、この二枚に変化は見当たらなかった。


 一安心して、私たちはしばらく無言で作品を鑑賞した。じっと見ていると、この絵を描いた頃の情景や感情が、少しばかり思い出された。


 思い出のシーンには必ず二人と、藤堂先生がいた。切っても切り離せない。今にして思えば、そんな濃密な関係性だったようだ。


 この歳になると、生意気だった当時の自分に羞恥心すら覚える。そこに長く長い月日の流れを感じた。


 しばらくして最初に口を開いたのは真由だった。


「さすが理央と心美だね、十五年経ってもひび割れがないね」


 私は改めて作品を端から端まで確認する。


 確かにかなりの年月が経っているはずのに、キャンバスにも絵の具にも劣化がなく、見事に当時のままだった。


「お褒め頂いて恐縮なんですが、生憎そんなテクニックまで持ち合わせておりませんのよ。これは、運良く、でございますの」


 私を挟み、理央が真由を見る。


 そこで私はふと思いたって立ち上がる。そして私と理央の絵が保管されていた周辺で、一枚の絵を探しはじめた。


「心美、どうしたのよ。探し物?」


「うん。ちょっとね……」


 端から丁寧に探していくが、目当ての絵はどこにもない。それだけじゃない、その作品が製作された年のプレートすら見当たらない。


 これはどういうことか。


 考えられる可能性なんて、ひとつだけだ。


「ひび割れがない、というよりはっ……!」


 私は自分の直感に、咄嗟に収蔵庫の入り口まで走った。


 真由と理央も慌てて立ち上がる。


「ちょっと、どうしたの心美!」


 真由の声を無視して、私は走る。そして入り口に着くと、さっきと同じように、収蔵されている作品の製作年が書かれたプレートを端から全て調べていった。


 夢中で探す私の姿に、真由も心美も心配そうについてくる。


「やっぱり……」

「やっぱりって、どうしたの、心美」


 ざっと全ての棚を見終えると、私はある重大なことに気がついた。あまりのことに寒気がして、全身に鳥肌が立つ。


「二人とも、冷静になって聞いて」


 私の言葉に、真由と理央は更に不安気な顔になる。


「セツナの絵がないの。二年生の進級試験で特賞を取った絵も、三年生の時にコンクールで最優秀を取った絵も。……ないのよ、どこにも……」


 驚きで二人の目が見開かれる。


「それってどういうこと……?」


 私は、ある仮説を口にした。


「多分ここは、今の世界じゃない」





 ここは十四年前の秋。

 私たちはタイムスリップをしたようだ。





「あり得ないわよ、タイムスリップなんて……」


 理央が首を振る。当然だ。そんなことを聞いて「はい、そうですか」なんて、誰しも答えられるはずがない。だから私は言葉を続ける。


「セツナの絵だけじゃない。私の受賞作以降に保管されるべき作品も、全く見当たらないの」

「以降って……十四年分も?」

「そう。例えばここに置き場所が無くなって、他の場所に新たに収蔵庫を作ったにしろ、あのセツナの絵がここにないのは不自然。それにあの年は藤堂先生の絵も大きな賞を取って、ここに保管されているはず。それも見当たらない」

「そんな……」


 真由が絶句する。


「心美にそう言われると、妙に納得しちゃうわね。それに、そこまで重要じゃないと思って黙ってたけど、さっきもおかしいと思ったのよ」


 理央の言葉に、私と真由は理央を見る。


「データベースのパスワードが昔と変わってなかったし、確かに十四年前からこちらの情報が見当たらなかった。それこそ、データを違うところで管理してるもんだと思ったけど、よく考えれば不自然よね」

「そうすると、さっきのセツナの声は……」


 真由が、私の体にくっつきながら呟く。


「十四年前の、セツナ本人の声ってことになるね」


 理央が腕を組み、大きく息を吐いた。


 死人がよみがえるのと、十四年前にタイムスリップ。一体、どちらの方が現実的なのだろう。


「だとしたら、紗夜ちゃんを見つけるより前に、私たちを見つけた方が早いかもよ。どこにいるのかも見当はつくし」


 真由の提案に、理央があからさまにぎくりとするのが分かった。


「真由、あんた昔の自分に会う勇気あるの?私は嫌よ?あの頃の私って変にとんがってたから、老けただの臭いだの、散々に言われるだけよっ」

「でも面白がって協力してくれるかも?」

「無理無理、ぜったいに笑われて終わりよ」


 そこで私はあることを思いついた。昔読んだタイムスリップ小説に書いてあった、とあるルールだ。


「ねえ、今ちょっと思ったんだけど、私たちがこの校舎で誰にも会えないのは、その辺が関係してるんじゃない?」


 二人は頭に疑問符を浮かべながら、私を見る。


「理央も真由も、学生時代に未来から来た自分たちに会ったことはある?」


 二人ともシンクロさせて首を振る。


「私も。だから、もし私たちが当時の私たちに会っちゃうと、辻褄が合わなくなるのよね。これは、タイムスリップものにおいてのセオリーだけども」

「確かに言われてみるとそうかも……」


 真由が頷く。


「そうだとすると、会わないように隠れるというよりは、どう頑張っても会えないということね?」


「紗夜ちゃんやセツナにその経験があるかは分からないけど、少なくとも現時点では、私たちは過去の私たちに会える可能性はない……ということになる」


「なるほど……」


 二人は素直に納得して、「ならば仕方ない」と言わんばかりに、その場の空気が少し和らいだ。私たちのこの精神の図太さは子供の頃から変わらない。理屈させ通れば、超常現象だろうが何だっていいのだ。


 私は藤堂先生のことを考えたが、今は口にするのを止めておいた。


 この世界では、藤堂先生はまだ生きているはず。会えるだろうか、彼に。


「じゃあ、これからどうする?」


 真由が私と理央の絵を片づけながら聞く。


「茉莉子さんの絵は探すわよ。それが目的でここへ来たんだし」


「それから?」


「全力で校内にいる生徒を探す。こうなったら誰でもいいわ。顔の知らない生徒でも、その子に物語の主人公になってもらって、私たちの為に現代への帰り道を探してもらう!」

「他力本願の脇役キャラって人気出ないと思う」


 真由が不服そうに言う。


「いいの!主人公を立ててあげるのよ!そうと決まったら、やるわよ!」


 理央が私と真由の背中を押しながら、収蔵庫の奥へ向かって歩き出した。


 


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