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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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過去2 因縁の森へ⑤


 暖かな場所では桜が咲き始めた頃、私は弟の運転する車に乗って、山道を走っていた。今日はこれから大叔父の学校へ挨拶に行き、そのまま職員宿舎に引っ越しをする予定になっている。


 後部座席には段ボール箱が三つ。必要最低限の洋服と仕事道具と日用品が入ったそれらは、時折車の振動で揺れて、箱の中で物がぶつかり合う音がした。私はその度、心配で後ろを振り返る。


「しっかし、大叔父さんもよくこんな山奥に学校なんて作ったよな」


 弟がステアリングを緩く切りながら、降り注ぐ木漏れ日を見上げる。


「こんな閉鎖的な場所で芸術活動とは、世の中には変わった奴らがいるもんだ」


 私は窓から入ってくる爽やかな風に、思い切り息を吸う。まだ春になりきっていない冷たい空気なのに、不思議と柔らかく体内に入ってくる。


「きっと、こういう場所だからいいんじゃないかな?」

「俗に侵されないから?」

「あとは静かで集中できるから、とかね」

「ふーん。俺なんてゲーセンもコンビニもない所じゃ、絶対に生活なんてしたくないけどね」

「そりゃあ、あんたには極めるものがないからでしょ」


 そう言って笑うと、弟が文句を言いながら肘で私を突いた。


「姉ちゃん、こんな山奥で生活して大丈夫なの?母さんも心配してたし」

「大丈夫。定期検診にはちゃんと行くし、今までだって何もなかったんだから。それに、病院の先生にも許可は取ってあるからさ」

「そっか」

「あなたこそ、身重のお嫁さん大事にしなよ」

「もちろん」


 そこで車は目的地に着いた。事前の話しでは校門で職員が待っているはずだけど、見回しても誰もいない。


「なんかすげー豪華な建物だな。知らなきゃ学校だなんて思わないよ。ホテルみたいだ」


 弟の言葉に頷きつつ、駐車場はどう行くのだろうかと迷っていると、正面玄関の大きなドアから若い男性が走って出てきた。Tシャツの上に薄手のジャージを着て、髪を短く刈り上げている。生徒ではなさそうなので、教員なのかもしれない。


 彼は助手席側の窓を覗くと、頭を下げた。


「遅くなってすみせん、駐車場は左手奥になります。広場の奥に道があるので、まっすぐ進んでください。体育館を通り過ぎるとすぐに見えますので。駐車場の前に橄欖色の建物があるので、そこが職員室になります。一階の玄関でお待ちしてます」

「ご丁寧にありがとう」


 彼が離れるのを確認すると、車を進める。


「か、かんらんしょく?の建物?」

「うん、橄欖色。深緑色の建物ってことよ」

「へぇー。だったら深緑色でいいじゃん」

「ニュアンスが違うの」

「へぇー」


 石畳の道を進み木造の体育館を過ぎると、バラの木に囲まれた小さな駐車場が見えた。


「あれが駐車場ね。で、こっちが職員室」


 言われた通りの色をした職員室は背の長い二階建てで、それぞれの窓には湾曲した柵がつけられていた。外壁に幾つもの細工が施されているので、まるでヨーロッパの古い建物を移築したよう。


「じゃあ職員玄関ってあそこのことかな?」

「そうっぽいね」


 車を降り、弟とポーチへ向かって歩いていく。


「大叔父さんって、こんなに金持ちだったんだね」

「うん。それに、その道の人たちから随分支援は受けてるみたい。なにせ高校から専門的に学べる場所なんてかなり少ないからね」


 丸い屋根のついた入り口を入ると、中は小さな洞窟のようになっていた。窓がひとつも無く、室内は暗いので、等間隔につけられたランプの明かりがぼんやりと廊下を灯している。


 ドアまで行くと、さっき案内してくれた男性がやって来て、スリッパを出してくれた。


「自己紹介が遅くなりましたが、ここで体育教師をしている関谷と言います。理事長室までご案内しますので、ついてきてください」

「よろしくお願いします」


 私と弟は、関谷先生に倣ってきびきびと歩き出す。暗い廊下を歩き、光の刺す曲がり角を折れると、突然目をしかめるほど明るくて広い空間に出た。


「うわ、凄い……」


 そこは、そう言わずにはいられないほど華美な空間になっていた。


「壁側の部屋が職員室になります。一階が各学年の職員室で、二階には会議室や校長室があります。後ほど詳しく案内しますね」


 建物の中央は大きな螺旋階段になっていて、片面は中庭を眺めるように二階の天井まで一面ガラス張りになっている。その向かって反対側は、濃いオレンジ色をした壁に、上部がアーチ型になった扉がいくつも並べられていた。きっとそこが職員室のドアだろう。そして更に驚いたのは、床一面に深紅の絨毯が敷かれていたことだった。すり減りなどなく、汚れひとつない状態。


 古風な雰囲気がありつつ、近代美術館のようなモダンさも兼ね備えていて、ここが校舎の一部だなんて言われたってすぐには信じられない。


「なんか凄い建物ですね、ここが日本だってことを忘れるし、ましてや学校だなんて思えない……」


 弟が驚嘆の声をあげ、螺旋階段を登りながらあちこちに触れてまわる。


「絢爛さで言えば類を見ないですよね。ここも手が込んでますけど、教室の方はもっと煌びやかですよ」


 関谷先生は自慢気な顔で私たちの様子を確かめると、気を使って歩く速度を緩めた。


「理事長との話が済んだら、教室の方をざっと見て、それから職員宿舎へ案内しますね」


 階段を登り終えると右手奥の廊下を進み、ブロック毎に花の彫刻がされた大きな扉の前で止まった。そこで関谷先生はノックをする。


 間を空けずに扉を開けたのは、スーツ姿の若い女性だった。


「お待ちしておりました。お入りください」


 姉弟共々、恐縮しながら中へ入ると、いつも通り着物姿の大叔父が、膝の上のPCをそっと閉じて立ち上がった。


「遠路遥々お疲れ様。途中で迷わなかったかな?」

「はい。山道へ入ってからは一本道だったので、迷わずに来られました」


 私を差し置いて返事をする弟に、大叔父は孫を見るように優しく微笑みかける。

「それは良かった」


 ペルシャ絨毯が敷かれた理事長室にはシャンデリアが垂れ下がり、窓の上部には全体的に同じ色調のステンドグラスがはめられていた。お屋敷の書斎よりは物も少なくシンプルにまとめられているけど、贅を尽くした内装になっているのは間違いなかった。


 大叔父に促されるままソファへ座ると、正面の壁に掛けられた、百号を軽く越える大きな油絵が目に飛び込んできた。そこには月明かりに浮かぶ、白いドレスを着た少女の後ろ姿が描かれていた。


「大きな絵ですね」


 弟が大きさにだけ感心したように言う。


「卒業生が在学中に描いたものなんだよ。ずっと倉庫に入れてたんじゃ“彼女”が可哀想だから、こうして飾ってあるんだ。あ、こっちは秘書の筧さん。主に私のスケジュール管理をしてくれているんだよ」


 私はお茶を運んできた筧さんに対し、立ち上がってお辞儀をした。


「来年度からお世話になります。高校での指導は初めてですので、ご迷惑をおかけするかと思いますが、よろしくお願いします」

「こちらこそ。学校のことで何か分からなかいことがあれば、何でも聞いてくださいね」


 筧さんの迷いのない瞳と、大きな唇がはっきりと動く様は、正にこれほど豪華な部屋で働くにはぴったりな人だと思った。



 そうして大叔父への挨拶を済ませると、今日は校長先生が不在とのことで、私は弟と一緒に関谷先生に校舎を案内してもらうことにした。


 理事長室を後にした途端、横を歩く弟が盛大なため息を漏らす。


「あー緊張した。うちの社長室とは次元が違う」


 その様子を見て関谷先生が笑う。


「俺も、最初はとんでもないところに来たと思いましたよ」

「姉ちゃん、こんなお城みたいなところで、金持ちんちのエリート達にちゃんと教えられるの?」

「それは……」


 弟の質問に答えられないでいると、関谷先生が笑いながら言ってくれた。


「それなら大丈夫。生徒は芸術スキルを除けば普通の学生だし、別にお金持ちばかりが通ってる訳ではないですから」

「うちの姉ちゃん、終わりかけのシャンプーに水入れるタイプなんですよ。凡人感が出ないかまじで心配」


 言い終えないうちに私は弟の頭へ右腕をフルスイングして、命中して痛がってるところへ今度はヘッドロックをかける。この愚弟には、このくらいやらねば女心というものが伝わらないのだ。


「それなら俺も。買い替えがない時とか……」

「ですよね!教師って忙しいですもんね!」


 失神しかけた弟を引きずって職員室を抜け、渡り廊下へ出ると、先ほど車で横を通過した校舎が目の前に現れた。


「この建物が正面玄関と、一年生の教室が入った校舎になります」


 関谷先生が、幾重もの曲線が彫られた白い両扉を開ける。するとその向こうは、二階のステンドグラスから無数に差し込む極彩色の光で、幻想的な世界になっていた。白亜の壁が、何色もの光で美しく染められている。


「凄い……」

「大聖堂みたい……」


 この建物も二階部分まで吹き抜けになっていて、剥き出しの螺旋階段が中央に円を描いている。よく見ると壁や太い柱の隅々にまで、細かい彫刻がされていた。


 先ほどの職員室と違うのは、校舎の片側の両隅に四分円の形をした壁と、ドアがあることだ。


「まさか、あの円形の壁が教室?」


 弟が指を指して聞く。


「はい。一年生は四クラスあるので、一階と二階に二つずつクラスが分かれてます。なので、二階で授業をする先生や生徒たちは、二階の回廊伝えに職員室や他の校舎へ行き来することになります。渡り廊下はどこの校舎も各階にあるので、便利な方を使ってください」


 今まで校舎の中はパンフレットでしか見たことがなかったけど、こんな風になっていたとは驚いた。


「教室の中はまた後ほど。次は二年生の校舎へ行きましょう」


 校舎内の所々にあるレプリカの石膏像や絵画を見渡しながら、正面玄関を横切り、私たちはコの字型になった縦線の部分に入った。


 ここも一年生の校舎からは渡り廊下を使う。つまり学年毎に分けられた校舎は、それぞれが独立した建物になっているということだ。


 二年生の校舎も先ほどと同様に、ステンドグラスから光が差し込んでいる。けれど、吹き抜けにはなっていないし、教室は真四角に四つ並べられていた。


「なんか普通だな、二年生の校舎は」


 弟が呟く。


「二年生からは教室が多くなるんです。というか、丸一日同じメンバーで同じ授業を受けるという意味でのクラスは存在しません」

「え?それって……」


 今度は私が聞く。


「アメリカの学校みたいに、各々が好きに科目を組んで授業を受けに行くシステムになってるんです。これは三年生も同様です。なのでこの校舎の二階までは教科毎の教室があって、創作をする時は三階まで登ります。三階は三つの教室があって、何を作るかで教室が変わります。例えば、油絵と彫刻は別々の教室になってます」

「なるほど。絵を描いてるのに彫刻刀が飛んできたら危ないですもんね」

「その通り!ホームルーム用のクラス分けはされるので、朝と帰りは同じメンバーで顔を合わせることになりますがね」


 笑顔の関谷先生がわざと弟の冗談に乗っかるのを見て、悪い人ではなさそうだと思った。


「さ、次の校舎へ行きましょう」


 私たちは更に奥へと続く渡り廊下を進む。着いた先は、三年生の校舎だった。






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