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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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過去2 因縁の森へ③


「それで盛大にお祝いされちゃって、何にも食べられないってわけね?」

「ごめんなさい、本当に。でも吉井さんはどんどん食べて!」

「そんなこと言われてもなぁ。こいうのって、二人で食べるから美味しいんだし」


 吉井さんはアイスコーヒーにミルクを入れると、抗議の為か黒いストローでそれをガチャガチャと乱暴にかき回した。


 大叔父のお屋敷へ行った帰り、私は吉井さんと今話題のカフェで待ち合わせをした。本当ならここで巨大なパンケーキを二人で食べるはずだったのに、つい勧められるまま大叔母お手製の料理を食べ過ぎてしまったせいで、私は甘いものすら受けつけないほど、満腹状態になってしまっている。


「ま、いいけどね、ダイエット中だし」

「ごめんなさい」

「それで、何か話があるんでしょう?」


 私はレモネードをもてあそびながら、吉井さんに大叔父の学校へ行けそうなことを話した。吉井さんとは病気のこと以外でも友人として度々会っていたので、今回の出世話もすんなり理解してくれた。


「良かったじゃん!念願の学校に行けるなんて!」

「うん、忙しくても細々描いてきた甲斐があった。本当にラッキー」


 ピースサインをすると、吉井さんが拍手で祝福してくれる。


「でも紗夜ちゃんって、そもそもなんで大叔父さんの学校に行きたかったんだっけ?」

「なんでだっけ……うーん、やっぱ名誉かな?」


 私は本音を誤魔化しながら、適当にそれっぽいのとを言ってみる。


「あのピュアで謙虚な紗夜ちゃんもとうとう名誉が欲しくなりましたかー。そりゃ私も老けるわけだよ」

「安心して!私も順調に老けてるから!」


 声に出して笑いながら、吉井さんは飲みかけのコーヒーにガムシロップを加えた。


「で、例の彼はどうするの?」

「どうって?」

「今年、受験でしょう?受かったら入ってくるわよ?」


 同僚の被害報告を相談と称して常々しているせいか、吉井さんは高田くんの話題を顔をしかめながら言う。


「芸術は爆発だー!の方向ならいいけどさ、実際に校舎爆破されたらどうするのよ」

「それってやっぱり私のせいになるのかな?」


 私は着火ボタンを握りしめる高田くんを思い浮かべる。彼がニヤリと振り返ると、その瞬間、ドカーンと盛大な火柱が……。


「教科担任の責任は重いわよねー」

「えー!私、週に数時間しか会わないのに影響力ありすぎ!」


 周囲の騒音に負けじと大声で笑っていると、だんだんと胃に隙間ができてきて、私は吉井さんと共にパンケーキを注文した。


「ほらね、甘いものは別腹よ」

「ダイエットの邪魔して申し訳ないですね」

「夕飯をスルメにすれば何の問題もないわ」


 注文後しばらくしてから運ばれてきたふわっふわのパンケーキにナイフを入れると、何とも幸せな気持ちになった。心臓移植に伴う一生ものの食事制限はあるものの、ある程度の食の自由が許されているのは有難かった。


 吉井さんは大きな口でパンケーキを頬張る。私に負けないくらい幸せなそうな顔で。


「う〜ん、評判通りの味!」


 未婚の私は上品に、小さめにカットしてからそれを口に入れた。ひたすら甘くて、けれどそれがとても美味しい。


「でもさ、紗夜ちゃんから職場の愚痴を聞くと安心するよ。夢の話をしてくれた直後なんて、毎日のように私に電話してきたじゃない。また夢を見た〜って。こうして普通に暮らせて、本当に良かった」


 私は当時のことを思い返してみる。それはもう色褪せてしまった思い出で、なんだか幼い頃に見た夢のように遠いものに感じた。


 お風呂や着替えの度に胸の傷痕を見ても、もうなんとも思わないくらい、私はこの心臓と共に長い時間を生きてきたんだ。


「あの頃はドナーを待ってる時より辛かったな」


 私は次に口へ入れる分のパンケーキをカットしながら呟く。


「ずっと同じ夢を見て、それが現実世界みたいにリアルで……。でも、高校へ入った辺りからぱったり見なくなったかな」

「精神的に安定したんだろうね」


 吉井さんが微笑む。


「私ね、私が私じゃなくなるのが一番の恐怖だったの。けど、変化に反発せずに、やりたいことを素直にやろうって決意してから、急に何かに許されたみたいに楽になって……」


 それで、私はこの心臓と一心同体になれたんだ。


「私は移植前から紗夜ちゃんのこと知ってるけど、あなたは昔も今も、ちゃんと変わらずに紗夜ちゃんよ?」

「変わらずに私って?」

「例えば、イライラしてる時に洋服のボタンをいじる癖とかね」


 吉井さんは、私が着ているワンピースのボタンを指差す。


「私、そんなことしてる?」

「してるしてる!病院食が足りなくてお腹が空いたとか、診察予約がずれて学校に間に合わないとかさ。シャツの胸元のボタンが取れるんじゃないかっていつも心配だったんだから。いつもこうやってさ、怖い顔してカリカリって!」

「やだやだ!そんなこと絶対にしてないって!」

「しーてーた!」

「しーてーなーいー!」


 そうして私たちは、また大きな声で笑い合った。



 私は笑いながら、私がこれまで辿ってきた道を振り返っていた。



 この心臓は待っている。



 密かに“その時”が来るのを待っている。



 私はその意思が年々強くなっていくのを確かに感じていた。



 でも、私はもう臆病な子供じゃない。



 心臓を貰った以上、この心臓の持ち主の為に少しでも協力しようという覚悟はできている。



 それがこの心臓が私の胸の中で動く、いわば対価みたいなものだから。



 記憶は確かに色褪せているけれど、私は全て覚えている。



 あの場所に、どうしても行かねばならなかった。



 そしてそこで、真実を探す。



 だから、大叔父の学校へ入れるように、人知れず寝る間も惜しんで絵を描き続けてきた。



 大叔父の学校こそが、きっとこの心臓が求めてる場所だから。



 やっと辿り着いた。



 ここが、スタートライン。



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