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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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過去2 因縁の森へ②



 やっと春の気配を感じはじめた週末。私はクローゼットの中で一番値の張るワンピースを着て、梅の花が咲く日本庭園を眺めていた。


 というのも、つい二日前に大叔父から呼ばれ、急遽全ての予定をキャンセルして大叔父の本邸であるこのお屋敷にやって来た。詳しい用件は聞かされていないけれど、大叔父の学校に関することでまず間違いないと、今日は就職面接のつもりで参上した次第。


 私は暖かな日射しが降り注ぐ外廊下に座布団を敷いてもらい、その上に背筋を伸ばして正座をしている。なんとも麗らかなシーンなはずなのに、内心は緊張で今にも吐いてしまいそうだった。


「良かったらお使いください」


 年配のお手伝いさんが、新しいお茶と、気を使って薄手のひざ掛けを持ってきてくれる。


「ありがとうございます」

「もう間もなくお見えになるかと思いますが、寒いようでしたら遠慮なく中へお入りくださいね」


 お辞儀さえぎこちない私の動作に、お手伝いさんが「どうかお寛ぎください」と柔らかな笑みを浮かべてくれた。


 私は会釈をして庭園に視線を移す。


 庭の中央に施された池には小さな石橋が掛かっていて、今しがたそこへ舞い降りたウグイスが二羽、じゃれ合いながら羽を休めている。せっかくなら淡色の花弁を広げている梅の木に留まればいいのに、と思ったのも束の間、二羽とも後方の松林へあっという間に飛び去ってしまった。


「紗夜ちゃん、お待たせ」


 後ろから春風のように軽やかな声がして、心臓が大きく跳ね上がる。


「大叔母様、ご無沙汰しております」


 私は急いで座布団から下りると、指をついて深く頭を下げた。


「ごめんなさいね、長らく寒いところで待たせてしまって。この庭ね、主人が何十年もこつこつ世話して広くしたものなの。あの人、せっかくだから紗夜ちゃんに見ていって欲しいって聞かないものだから」

「いえ、こちらこそ贅沢な時間を過ごさせてもらいました。梅の花も見頃ですし」

「来月には桜が待ってるわ。夜には明かりも灯すから、是非いらしてね。さぁ、奥の部屋へご案内しましょう。立てるかしら?」


 私は痺れた足をなんとか立たせ、大叔母の後ろを厳かについていく。どこをどう来たのか、方角すら曖昧になる日本家屋の廊下を進んでいくと、襖の中に一ヶ所、重厚な木の引き戸が現れた。


 大叔母が四回ノックをする。


「あなた、紗夜ちゃんをお連れしましたよ」


 中から低い声で返事が聞こえ、大叔母は引き戸を開けた。


「いらっしゃい、紗夜。さぁ、入った入った」


 通された部屋は二十畳ほどの洋間になっていて、正面の机で大叔父は書類をまとめていた。


 私は丁寧に挨拶をして部屋に足を踏み入れる。会うときは決まって着物姿の大叔父には珍しく、今日はかぎ編みのセーターとチノパンというラフな格好をしていた。


「この時期は一年で一番忙しい時期でね。急な仕事が入ってしまったんだ。待たせてしまって申し訳ない」


 大叔父はそうにっこり笑い、手前のソファーへ移動してくる。いつも忙しい大叔父とは数回程度しか会ったことがないけれど、全体的なイメージは子供の頃から何も変わってない。昔も今も大きな体に有無を言わさない目力のある顔をしていて、目の前にくると圧倒されてしまう。


 大叔父は分厚い手を差し出し、自分の前へ座るように指示したので、私は深く沈み込む皮張りのソファーへ腰掛けた。


「一時はどうなるかと思ったが、元気に暮らしている様で安心してるよ」

「その節は色々とお世話になりました」


 移植後、会うたびに交わされる定型文に私は頭を下げた。色々とは母から聞いた「色々」という言葉をそのまま使っているので、具体的になにをどう世話になったかは分からない。けれど、深く心配してくれていたことは確かだったので、私も毎回素直に感謝を述べている。


 私の姿を見てうんうんと頷く大叔父に、なにも問題はないですよ、と伝えるつもりで、上品を気取って微笑んでみせた。


「それで、紗夜。さっそく本題なんだけれど」


 大叔父が私と目線を合わせるように、上体を屈める。私は姿勢を保ったまま、次の言葉を待った。


「庭、どうだったかな?」

「お庭ですか?」


 想像していたものと違った本題に、私は慌てて誉め言葉を探した。大叔父はそんな私の顔を真正面から見つめると、組んでいた手をほどいて右手を上げた。


「ああ、いいんだ。こちらの勝手な趣味を、無理に誉めさせるのはよくないね」


 そこへ大叔母が紅茶とお茶菓子、それから画用紙と何本かの色鉛筆を目の前のテーブルの上へ置いた。


 大叔父は楽しそうにそれらに視線を落としたあと、私を見た。


「さっき見た庭の印象を、この紙に描いてくれないかな」

「え?」

「誉めても貶してもいいんだ。ただし、感じたものを素直に表して欲しい。時間はそうだなぁ、十分でいいかな」


 大叔父が大叔母へ視線を向けると、大叔母が微笑みながら頷いた。


「簡単なものでいいのよ。楽しみだわ、ねぇ、あなた」


 私が怪訝な顔をしている間に、大叔父は机で電話をかけ始め、大叔母は出窓の花瓶の手入れをしだしてしまった。


 私は時計を確認すると、意図がわからないまま課題に取りかかる。この慌ただしい感じが美大生の頃を思い出させて、焦ると同時になんだかとても懐かしい気持ちになった。


 制限時間に一分半の余裕を持って色鉛筆を置いた私は、猫舌にはいい頃合いになった紅茶で口の中を潤す。こんなことになるなら、もっと真剣に庭を眺めておけばよかった。新学期が落ち着いたら日本庭園の勉強でもしておこうか。若干の疲労の中、今さら遅いがそんなことを考えた。


「できた?」


 ひと息つく私の様子に気がついたのか、大叔母が近寄ってくる。


「はい、本当に簡単なんですけど……」

「どれ?あら、素敵。ウグイスね。綺麗なグラデーション」


 大叔母が隣に座り、画用紙を手に取る。


「先ほど池泉にウグイスが遊びに来ていたんです」

「そうだったのね」


 するとそこで


「この辺の野鳥の多くがここへ来ているみたいだからね。どれ、私にも見せてみなさい」


 と、私たちの会話に受話器を置いた大叔父も加わった。


「ほう……実に春らしい……」


 そう言うと、大叔父は言葉もなく絵に見入ってしまったので、私は居ても立っても居られない緊張で自然と左腕をさすった。


「うちの庭ね、広さで言えば東京ドーム二個分もあるのよ」


 座を持たせようとしてくれたのか、大叔母がガラスのティーポットに熱湯を注ぎながら、私に庭園の説明をしてくれた。


 どうやらこの家屋から見える庭の範囲は全体の四分の一程度で、松林の向こうには桜の林や、二つ目の池の傍らには離れもあるらしい。常々腕のいい庭師が入ってくれているお陰で庭が整い、季節毎に違った風情になるという。


 その庭師というのも元は大叔父の学校を出ているようで、大叔母は誇らしげに語ってくれた。


「よし、紗夜の実力はよく分かった」


 やっと顔を上げた大叔父が、画用紙を茶封筒に仕舞いながら腰を上げた。


「紗夜のコンクールの受賞歴は知美……いや、お母さんから全て教えてもらっているよ。忙しいのになかなか頑張ってるじゃないか。ペースさえ保てれば、団体の会員になれるという話も聞いた」

「教師をしていると、なかなか作品を仕上げる時間がなくて…」


 私は大叔父の誉め言葉を謙遜しなかった。


 この場で自分の実力をむやみに否定する余裕はない。あなたと一緒に仕事がしたい。今はその言葉を飲み込むことで精一杯だった。


「今は何年生を受け持っているの?」


 大叔母が聞く。


「今は一年生の副担任をしています」

「部活指導は?」

「美術部の顧問です。と言っても、週に三日程度ですが」


 大叔父は頷くと、机から取り出してきたA4サイズの茶封筒を私の前に差し出した。


「うちの高校の案内が入ってる。やや厚いが、読んでもらえないかな?」


 私はついに来た歓喜の瞬間に顔を上げ、大叔父を見つめた。


「それって」

「もうあまり時間がないから、来週中には返事がほしい。紗夜の条件さえよければ、是非ともうちで」


 私は嬉しくて、文字通り飛び上がった。


「条件なんて大丈夫です。できる限り、どんなことでも致します。よろしくお願いします!」


 今日一番、深々と頭を下げると、大叔母は「なら、お祝いをしなくっちゃ!」と張り切って部屋を出て行った。


 今にも駆け出しそうな私に「まぁまぁ、座りなさい」と言う大叔父は相変わらず優しい顔で、私のことをじっと見ている。


 すると、


「そうだ。紗夜、一つだけ教えてあげよう」


 と、大叔父が悪戯っぽく笑った。


「はい」

「あの絵の鳥は、さっき庭に来ていた鳥は、ウグイスではないんだよ?」

「え……?」


 まさか見間違えるはずは……と困惑する私に、大叔父は本棚から分厚い辞典を取り出してきた。


「あれはメジロだ。ウグイスじゃない」

「緑色の……」

「そう、ウグイス色をした鳥はメジロだ、そら」


 よいしょ、と鳥類辞典をテーブルに置くと、索引を調べてメジロのページを出した。


 「あぁ……」としか声が出なかった。確かにウグイスの写真の下に『メジロ』と書いてある。なんでも、目の周りが白いからメジロ。鳴き声も『チーチー』となっている。


「紗夜に大切な仕事ができたな」


 大叔父は愉快そうに言う。


「この一年で全ての生徒に、ウグイスの本当の姿と、イメージしてるウグイスが本当はメジロであることを教え込むんだ。分かったね?」

「はい。必ず」


 私は頷き、高校生の前に立つ自分の姿を想像した。目の前の学生たちは、みんな才能を持った宝石の原石たち。その一つ一つを丁寧に磨いていく充実した日々。そんな輝かしい想像という妄想に、思わずにやけてしまいそうになる。


「しかし、メジロなのにウグイス色とは参ったものだな」


 そんなことを呟く大叔父のチノパンは、綺麗なウグイス色をしていた。





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