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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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現在2 探検とゴースト③


 裏門から部室へ行くには、まず職員室が入っている建物を横切り、部室棟を越え、更に奥へと続く一本道を歩いて行かなければならない。


 美術部は他の部室と違って独立した一つの建物になっているので、通うのにやや不便なのが難点だった。例えば雨降りの日も、部室棟へはあまり濡れずに行けるのに、美術部へは傘をささねば行くことができない。雪の日も然り。


 けれど美術部の建物はアンティークの煉瓦造りで見た目に美しく、周囲の白樺と桜の樹がそれをより幻想的に見せてくれるので、多少不便でも人気は高く、密かなデートスポットにもなっていた。シングルの美術部員にとっては迷惑な話だけれど、それが部員たちにプライドと創造力を与えていたのは事実だった。


 私たちは裏門へ着くと、なるべく在校生に見つからないように、校舎からやや距離をとって塀伝いに行くことにした。


「それで、あなたの近況は?」


 心美が理央を振り返る。


「別に。二人みたいに何か大きな変化があるわけじゃないから、特に言っておくことはないわよ。何か面白いこともないし。……あ、今朝解禁になった情報なら教えられるけど」

「一応、聞いておく」


 私と心美で即答する。目の前にいるのは、何年も生活を共にした古い友人とはいえ、仮にも超がつく有名芸能人なのだ。聞いておいて損はない。


「今度、去年の夏に直木賞をとったミステリー小説が映画化されるんだけど、それに出演するの。犯人役で」


 理央の言葉に、心美の顔が明らかに曇る。


 言いたいことは言っておく理央の性格上、仕方ないとは思いつつ、心美に同情する。ミステリー作品なのに犯人を言っちゃうのは、間違いなく重罪だ。


「そういうデリカシーの無さって昔から変わらないよね」

「どうせ観に来る気なんてないでしょう?」

「濃厚ラブシーンのところだけ観に行くわよ。原作でも売りだったシーンみたいだし」


 心美がニヤニヤしながら理央を見る。


 私は顔が赤くなる前に二人の背後に回った。


「いやだ、今から憂鬱にしてるシーンのこと言わないでよ!もうすぐ恐怖のジムトレがはじまるんだから!走って、ダンベル持って、また走るのよ!」

「期待してる。三十路の経験値をたっぷり見せつけてきてよ」


 私は頭の奥深くに沈めた記憶が呼び起こられる前に、話題が変わってくれることを切に願った。



 軽快に歩き、塀の角に近づいた辺りで、木々の間から美術部の建物が見えた。私たちは部室の裏側からそっと表に周り、外階段の下に立つ。


「なんだか、静かね」


 十四年ぶりに見る部室はなにも変わりなく、壁に絡むアイビーは少しだけ紅葉していた。


 二階建ての部室は、一階がパソコンルームと講義室になっていて、二階がアトリエと画材室になっている。普段から主に活動をしているのは二階なので、上から声が聞こえてもおかしくないのに、今日は物音一つしなかった。


「お出かけじゃない?みんなで美術展にでも行ってるのよ。私たちには好都合ね」


 心美がそう言って階段を上りはじめる。


 煉瓦に滑り止めが施された階段を上りきると、奥に続く廊下を歩き、曇りガラスがはめ込まれたドアの前で止まった。

 この向こうにはアトリエがある。


「えっとー、鍵は……」

「はいはい」


 待ってましたと言わんばかりにポケットから鍵を出す理央に、心美はぎょっとした顔をする。


「それ、どうしたの?」


 唖然とする心美の代わりに私が訊ねる。


「思い出よ、思い出。この鍵を眺めては学生時代を思い出そうと思ってスペアを作っておいたの。まぁ、卒業してから触るのは、今回がはじめてなんだけどね」


 理央の変わった収集癖には、驚きを通り越して不安になる。


「はい、開きました!」


 理央がものの一秒で鍵を開けてみせると、私たちはそそくさと中へ入った。



 アトリエの中は壁際にいくつかのイーゼルが置かれているだけで、中央はがらりとしていた。


「懐かしい」

「部屋も匂いもそのままね」

「何だか実家に帰ったみたい」


 笑って、泣いて、悩んだあの頃の様々な記憶が、一気に天井から降ってくるような感覚に陥った。


 この十四年間で、私は想像していた以上のものを忘れていたらしい。私たちのことだけじゃない、クラスメイトのこと、教職員のこと、学校行事のこと。思い出のピースが繋がっていく度に、私はこの場所の存在感の大きさに圧倒された。


「私、忘れてることが沢山ある」


 私の横で心美が呟く。


「思い出さなきゃいけないことが沢山ある……」


 続けて心美の声が耳に届いたのと同時に、外階段を上がってくる足音が聞こえた。音の重なり方からして、二人いることは明白だった。


「大変!誰か来た!」


 不正コピーをした鍵で不法侵入した私たちは、ドアの鍵を閉め直すと、大慌てで部室の奥の部屋に入ってドアを閉めた。


 あまりの緊張に、鼓動が大きくなる。


 アトリエの鍵が開く音の後に、二人が部屋に入ってくる音がした。私はただ緊張し、心美は言い訳を考え、理央は横目で逃げ道を探しているに違いない三人は、それぞれの体勢で身を固くして、ドアに耳を張りつけた。


 部屋に入ってきたどちらかが、窓を開ける。


 その時、急に体が動かなくなった。金縛りみたいに手も足も、声すら出すことができない。


 パニックになりながらも向こう側の様子に耳をそばだてていると、私は信じられない声を聞いた。


「ねぇ先生、この前のプロポーズのこと、考えてくれましたか?」


 突然ドアの向こうからセツナの声がした。


 余りにも予想外な出来事に、頭の中が錯乱状態になる。


 これは幻聴?


 違う。


 ドアの向こうから聞こえるのは、紛れもなくセツナの声だ。


「もう、困らせないでよ」


 もう一人の声を聞いて、私は更に驚いた。


 その声は私たちのクラス担任をしていた、紗夜ちゃんのものだった。


 こんなに驚いているのに、唾さえ飲み込めないこの状態がとても辛い。


「困らせてる訳じゃないんです。ただ、傍にいたいんです」

 二人がどういう状況なのかは分からない。けれど、そこにいるはずではない人間がいることに、私は恐怖を覚えた。

「あなたまだ学生よ?これから大学へも行くんだし……。それに、私とじゃ歳の差がありすぎるから」

「そんなのは問題じゃない」


 セツナが穏やかでいて、しかし芯の強い口調できっぱりと言う。


「一緒にいさせてください。それだけでいいんです……守らせてください……」


 そこで二人の会話は途切れ、しばらくの沈黙が続いた。


 相変わらず体は硬直していて、にじみ出る脂汗が不快だった。


「待って、これ以上はだめ。藤堂先生に叱られてしまうから」

「またあの人か……」


 私は心美の体を掴もうと必死に腕を動かそうとした。けれど気持ちとは裏腹に、やっぱり体は微動だにしなかった。


「そんなこと言わないの。お父さんでしょ」

「父親だなんて思ったことない」

「いいから、今は勉強に集中して。分かった?」


 セツナは何かを言いかけたのに、どうやら最後まで言わずに出ていってしまったらしい。


 残された紗夜ちゃんの深いため息が聞こえた。


「何とかしなきゃ……私の手で……」


 そう追い詰められたように呟くと、紗夜ちゃんはヒールの音を立てて部屋を出ていき、最後に扉の鍵が閉まる音がした。


 それをきっかけに、金縛りから解放された。


 ずっと体を動かそうと力を入れていたので、勢い余って私は床に両手をつく。


「ねぇ、あれ……あの声……」


 心美と理央も同じように硬直してたのか、三人とも疲れきった蒼白な顔で見つめ合う。


「セツナの声だった。セツナと、紗夜ちゃん……」


 私が言うと、心美は理央を睨んだ。


「セツナ、死んだんじゃないの?」

「死んだわ。死んだ。この目で見た」


 理央は力なく机の上へ腰かけると、両手で顔を覆って俯いた。


「じゃあ、今の声は?似てただけ?」


 私がそう心美に問うも、返事をしたのは理央だった。


「聞き間違えるわけないわ。私、三年間セツナと同じ部屋で生活してたのよ……」


 大きな手から漏れるその声は、今にも消えてしまいそうなほど頼りなかった。


 心美が立ち上り、部屋の小窓から外を見る。しばらく黙って観察していたけれど、どうやらセツナの姿は確認できなかったらしい。心美はこちらを振り返った。


「体が動かなかったのは、みんな同じ?」


 私は黙って頷く。


 心美が続ける。


「じゃあ、今のが仮に本物のセツナだとしたら、紗夜ちゃんが言ってた、これからセツナが大学へ行くって話しは何か分かる?」


 今度は首を横に振る。理央も、何も答えない。


「学校でもおかしな事態になってるのか」


 心美は困ったように頭を掻くと、私の手を握って立たせてくれた。


「それじゃあ、これから職員室に行こう。紗夜ちゃんがいるはずだし、こうなったら本人に直接聞いた方がいい」


 心美の言葉に、理央が顔を上げる。


「そうね。紗夜ちゃんなら、私たちがここにいても咎めることは絶対にしないわ。それに、セツナのことも分かる」

 少しでも不安要素を取り除きたい私も、心美の提案に賛成した。


「よし、行動開始!」


 心美が張り切った声を出すと、小部屋のドアを開けた。





 私たちが部屋から出ると、アトリエの窓の外には紅葉が深く色づく秋の景色が広がっていた。


 慌てる私たちをよそに、心美はそれを静かに見つめていた。




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