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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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現在2 探検とゴースト②


 決死の思いで玄関へ飛び込むと、呆気なく開いたドアの外に三人束になって放り出された。それぞれの乱れた息が、玄関ポーチに重なって響く。


 たった数十メートルのダッシュで、三人ともこの有り様。


あまりの恐怖に息を止めて走ったものの、この心拍数はいただけない。加齢というのは、こういうふとした時に感じられる。ああ、私たちはもう高校生ではないんだな。


 なんとか立ち上がった理央がフラフラとウッドデッキまで歩くと、焦った……とひとりごちた。


「焦ったのはこっちよ。開くじゃない、ドア!」


 心美が不機嫌な声で理央を責める。


「それにさ、オーブンがなくてもコンロとフライパンがあれば充分に料理できるから。むしろオーブンなんて滅多に使わないから。そもそも冷蔵庫に食材が入ってる保証なんてないから!」

「分かってるわよ!うるさいわね!自分だって必死こいて玄関まで走って来たくせに!」


 心美が捲し立てると、負けじと理央も言い返す。


 はぁ。はじまってしまった。


「あんたがそれっぽい感じで『魔女の呪い』とか言うからでしょうが!」

「だってそう思ったんだもん!!」

「はいはい、心美も理央も落ち着いて!」


 私は喧嘩が長引く前に、二人の間に割って入る。


「魔女の存在は否定しきれないけど、とりあえず呪いはなかったってことでさ。安心して続きやろ?」


 私が玄関を指差すと、二人とも口を閉じて素直に家の中へ戻っていった。


 そんな二人の様子を見ながら、私は頭をかしげる。辺りをぐるりと見回してみても、やっぱり変わったところはない。けれど、このログハウスへ入った時に感じた強い違和感はなんなのだろうか。その違和感の正体を探しつつ、私は最後に玄関をくぐった。


「さてと、あとは納戸と、先生が使ってたアトリエね!」


 理央がリビングを横断しながら腕まくりをする。


 もしかしてやる気なの?魔女とばったり出くわしたら。


「じゃあ理央はアトリエお願いね」


 理央のみなぎるやる気に、心美が笑顔で返す。


「え?私一人で?」

「もちろん。私と真由は納戸を見るわ。後で魔女の呪いが発動した時のために、食料がないか確かめなきゃ」


 皮肉まじりな心美が、理央の背中を押してアトリエの前に立たせる。


「心美、あんた私を魔女に売る気ね」

「あんただって魔女みたいなもんでしょ。同類なんだから話つけてきなさいよ」

「くっ、呪ってやるわ……激しく呪ってやるわ」

「言っておくけど、玄関と冷蔵庫とオーブンを封印するくらいじゃ私は死なないわよ。フライパンと小麦粉と塩と水さえあれば余裕なんだから。主婦、舐めないでよね」


 また二人の間に火花が散る。


 仕方がないので、また私が間に入る。


「はいはい。じゃあ理央、アトリエの方よろしくね。心美、私たちも納戸へ」


 二人を剥がすと、私は理央を背にして納戸のドアを開けた。


「えっと、スイッチは……」


 納戸も書庫と同様に窓がないので、真っ暗な中で照明のスイッチを手探りで探す。明かりを点けると、部屋中の壁に木の板がはめ込まれていて、そこに画材が所狭しと収納されていた。


 ドアを開けてみて分かった。この部屋は絵の具の臭いがキツすぎて、食べ物の類いは置いてなさそう。


「見事に画材ばっかりね」


 心美が室内へ足を踏み込む。


「見て、この絵の具。昔使ってたやつと同じやつだ」


 私は中段の棚に置かれた箱から、国内メーカーの絵の具を取り出した。


「そういうのって、あんまりデザインの変更はされないみたいよ。娘が今使ってるクレヨンも、昔私が使ってたやつと同じ柄で懐かしかったもん」

「へぇ、そうなんだ」


 棚を一通り見て回っても、どこもキャンバス地や絵の具ばかりで、メモも食料も見つからなかった。


 結果として分かったことは、この家には美術部の部室より高価な画材が多数揃えてあるということと、それらの画材が今すぐにでも使える状態で保管されいたということ。特に油絵の具に関しては、使いかけのものでも蓋がすんなり開いたことに驚いた。


「ねえ、真由。私、気づいたかもしれない」


 ふと、奥の棚から心美が言う。


「なにを?」

「この家に入ったときの違和感」

「誰かがいそうとかじゃなく、根本的なもの?」

「うん」


 心美が奥から姿を現すと、二人で面と向き合う。


「私もね、理央が魔女騒動を起こしてくれたお陰で気づいたかもしれない」


 私がそう言うと、心美がすっと口角を上げた。


「じゃあ、理央にも確認を取ろうか」

「そうだね。今ごろ魔女と格闘してるかもしれないし、そろそろ応援に行かなきゃ」


 そうして二人で納戸を出た所で、理央と廊下で鉢合わせた。


「聞いて!!」


 理央が興奮気味に言う。


 私も心美も、黙って続きを待つ。


「いなかったわ、魔女!」


 ああ、そう。と心美の形のいい唇から息のような声が漏れる。


「その代わり、差出人の手がかりになるようなものもなかったけどね」

「そのことなんだけどさ」


 私は理央に一歩近づく。


「玄関の絵、変だと思わなかった?」


 私の問いかけに、理央は小首を傾げた。


「絵?」


 まず私の言葉に反応したのは、心美だった。


「絵ってどういうこと?」

「何言ってるのよ、心美……」


 私たちの様子に、理央が困惑した顔をする。


「心美が気づいたのは絵じゃないの?」

「違うわ。でも今はいい。絵ってなに?」


 心美に催促されて、私は二人を連れて再び玄関へ移動した。


「この絵なんだけど……」


 玄関ドアの目の前に掛けられてある、三十号ほどの大きさがある風景画の前に二人を立たせる。


 構図は、窓から見える森と空。


「この絵、確か藤堂先生が在学中に描いたものよね?これがどうしたの?」


 ぱっと見ただけでは分からないのか、理央が聞いてくる。


「これはね、藤堂先生が三年生の夏に、部室の奥の部屋で描いたものなの」


 私も二人と同じように、その絵を見上げる。


「本当は校内コンクールのために描いたものなんだけど、結局、出品はしなかったって。藤堂先生からはそう聞いてる」

 一番後ろで腕組をしていた心美が、深く息を吐いたのが聞こえた。


「心美、分かった?」


 心美は何度か首を縦に振り、組んだ腕をほどいた。


「今は秋の風景画だけど、元は夏の風景画だったはず。この絵、季節が変わってる」

「ええ!?」


 心美の言葉に、理央が驚いて絵にかじりつく。


「季節が変わるって……そんなこと……あ……」


 やっと分かったのか、理央が愕然と後退る。


 在学中、ここへ来る度に見ていたこの絵が微妙に変わっていることは、さっきの騒動で外から戻ったときに気がついた。


 私がこの家に入った時に、最初に感じた違和感の正体はこれだった。はっきりと紅葉しているわけではないから分かりにくいけれど、十五年前と季節が変わっているのは間違いなかった。


「なんで?描き直したの?それとも本当に魔女が?」


 理央が私と心美を交互に見る。


「さぁ?でも、不可解なことならもう一つあるの」


 心美が玄関のドアを開けて外を指差す。


「あれ。私たちが家に入ってから、変わってるのよね」

「え!?今度はなに!?」


 私と理央がデッキに立つと、そこにはかつて私たちが使っていた折り畳みイスが立て掛けられていた。


 心美が続ける。


「デッキのイスとリビングのカーテン、最初に表から見た時は確かに劣化してたのに、カーテンは入った瞬間に、イスはさっき外に出たら新しく……というか、昔の状態になってた。私ね、最初は思いのほか室内が綺麗なことだけに違和感を感じたの。でも、それは違ってた。違和感は、少しずつ何かが変わってること。それはこのイスもそうだし、先生の風景画もそうだし、二階にあった絵もそう……」

「やだ、やっぱり心美も分かってたのね。あの絵が私たちが描いたものだって」

「うん。でも、あり得ないよね。三人とも完成させたはずの絵が、まだ制作途中の状態で置かれてるなんて」


 分かってはいたものの、改めて心美が言葉にすると鳥肌がたった。それを察したのか、理央が静かに私の背中へ腕を回してくれる。


「やっぱり、魔女の呪いかしらね……」


 私の背中をさすりながら、理央が呟く。


「魔女でも呪いでもなんでもいいから、なぜ今頃になって私たちをここへ呼んだのか、理由を教えて欲しいもんだわ」


 きっと今、私たちの頭の中には魔女候補が二人いる。茉莉子さんと、このログハウスを作った元美術部顧問の橘先生。


 理央の冗談を冗談と取れない私たちは、一体、誰から何を迫られているのだろう。


「ねぇ、これって、もしかして部室に来いってことなんじゃないの?」


 私と心美は発言した理央を見る。


「あの藤堂先生の絵、部室からの風景でしょ?私たちの絵だって、部室の裏の樹がモデルだし。きっとそうに違いないわ。上着を持ってきてあげるから、ちょっと待ってて」


 私たちの返事を聞くよりも先に、理央は上着を取りに二階へ上がっていく。残された心美を見ると、思い詰めたように俯いていた。


「心美、大丈夫?」

「うん」

「行くの、止めておく?」


 心美が顔を上げる。陽射しの加減か、理央とそっくりな顔をしている。


「私も理央に賛成。ゲームみたいでわくわくするわ」


 心美はそう無理に笑ってみせると、さっき歩いて来た細い道へ視線を向けた。その道も、いつの間にか綺麗に整えられている。


「まぁ、閉じ込められるよりはマシね」


 頭の中に響く警戒音に、私は心美と理央を止めようか悩んだ。


 今更学校へ行ったってろくなことはない。幸せだった学校生活の中で犯した罪を、また掘り返してしまうことになる。


 それが表向きには穏やかそうに見える心美に、また暗い影を落とすことになるんじゃないだろうか。やっと忘れはじめていた罪に、私たちはまた翻弄されていくんじゃないだろうか。


「大丈夫よ、真由。どうせなら決着をつけましょう」


 心美はもう一人じゃない。旦那さんの元へ、家族の元へ帰らなければならないのだ。ここへ来る前の心美のままで。


「心美、約束して」

「なに?」

「この先学校で何があっても、決して過去には戻らないで」

「何を言ってるの……」


 心美が困ったように微笑む。


「過去なんて捨てて。今は家族の未来だけを見て。私たちは、私たちの思い出より心美の未来を選んだの。だから……だから、離れ離れになったんだよ」


 その時、二階の部屋から戻ってきた理央が、私の背中にそっと上着を掛けた。そして昔みたいに、黙って頭をポンポンと優しく撫でる。


 心美が努めて優しい声で、私を諭すように言う。


「きっとここに、何か忘れ物があるんだと思う。手紙の差出人は、それを見つけさせるために私たちに手紙を出したんだよ。だからちゃんとそれを見つければいいの。三人揃ってれば、きっと大丈夫」


 心美の決意に頷くことしかできない私は、歩き出した二人の後に怯えながらついていった。


 さっきとは見違えるほど綺麗になっている立ち入り禁止の看板を通り過ぎ、私たちは石畳の道へ出る。


 やっと幅のある道へ出られたので、そこからは三人並んで歩いた。


 背の高い心美と理央に挟まれて歩くと、いつも私は宇宙人で、エージェントの二人に捕獲されてしまったみたいだ、と思う。それと同時に、守られてるみたいで安心もする。この温かくて優しい感覚も、十五年振り。


「ね!道中長いし、近況でも教え合わない?」


 右隣から理央が言う。


「私、もう話したけど」


 左隣から心美が答える。


 そうそう、この感じだ。私の頭上で言葉が行き交う、この感じ。


「真由、なに笑ってるのよ」


 今度は両隣から声がシンクロして降ってくる。


「笑ってないよ。それで、娘は何歳なの?あ、その前に名前は?」


「私から?」と、心美があからさまに面倒くさそうな顔をする。


「追々話すって言ってたじゃない」


 理央が横から私を押して、その弾みで私も心美を押す。


「しつこいわね~。名前は“美しい桜”でミオ。歳は八つ」

「へぇ」


 私は呟く。


「なに、聞いておいてそれだけ?」

「違うよ、名前の最後に〈お〉がついてるなって。理央たちとお揃いだね」


 気恥ずかしいのか、理央はだんまりを決め込んでいる。


「別に理央を意識したわけじゃないよ。向こうのお父さんがつけたんだし、うちの人、桜が好きだから桜の字が入っただけ」

「そうなの。それで、旦那さんとは結婚してどのくらい?」

「十年……かな」

「若いときに結婚したんだね。馴れ初めは?」

「そんなことまで聞く?別に普通だよ。社内恋愛でなんとなく」


 そこで理央が立ち止まる。


「あなた、なんとなく結婚したの!?信じられない!」


 理央にとってはそこが重要だったらしい。心美が更に面倒くさそうに言う。


「もう、言葉の綾だよ。つき合って何年か経ってたし、向こうは四つ歳上だったから、そろそろ結婚もいいかなって」


 理央が歩き続ける心美をじっと睨む。


「そんな話、こっちには全く入ってきてなかったわ……」


 大きな独り言を呟き、理央は不貞腐れながら私たちに追いつく。


「私から理央と玲央には黙っておくように言ったの。分籍してから入籍したし、理央にまた会えるとも思ってなかったから。はい、これで私の分はもう全部話した!」


 そう言って心美は両手を上げる。理央は複雑そうな顔で遠くを見ていた。


 石畳に響くバラバラだった三人の足音が、ここへ来てピタリと重なる。


「真由は?さっき四国にいるって言ってたけど」


 今度は心美が私に話を振る。


「今は今治に住んでて、会社を経営してるの」


「え!真由、社長なの!?」


 また両隣から声がシンクロする。


「社長というか、代表というか、起業兼経営者というか……」

「立派な社長じゃない!へぇ~、自分で会社起こしたの!心美が子持ちってことより意外だわ!」

「社長と言っても、すごく小さな会社だし、収入だって普通に生活できるくらいしかないから、偉そうな顔はできないけどね」


 目を凝らすと、遠くに学校の裏門が見えてきた。


「で、どんな会社なの?デザイン系?」


 心美が私の顔を覗く。


「瀬戸内の学生たちにテザイナーになってもらって、小さなアパレルメーカーをやってるの」

「それって、学生にデザインさせたものを売るってこと?」


 今度は理央が聞いてくる。


「そう。はじめに登録料と著作権は貰うけど、製作販売費は原則売り上げから貰うことになってるから、学生にとってはリスクが少なくて人気なの。最初は文化祭のクラスTシャツとかが多かったんだけど、今じゃうちのメーカー内で、自分のブランドを持って販売してる子も何人かいる」

「へぇ、面白い会社ね。自分のデザインを形にしてもらえるなんて」

「学生って良くも悪くも影響されやすいから、他のブランドとの著作権問題とかはシビアにやらないといけないけどね。でもね、若くても打ち合わせには遅刻しないし、ちゃんと挨拶もできる子が多いの。真面目にデザイナーを目指してる子も少なくないから、もし夢が叶ったら、その時はデザインを全てその子に返すつもり」

「若い子の夢を後押しする仕事なんて、とっても素敵だね」


 心美が頬笑む。


「そんなキラキラしたものでもないんだ。こっちもどうしたって売り上げ重視になっちゃうし、かと言って普通のアパレル会社と同じ値は言えない。最近は学生たちの噂から波及して大人にも買って貰えるようになったけど、大々的にやれるほど製造ルートも確保できてないからね…」

「そうね、ただでさえアパレル業界は複雑だから」


 理央が頷く。


「でも地元企業に後押ししてもらえてるから、今は何とかやっていけてる。うちの会社ね、元は跡取りがいなくて、廃業しかけてた印刷会社を譲り受けてスタートしたの。その時の社長のコネが大分生きてる」


 いよいよ学校の裏門が近づいてきた。下り道だから、行きよりずいぶん早く歩くことができる。


「そっか。真由の人生が充実してて良かった」


 心美が私の肩を抱く。


「そんなことに夢中になっててさ、気づいたらまだ独身なんですよね」


 そう笑ってみせたけれど、もしかしたら不自然な顔になっていたかもしれない。私は急に不安になって、髪で顔を隠すように下を向いた。




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