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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
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現在9 黎明の森③


 どんな顔をしてるのか、柊平くんが私を見て険しい表情になる。


「知ってたのか」

「理央が言ってた。他人だと思ってたの。全然知らない人だって。だから確認しなくて。紗夜ちゃんだったのに」

「心美、しっかりしろ。それじゃあ何を言ってるのか分からない」


 起き上がった柊平くんに顔を覆った髪をかき上げられる。私は両手で顔を隠して、なるべく柊平くんに聞こえないように小声で言った。


「理央のところに警察が来たの。遺体を確認して欲しいって。連絡できる人が理央しかいなくてって。それで理央、警察署に行ったの。そうしたら一緒に亡くなった女性がいるから、同棲してた人だから、その人の確認もしてくれって頼まれたの。でもどうせ知らない人だからって……拒否した……理央は……」

「つまりそれは、セツナも亡くなっていたということか?」


 私は頷けなかった。


 言えない。


 そんなこと、私からは言えない。


 お父さんだもん。


 柊平くんは、セツナのお父さん。


「心美」

「なんでみんな死んじゃうの」


 橘先生が茉莉子さんを殺して、その傷を受けた柊平くんが死んで、それで終わりだと思ったのに、なんで知らないうちに紗夜ちゃんとセツナまで。


「私の何がいけなかったの。何をどうするのが正解だったの」


 柊平くんの大きな手が私の頭を包む。耳元から響く声は、小さな子供に言い聞かせるように優しい。


「心美。心美のせいじゃないよ。みんな心美には感謝してるんだ。巻き込んでしまってすまなかった。セツナも紗夜さんも、ずっとまりこ会のことを心配してたらしい。高校を出てから別々になってしまったんだろう。あんなにいつもそばにいたのに、申し訳ないことをした」

「柊平くんはいいの?紗夜ちゃんのこんな結末」


 悲しくて悲しくて、だんだん腹が立ってきた。


 腹が立ってきて、でも捌け口が見つからなくて、私は顔から手を離すとそれぞれをきつく握りしめた。


「紗夜ちゃんが茉莉子さんの心臓を持ってるとか、そのせいで人生を変えられちゃったとか、理由がなんだって柊平くんは紗夜ちゃんのことを大切に思ってたんじゃないの?紗夜ちゃんだけじゃない、橘先生もそう。自ら罪を背負って、自分のせいじゃないのに自分を責めて、ただ大切な人を想ってただけなのに、それなのに」


 結局みんな、いなくなってしまったじゃないか。


「運命だったんだよ」


 柊平くんのその言葉に、私は俯いた顔を素早く上げる。


「運命?」


 この人はこれ程の惨状を、たった二文字で済ませてしまうというのか。自ら命を絶つほど苦しめられたというのに。


「誰にもどうすることができなかった。不可抗力だったんだよ。それに紗夜さんは、茉莉子の心臓を自ら壊してしまうなんてことはしないよ、絶対に。きっと紗夜さんは長生きすることができなくて、悔しかったと思う。とても優しい人だからね」

「みんな優しいから傷ついた」

「そうだね」

「それなのに理事長はまだ生きてる。のうのうと、なんの罰も受けずに」

「そんなことないよ。 あの人が一番重い罰を受けてるはずだ」


 一番重い罰?


「命を犠牲にすることより大きな罰って何?」

「生きることは死ぬことより辛いことだ。死ぬなんて一瞬で終わる。終わった後は無になれる。けれど生きていれば、罪と罰に一生苦しめられる。それは永遠と同じだけの長さだ」

「それは理事長に罪の意識があるなら、でしょう?」

「あの人は僕という画家を自らの過ちで失ったんだから、幸福な人生を歩めるはずがないだろう。……これは自惚れすぎかな?」


 柊平くんは記憶の中と同じように、喉を鳴らして小さく笑う。私はそれを見て黙って涙を堪えた。


「だったら、あの人は柊平くんのファンからも恨みを買うことになる」

「そんな壮大なストーリーにしなくていいよ」

「世界中のファンは今も柊平くんを探してる」

「それは」


 言葉の途中で柊平くんが私を抱きしめる。

 それがお父さんみたいで、心がほんの少し穏やかになる。


「とてもありがたいことだね」


 その腕の中で、とても長い間沈黙が続いた。


 言いたいことは山ほどある。


 歴史を変えたい。元の世界に戻ったら、さっそく柊平くんの新作発表があるような、そんな新しい世界にしたい。


 でもそれは叶わないことだと理解した。柊平くんの決意が、その腕の圧にまじまじと現れていたから。


 私はせっかくこんな所まで来たというのに、何もできずに帰るというのか。


 私たちは一体、何をしにここへ来た。


 セツナは私たちに何をさせたかった。


 これでは柊平くんに、セツナや紗夜ちゃんが亡くなったというストレスをかけただけになってしまうじゃないか。


 いつから私はこんなに無能な人間になったのか。


 悔しさを通り越して、何だか笑えてくる。


「そうだ心美、食事はどうだった?美味しかった?」


 張り詰めて壊れてしまいそうな空気を破ったのは、柊平くんだった。


「人生で一番美味しかったよ」


 ぶっきらぼうに答える私に、柊平くんが苦笑する。頭を撫でられると、ようやく柊平くんの胸から顔を離す気になった。


「それはね、好きな物を三人で食べたからだよ」


 覗き込んでくる表情で、柊平くんが言わんとしてい

ることがすぐに分かった。


「一度解けた糸を結びなおすのは大変かもしれない。けど三人ならきっと大丈夫。時間がかかってもいつか元通りになる」

「生きている場所が違っていても?」

「求め合えば必ず叶うよ。同じ時を生きてるんだから」


 私はふと周りの明るさに気づく。いつの間にか森に夜明けが訪れ、二階からきらきらと朝日が差し込んでいる。


「ああ、もう朝か。新しい一日がはじまるね。心美たちは元の時代へ戻らないと。僕も君たちの帰りを待つ」

「私たち、帰ってくるのは夜遅くだよ」


 記憶が正しいのなら、私たちは今ごろ京都の宿で夢の中だ。これからテーマパークへ行って、終電時間ぎりぎりまで遊ぶつもり。


「だったら街まで迎えに行かないとな。三人共、お土産を忘れずに買ってきてくれるといいけど」

「お土産はね、うーん、なんだったかな」


 過去の自分たちを羨ましいと思った。楽しい旅行から帰って来れば、何も頼まずとも柊平くんが駅で待っていてくれるのだから。


「三人のことだから現地で買い忘れて、乗り換えの時に買いそうだな」

「ああ!そうそう、東京駅で買ったひよこだ!」

「ええ!関西まで行ったのにひよこ?」

「ごめんね!」


 笑い声をあげるその笑顔に、かつて私は恋をした。


 こんなに可愛くて、愛情深くて、時にお調子者で、才能に溢れているのに傲らず、器用で、でも不器用で。そんな愛しい人だから、私はあの冬の夜、この人をこの手で殺めた。


 無邪気にしていても、この人はずっと孤独だったろう。私たちの愛情は、悲しみに満ちたその心に届くことはなかったのかもしれない。でも、確かに柊平くんは愛されていた。みんなのその愛は、見えないものとなってずっとここに留まるはずだ。


「そうだ。最後に君たちに言っておきたいことがある」

「なに?」

「まず真由ちゃん。どんなに疑いそうになっても、相手の気持ちや自分の幸福は素直に受け取ること」

「うん。私もそう思う」

「次に理央。どうせ未来では芸能人を気取ってるだろうから、ネームバリューに甘えて変な絵を売らないこと」

「確かにね。理央ならポスカで描いたイラスト集でも出しそうだわ」


 笑う私の頬を柊平くんの手が包む。


「それから心美」


 改まって声が一段低くなる。


「君は僕に似ている。どうも一人で生きていけると過信しているところがある。でも実は一人が苦手だ。かと言って辛抱強く相手と分かり合う堪え性もない。だけど僕と違って、心美には心美がいなきゃ生きていけない娘がいる。その娘は旦那さんとの大切な子だろう。何もせずにすぐ逃げようとしないで、たまには自分の意見を家族にぶつけてみるのも悪くないよ」

「柊平くん」

「大丈夫、心美の未来はきっと賑やかだ」

「柊平くん……!」

「幸せになるんだ。それが僕の願いだから」








 まるで突然夢から覚めたかのように我に返ると、もう柊平くんはいなくなっていた。


 私は辺りを見渡す。


 そこは埃まみれの、古ぼけたログハウスだった。










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