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黎明の森に深く沈む  作者: 津村
102/107

現在9 黎明の森②


 降り続く雪はコートを白色に染めていく。


 全身の筋肉が悲鳴をあげ、最低限の持ち物しか入っていないカバンですら、重みに負けて今にも落としてしまいそう。凍える身体は静かに呼吸だけを繰り返し、脳みそはブラックアウトを起こす寸前で何とか踏みとどまっている。


 そんな酷い状態で、私は正門の前に佇んでいた。


 地面には足首を隠すほどの雪が積もっている。荷物をまとめる前にコールをしておいたタクシーは、きっと今ごろ心死になって悪路を登ってきていることだろう。到着時刻まであと少し。これ以上の夜明けは待てない。


 私は何とも思っていなかった。


 人を殺したこと。


 それを埋めて隠したこと。


 親友に犯罪の片棒を担がせたこと。


 黙ってここを出て行くこと。


 全ての後ろめたさは自らが掘った深い穴の中に埋め、今は空っぽの心で明るくなりはじめた空を見ている。


 遠くから微かにエンジン音が聞こえてきた。


 山を降りて駅に着いたら、また一から自分の生きていく場所を探さねば。 あてはないけど、どうにかなるだろう。


 雪まみれになったタクシーが到着すると、私は足を引きずるように車に近づく。開かれたドアから暖かな空気が流れ出し、私の頬を優しく撫でた。乗り込もうとすると足がもつれて転びそうになる。そんな私を抱きしめるように支えてくれたのは、セツナだった。


「心美、ありがとう。無理をさせてごめんね」


 私は停止した思考の中で、言葉の意味を考える。


 無理とはなんのことだろう。ありがとうとはどのことだろう。


 ああ、そうだ。セツナは


「セツ……柊……くん……を……」


「うん、分かってる。心美にこれ以上迷惑かけたりしないから。だから、早く遠くへ行って」


 セツナに押し込められるように座席へ座ると、脱力する暖かさの車内から、遠くなりゆく校舎を眺めた。曇ったリアガラスに映るそれは、幻のようにすうっと私の視界から消えていった。




「そう言えばあの時のセツナ、泣いてたな」


 あれからはじめて思い出してみたそのシーンに、私は改めてセツナの言葉の意味を考えてみる。


 ありがとうとは、私が描いたマリア様のこと?そして無理をしたのは、収蔵庫へもぐりこんで柊平くんに捕まったこと?


 それにしても、なぜあのタイミングでセツナはあの場所にいたのだろう。もしかして一部始終を見ていたのだろうか。


 まさかね。


「あの時って、いつのこと?」


 しまったと思ったときには遅かった。柊平くんが知らなくてもいいことを、つい口に出してしまったようだ。


「えっと」


 どうしようか。かいつまんで話しても、上手く話が繋がらないに決まってる。


「話して欲しい。セツナの考えてることに興味があるんだ」


 観念したような柊平くんの顔に、十五年経ってもやはり嫉妬に似た感情が湧いた。口の中を潤すには逆効果だと分かっていても、私は熱いコーヒーを一口飲む。


「私ね、柊平くんを殺したの」


 私の言葉に、柊平くんは眉をひそめる。


「でも柊平くんに恨まれる筋合いはないよ。そのあと学校を辞めて、一人きりで放浪して、親にも頼らず生計を立てて。私の方がずっと苦労したんだから」


 そうだ。私は私と柊平くんとの間に限っては別に悪いことをしたわけじゃない。あれは親切心でやったに過ぎないし、ああしなければ事態は最悪になっていた。


「それは申し訳ないことをしたね」

「もっと驚いてよ」

「驚いてるよ」

「えー!とか、げー!とかさ」

「えー!」

「もういいよ」


 誰だって未来から来た人間に「あなたを殺した」なんて言われたら逃げ惑うだろう。しかしそうしないは、柊平くんが既に揺るぎない決意をしているからだ。


「詳細は言わないよ?それは未来のお楽しみ。ただ一つだけ言えるのは、私は誰にも悟られずにそれを実行した。でもセツナは知ってたみたい。全てが終わってここから出て行こうとする私に、泣きながらありがとうって言ったの」

「ありがとう」

「あと、無理をさせてごめんねって」

「ごめんね……」

「どういう意味だったんだろうね」


 二人揃って考え込んだって、当の本人がいないのだから正解なんて分からない。仮にこの時代のセツナに会ったとしても、未来のことは分からないし、未来へ帰ってもセツナはもう亡くなっている。


 言葉の能力なんて、所詮は欠陥だらけの代物だ。


「私、セツナに会ってみたかったな。そしたら聞きたいことがいっぱいあったのに。柊平くんは未来のセツナに会ったんでしょう?どうだった、元気にしてた?」


 さすがに亡くなってる人に対して「元気にしてた?」はないか。でも柊平くんはセツナが亡くなってることは知らない。いや、知らないでいて欲しいのが望みだ。


「どうだったって。えーっとね……」


 なぜか突然照れはじめる柊平くんに、私は呆気にとられて口が開いた。


「え、なに?急にどうしたの?」

「なにって?」

「柊平くん、そんなキャラじゃないでしょう」

「何か変?」

「変だよ。なんだか憧れの先輩と目が合って、興奮してる女子高生みたいな顔してる」

「興奮してる女子高生……」


 いくらときめいたからって、上半身をゆらりと動かしながら胸の前で手を組むなんてこと、今時の子はしないだろうけど、とにかく柊平くんはそんな感じで照れている。


「セツナに何を言われの?」


 引き気味の私に気がついたのか、柊平くんは姿勢を改めると真顔に戻って組んだ手を解く。


「何ってことはないけど。そうだね、まりこ会のことはとても心配してたかな。セツナ曰く、とりわけ紗夜さんがって」


 紗夜さん……?


「ちょ、ちょっと待って!!」


 私は思わず大声を出して柊平くんの肩を押す。不意をつかれたのか、なんの抵抗もなく二人で床に倒れ込む。


「どういうこと、それ!」


 頭の中で仮説が言語化される前に目が潤み、水分がやっと小さな涙になって柊平くんの頬へ落ちる。


 まるであの時みたいだ。


 あの時みたいで、私の腕が震えはじめる。


 そうだ。あの手紙の文字は紗夜ちゃんの字だ。あんなに毎日見ていた字なのに、学校の思い出ごと記憶の彼方へ飛んでしまっていたらしい。


 私たちに手紙を書いた紗夜ちゃんのことをセツナが言うなんて、そんなこと、まさか。


「紗夜ちゃん、セツナと一緒にいたの!?」

「どうした、心美」

「いいから答えて!紗夜ちゃんはセツナと一緒にいたの?」

「そうだよ、一緒に暮らしていたらしい」

『セツナと一緒に亡くなった女性がいたんだって。二人はどうやら同棲してたみたいなんだけど……』


 ここに着いてすぐ、理央が放った言葉が頭の中で幾重にも不快に響く。


 だったらその女性は紗夜ちゃんじゃないか。


 紗夜ちゃんじゃ……


「死んだの、紗夜ちゃん」





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