現在8 特異点⑤
明日、理央が君のところへ行く。戸惑っているだろうから、全て話してあげて欲しい。それから、君が考えている事やしようとしている事は間違いじゃない。そのまま進んで構わない。責任は全てこちらで持つ。
たったそれだけの、付箋でも事足りそうな内容に、私は懐かしい友人へ思いを馳せた。
「セツナとは卒業以来会ってなかったのよ。こんな手紙を読むと、会いたくなっちゃうわね」
生きて再会できたなら、私たちは何を話したろう。セツナに彼女のことも聞きたいし、仕事のことも聞きたい。どこに住んでいて、今までの人生で何と出会ってきたのか。お酒でも飲みながら、ゆっくり語り合いたかった。
それに、今なら高校時代の思い出も。
「そうしてしまったのも、僕のせいだ」
セツナが呟くように言葉をもらす。
「手紙に書いてあるじゃない。セツナがしようとしてることは、間違ってないって」
「違う、きっと違うんだ。僕の考えと、未来の僕の考えは。僕は誰も傷つけたくないだけなのに……それなのに……多分何もできない。だから責任を持つだなんて書いてあるんだ。僕がいるとみんな不幸になる」
「セツナ」
私は思い出す。
高校三年生のセツナの誕生日。
部室の外階段でセツナが言っていたこと。
私は思い出す。
卒業式前夜。
私たちの部屋でセツナから言われたこと。
「理央」
呼ばれた声に顔を上げると、セツナの姿が目に入った。
いつものスウェットを着て、殆ど私物が残っていない広い机で、いつもの本を開いている。私には到底理解しえない、哲学の本だ。
「なあに?」
私はサイドテーブルの冷えた紅茶に口をつけ、見慣れたセツナのうなじを見つめる。こんな光景も今夜で見納めかと思うと、少しだけ寂しく感じた。
「理央はどうして僕を同部屋に指名したの?」
セツナは視線を本に落としたまま尋ねる。
「一人じゃ寂しかったから。かしらね」
入学式の頃を思い出そうとしてみても、うまく思い出せなかった。記憶に蘇る全ての人や物が歪んで見え、感情は輪郭を溶かし、音も鼓動も水中にいるみたいに濁って感じる。
「僕もそう思ってたんだ」
ページをめくる音に、セツナの声が重なる。
「だから、ありがとう」
ありがとう。
三年間、一緒に暮らしてくれてありがとう。
孤独を紛らわしてくれて、ありがとう。
それを言わなきゃいけないのは私の方なのに、なにかが邪魔をして唇は動いてくれなかった。
「もしいつか理央がここへ戻ってくる時があったら、僕のことを思い出して欲しい。そしたらきっと、僕も理央を感じてる」
「それは、いつ?」
「今は分からない。でも、いつか必ず」
私はそのまま眠りに落ちて、朝になると二人で部屋を後にした。
「セツナ、あなたはいつも生き急いでいた。誰よりも力を欲していた。それは自分の存在を正当化したかったからよね。でもいいのよ、セツナの存在は最初から正しいの。望まれてそこに存在してるのよ。柊平くんからも、私たちからも。だからセツナ、少しは自分の幸せも考えて。あなたの幸せを願っている人が、この世界には沢山いるのよ。それを忘れてはいけないわ」
私は金縛りに警戒しながら、セツナの手紙の余白に、デッサン用の鉛筆で自宅の住所を書き込む。
「はいこれ、私の住所と電話番号ね。と言っても今から十年経たないと使えないものだけど、何かして欲しいことがあったら必ず連絡しなさいね。いい?死ぬ前によ?いいわね?」
それをまじまじと見るセツナの顔に、笑顔が浮かぶ。
「ありがとう、理央」
「セツナ、信じてるからね」
セツナの言う通り、行き着く未来なんて一つしかないのかもしれない。元の世界へ戻ってもセツナはやっぱり亡くなっていて、二度と言葉を交わすことはないかもしれない。
けれど、これで少しでも何かが変わってくれたら。
一ミクロンにも届かない変化でも、時の軌道から運命を動かすことができたなら。
私はそれを期待して、過去に異物を投げ込んだ。
隣では裏門で合流した真由が闇の向こうを睨んでいる。
しっかりと繋がった手には共通の決意が握られていて、私はそれを落とさないように力を込めた。
真っ暗な山道を、恐れもせずに私たちは歩く。
獣道を抜けると光が見えた。
心美と柊平くんがいる、ログハウスだ。