002 過去 -圭ちゃんと暮らすことになった理由-
説明が多いので、長いです
今ではこうして仲良く一緒に暮らしているけれど、そもそも圭ちゃんとはここ数年連絡を取っていなかった。
元々圭ちゃんは私の同級生で幼馴染のいっちゃんの弟。いっちゃんとはご近所ということもあって、幼稚園前から付き合いがあった。
同じ幼稚園に入ると、お互いの母が迎えに来た後も家の近くで遊ぶことが多かった。そして気付いた時にはそこに二歳下のいっちゃんの弟・圭ちゃんも加わっていた。
家が近くて幼馴染だからか、小中校と一緒にいることも多かったいっちゃんと圭ちゃん。そんな中でも新しく出来た友人たちとも遊びつつ、二人との交流は続いていた。
けれど中学を卒業するといっちゃんは進学校へ、私は自宅から少し…二時間近くかかる遠い学校へ。それでも夏休みや冬休みにはちょいちょい顔を合わせることはあったけれど、それ以外はほぼ交流無し状態だった。
本当はお互いスマホの番号やSNSも知っていたけれど、特に連絡することはなかったし、向こうからも急用以外の連絡は無かったので、それを少し淋しいと思いつつも、こうやって皆大人になっていくんだなと思った。
淋しさを紛らわすこともあり、それなりに知識を詰め込んだ私は無事高校を卒業した後、更なる知識を求めて短大へと進学した。
…それからは今まで以上に忙しくなった。そりゃ短期間に色々なことを詰め込まなきゃいけないからね。疲れるし、混乱するし…で毎日が必死だった。ヘロヘロになりながら勉強や就活に力を入れていたら、あっという間に卒業して社会人になっていた。
なんとか就職出来た会社の雰囲気は穏やかで居心地が良かった。下っ端の私は先輩たちに可愛がられ、様々なことを教えてもらいながらコツコツと知識や作業を覚えていった。
そして今まで忙しくて必死だった毎日なのに、就職してからは何故か少しだけ余裕も出来た。これって…忙しさに慣れたってことなのかな?
余裕の出来た私がまず最初にしたことは、通勤に便利な路線にある家賃の安いマンションを借りること。実は今までは実家から通っていたけれど、会社までは何回かの乗換えをしなくてはいけないので、通勤には少し不便だった。
事情を説明すると、すんなりと両親が保証人になってくれたので、無事部屋を借りることが出来た。その後は洗濯や自炊など、自分で出来ることをやっていたので僅かだが貯金も増えた。
こうして時間に余裕がある日々を過ごせるのなら、いつか趣味・特技と云えるような物を持てるために何か習い事でも始めようか――と、そんなことを考えていたある日、急に会社のトップが交代した。…それに伴い、経営方針もがらりと変わった。
それからはどんな仕事でも請け負うような、忙しない会社になった。
会社を大きくするため――と上は云うけれど、その業務内容は殆ど無茶振りだった。
最初は社員全員が急なトップ交代と無茶な経営方針に驚いて慌てていたけれど、上がそう云うのならやるしかない! 全員で力を合わせれば…なんてことを最初は誰もが考えていたけれど…いつの間にか会社はブラック寄りになっていた。
今まで余裕のあった仕事内容は、急な無茶振りにも合わせなくてはいけないため、まず各自の自由時間が無くなった。自由時間…そう、つまりは勤務時間中の食事休憩やトイレ休憩。更には帰宅途中――もっと最悪なのは帰宅後などでも遠慮無しに電話がかかってきて、仕事のために呼び出されるようになった。拘束時間は長くなったのに、けれどお給料は変わらない…。
このままでは会社に拘束され過ぎて自分の時間が無くなるのと、お給料と合わない仕事内容に不満を持った先輩や同期たち、そして新しく入ってくれた後輩たちもこの状況に耐え切れず、どんどん会社を去って行く。
そうすると各自の仕事内容が少しずつ増えていき、それに耐え切れなくなった人たちが退職。そしてまた仕事が増えて…と永遠のループ。
私は楽しみだった食事のことなんかも忘れ、ただ只管云われる通りに仕事を続けていた。
…そして気付いたら病院のベッドの上にいた。
「あ…れ?」
自分の現状が分からない中、たまたま様子を見に来てくれた看護師さんに話を聞くと、どうやら私は社内で突然倒れて意識不明になったらしい。そんな私を見た同僚が慌てて救急車を呼んでくれたとのこと。
…ちなみに後から聞いた話では、その同僚は上から「何故大事にした!」と怒られ、クビにされたそうだ。
助けてくれた同僚に後日、『私が倒れたばかりにごめんなさい』とメッセージを送ると、『逆にあの会社から解放されて良かった』という返信が来た。自分も大変な状況なのに恨み事も云わず、私の体調まで気にしてくれた。
えっと…話を戻して…、何故私が突然倒れたかと云うと…その…どうやら栄養失調と睡眠不足が原因だったらしい。しかも倒れてから三日も眠ったままだったらしい。
確かに毎日のように終電ギリギリに帰宅して、食欲があればコンビニで適当に栄養ゼリーなどを買っていた。そして忙しくて疲れた日はどこにも寄らず、真っ直ぐ家に帰ってベッドにダイブ。
…うん、そりゃ倒れるのは分かるわ。
私自身でも呆れていると、追い討ちをかけるように診察をしてくれたお医者さんからは「大人なんだから自分でしっかり体調管理をしないと…」と容赦なく叱られた。正論だから云い返せないけれど、弱っている心に叱責のその言葉は大きなダメージを与えてくれた。
確かに社会人として自分の体調管理が出来ていないのはよろしくない。しかも社内で倒れたので私はクビだろうな…と、どこかで覚悟していた。
ぼんやりしていると、私が目覚めたという連絡を受けて病院に駆けつけたらしい母は泣きながら怒り、付き添いで来た兄にはとにかく呆れられた。
その後のお医者さんの話しでは、今はとにかくしっかり休んで体調を戻さなくてはいけないらしく、暫らく入院することになってしまった。
そうして目覚めてから二日後にまた母が来たけれど、今回はどうやら兄ではない人を連れて来たようだった。
「さや、あんたは一人だと色々と面倒がる癖があるから、頼もしい人を連れて来たわよ」
「へ?」
別にそんな変な癖は無かったと思うんだけど…。
確かに親元を離れて一人暮らしをしている今、仕事を優先しているので――というか強制的に押し付けられているというか…逃げたくても逃げられない状況なので、食事や睡眠時間が削られている。だから余裕のある時には栄養ゼリーに頼ってもいたけれど、忙しい時はそれを買うのすら面倒で…。あっ、本当に面倒がる癖があった。
「だからお母さんは知り合いに相談して、実際に今のさやの状態を見てもらおうと思ったの」
私の性格をよく知っている母は、このままでは退院後も同じような生活になるのでは?と不安になったらしい。そして身近な人に相談した結果、一緒に来てもらったとか。
…でも母が云う頼もしい人って誰?
そう思っていると母は連れて来た人と話をすることになり、母が外にいる誰かに声をかける。呼ばれたその人――青年は病室に入って来た。その青年の顔を見た瞬間、どこか懐かしい感じがした。
「さやちゃん!」
「え?」
犬のように私へと駆け寄ってくる青年を見て、何故か幼い頃を思い出す。もしかして…この人って…。
「もしかして…圭ちゃん?」
随分と会っていない幼馴染の名を恐る恐る口にすると、青年――圭ちゃんは嬉しそうにニコッと笑った。
「そうだよ。さやちゃん久しぶり。体調はどう? 苦しくない? 不便なことはある?」
昔から圭ちゃんは気配りが良く出来る子だった。だから久々に会った――というか母に聞いて連れて来られたのに、幼馴染が病院のベッドにいることに驚いたのか、色々と訊ねてくる。
「心配してくれてありがとう。だいぶ良くなったよ。後、わざわざお見舞いに来てくれてありがとね」
早く身体を治すために睡眠や点滴、それに栄養満点らしい病院食を食べているので、倒れた時よりも体調や肌も随分良くなったと思う。それでもベッドにいる姿を見られるのは少し恥ずかしい。
「そっか。それなら良かった」
ホッと安心している圭ちゃん。
「でも栄養不足と睡眠不足になるって、相当悪いことだよね? そんなに仕事が楽しくて忙しいの?」
「う”っ…」
子犬のように心配そうに私を見つめてきながらも、容赦なくダメージを与えてくる圭ちゃんに、本音を云っていいのか分からず躊躇ってしまった。
黙ってしまった私に母が追い討ちをかけるように話し始める。
「それがね、何でも仕事が忙しくて食事を取らない日が多いんですって。更に睡眠時間も随分短いとお医者様から聞いたの…。本当にさやの退院後が心配だわ」
母の言葉を聞いた圭ちゃんは驚いていた。
「え? さやちゃん、毎日ご飯食べて無かったの!?」
「う、うん…。でも食べられる時は食べてたよ」
主に栄養ゼリーだけど…。
圭ちゃんの驚き具合に思わず頷いてしまった。すると圭ちゃんは悔しそうな顔をしていた。
「何で?」
「何で?って云われても…食べる時間も無いし…」
素直に告白すると、圭ちゃんは怒っていた。
「それって異常じゃん! ご飯を食べることも出来ないだなんて!!」
「…」
確かに今の私の会社は異常だ。既にブラックだと思ってる。…でもそれを改めて社外の人に突きつけられると…涙が出てくる。今まで社員全員で改善しようと頑張っていたことも知らないで…そんな簡単な言葉を突きつけないで!と。
突然泣き始めた私に圭ちゃんはオロオロし始めた。
「あっ…ごめんね。さやちゃんが頑張ってるのに…」
謝ってくる圭ちゃんに私は首を横に振ることしかできない。
本当は私ももっと早くに先輩や後輩たちみたいに退職すれば良かった。けれど、もう少し頑張ってみれば…と思っていた結果が…今ここだ。
暫らく無言で泣き続ける私は気付いていなかったが、どうやらこの時に母と圭ちゃんとで何やらやり取りをしていたらしい。
そうして病室でしっかりと休養を取った私は、数日後に無事退院することになった。
お医者さんと看護師さんたちに挨拶をした。そうして病院から出ようと自動ドアに近づくと、その先には何故か圭ちゃんが立っていた。
「あ、れ? どうしたの?」
混乱しながらも目の前にいる圭ちゃんに思わず訊ねると、「退院おめでとう」とミニブーケを手渡してくれた。
「あ、ありがとう」
まさか圭ちゃんが退院日に来るなんて思わなかったから少しだけ焦った。
「それじゃ帰ろうか」
突然圭ちゃんに手首を掴まれた。
「え?」
訳が分からず、圭ちゃんはタクシーの運転手さんに私のマンションがある住所を口にした。
「け、圭ちゃん?」
どうして圭ちゃんが私の住所を知っているんだろう?と不安になっていると「おばさんから聞いてない?」と云われた。
「え? 何も聞いてないけど?」
もしかして圭ちゃんも同じマンション? もしくは近くに住んでいるとか?
グルグル考えている私に、圭ちゃんは「おばさんから一緒に住んで欲しいって云われた」と云った。
「はぁ?」
「このままじゃすぐにさやちゃんが倒れるって。だから監視役を頼みたいって云われて…」
「…」
私の同意もなく、勝手に決めるだなんて!
母が勝手に決めてしまったことを腹立たしく思いながらも、圭ちゃんなら…昔から知ってるし、一緒にいてもいいかな?と思うことにした。
でも先に確認したいことが…。
「私と一緒に住んだら彼女に怒られない?」
きっと圭ちゃんはモテるのだと思う。だって懐くと子犬みたいで可愛いし、何よりちゃんと相手を思いやることが出来るんだもん。
私の言葉に圭ちゃんは一瞬驚いていたけれど、すぐに「今はいないよ」と答えてくれた。その言葉が本当かは分からないけれど、圭ちゃんがそう云うのなら…一緒に住んでもいいのかな?
「あっ、でも彼女が出来たらちゃんと云ってね。その時までには自分で体調管理出来るようにするから」
「…うん」
圭ちゃんの未来のためにも、まずは私自身が頑張らないと!!と思った。
ふんすと胸を張る私に圭ちゃんは苦笑していた。
そうして突然圭ちゃんと暮らすことになった私は戸惑ったけれど、今では圭ちゃんが来てくれて本当に良かったと思う。
圭ちゃん自身も忙しいはずなのに、まるで家政婦さんのように掃除洗濯は勿論、料理まで作ってくれる。特に料理に関しては、お店で食べるのと同じ…いや、それ以上に美味しく感じる。
数年ぶりに再会した幼馴染は、いつの間にか料理好き男子になっていた。
そんな圭ちゃんは今、料理の研究(レシピとか食材とか)のため、バイトを掛け持ちしているそうだ。
そのおかげで毎日違うメニューが用意されているのは嬉しい。圭ちゃんは「レシピを研究したいから、毎回付き合わせてごめんね」と云っているけれど、どれも本当に美味しい!!
そうして私は徐々に圭ちゃんによって胃袋をがっちりと掴まれているということに、この時はまだ気付いていなかった。
…ちなみに社内で倒れた私は上からこってり怒られ、予想通りクビになった。…そのすぐ後、どこでその話を知ったのか、早々に転職した先輩から声をかけてもらったので、すぐに働き口は見つかった。先輩、ありがとう~!!