七.激しい拒絶
初めて会った時の事を思い出しながら話すと、ルードリッヒの顔から血の気が引く。
厳しい表情が、愕然としたものに変わる。
その変化に気づき、ティアナは眉を寄せた。
「…なんでそんな顔を?あなたが話せと言ったのですよ?」
訝しげに問うと、ルードリッヒはハッとしたように我に返った。
「あ、ああ…すまない。まさか、本当に同じだとは…」
「同じ?どういう意味です?」
彼の言葉に反応して聞き返すと、ルードリッヒは改めて険しい表情を浮かべてティアナと使用人の顔を見比べた。
「私が調べた古書、伝承のような話なんだが…それに書かれていた状況と、ティアナ嬢がこの獣と会った時の状況が似ているんだ。遥か昔、セフィラ民族の始まりの始祖となる者は、大きな獣の姿をしており、黒い毛並みに真紅の瞳をしていた。だが、その始祖は、ある神聖な使いの乙女と出会う事で黒い毛並みが銀色に変わっていたと云われている。つまり、今の話に当てはまる神聖な使いの乙女が君であり、黒色の毛を銀色に変えたと言うわけだ」
ティアナの話が、獣神が出てくる伝承話と結びつくようだ。
だが、彼女はその話を鵜呑みにしなかった。
「まさか、偶然ですわ。聖女のあの方と私とあまりに違い過ぎます。立場も変わります」
驚いて、呆れたように答えると、ルードリッヒは首を微かに振り、
「確証はないが…見過ごせない。もし、私の仮説が正しければ、あなたとこの獣にはその証となる印があるはず」
「ははっ。印だなんて、聖女の印は身体のどこかに紅い月の紋様があると言います。私の身体にそれはありません」
あれば、自分自身が気づいている。
呆れてティアナが鼻で笑うが、ルードリッヒは真剣な表情を崩さない。
「姉さん…ごめん。僕、見てしまったんだ」
すると、今まで黙っていたジュミルが、青ざめた顔で話に入ってきた。
どこか迷うように視線を彷徨わせてから、ルードリッヒにチラッと視線を送る。
ルードリッヒはこくりと頷き、何かを促すように鋭い視線を送った。
ジュミルはその視線に息を呑み、深いため息をついた。
「姉さん、今まで黙っていたんだけど…姉さんがここ数週間寝込んでいた間に、姉さんの身体に異変が起きていたんだ」
それはよくない兆候である。
ジュミルはそれも心配していた。
「いへん…?まぁ、一体何のこと?」
本当に知らなくて、眉を寄せて聞き返したティアナに、ジュミルは申し訳なさそうにして口を開いた。
「姉さんの後ろの背中…真ん中に、それらしい紋様が浮かび上がっていたのをこの目で見てしまったんだよ」
ティアナはジュミルの言葉に目を瞬かせた。
話しがよく見えない。ジュミルは何を言っているんだろう?と不思議そうな表情を浮かべた。
「だ、だからっ、姉さんが寝込み始めた時、あの紅い月の紋様がはっきりと背中に浮かび上がっていたんだよ!僕は何度もそれを目にしたんだ!」
信じない様子のティアナに焦れたように、ジュミルは声を荒げて訴えた。
「え…?ちょ、じゅ、ジュミルったら、あなたまで何を…っ」
その申し訳なさそうにする弟にハッとようやく状況を飲み込めたのか、ティアナは慌てて化粧室へと駆け込んだ。
鏡の前に立ち、背中を向けてファスナーを下げ、髪を持ち上げる。
すると、背中と肩との中心に、仄かに光る紅い月の文様があった。
その瞬間、目の前が真っ暗になり、足から力が抜けた。
「ね、姉さん!」
姉の様子が気になり追ってきたジュミルが慌てて彼女を支える。
「う、嘘でしょ…っ?ほほ本当に、あるじゃない…」
グラグラする。また熱が上がったのか。
「姉さんしっかりして!」
ジュミルの叫びに寝室にいたルードリッヒも何事かと化粧室へと駆けつける。
「てぃ、ティアナ!?大丈夫っ?」
そこに一緒に入ってきた元飼い犬、人間となっているリュードが取り乱した様子でティアナに近づいた。
「ハッ…ち、近寄らないで!」
その気配に気づいたティアナは手を振り払い、彼に鋭く静止の声を上げた。
「ティアナっ!な、なんで…」
拒絶に驚き、オロオロするリュードを睨みつける。
「私はあなたなんか、知らないわ!私のリュオンは可愛い銀色のワンちゃんなのよ!それが人間に変化するなんて、そんなの私のリュオンじゃないわ!」
はっきり叫んだ彼女に、リュードは雷に打たれたかのような激しいショックを受けた。
傷ついた彼の表情に一瞬、言いすぎた、と口を閉ざす。
「ティアナ!なんて事を…!」
ルードリッヒが非難すると、その言葉に我に返ってティアナは彼も睨みつける。
「何よ!そもそもあなたのせいよ!もう、二人とも出て行ってちょうだい!」
もう何も聞きたくない。
耳を塞ぎ、その場に座り込んだ。
ティアナの訴えにルードリッヒは顔を強張らせ、何か言わなければと近づこうとしたが、ジュミルが首を振りそれを止めた。
「…どうやら、理解するのに時間がかかるようだな。今日はこのまま帰るよ」
大きくため息をついて、ルードリッヒは泣きそうな顔で落ち込んでいるリュードの肩を掴み、そのまま行くように引っ張った。
そのままパタン、とドアの閉まる音に、ジュミルは二人が部屋を出ていくのを確認すると、座り込むティアナに声を上げた。
「姉さん…混乱してあんなことを言ってしまったのだと思うけど、彼もルードリッヒ様も悪くないよ。そうじゃないかと、彼等は話に来ただけなんだ」
ジュミルの言いたいことも理解できる。でも、頭では分かっているが気持ちが追いつかない。
(そんな伝承話が真実で、私が獣神の聖女なんてっ)
「やめて!もう、聞きたくないからっ」
ティアナはもうこの話はしたくないと、ジュミルにも冷たく追い出す。
彼は深くため息をついて、
「負担なのは分かる。でも、剣のこともあの犬のことも偶然じゃないよ。姉さん、今一度ちゃんと自分の立場を考えなよ」
ここで拒否していても、状況は変わらない。
何も始まってないのに、いつまで経っても、前に進めない。
「分かってるわよ…っ。そんなこと…ちゃんと…」
(うっ…。頭が、痛い。耳鳴りもする…)
視界が徐々に歪み、ティアナは息が荒くなる。
「姉さん、このままだといつまで経っても…?姉さん?あっ…ちょっ!姉さんっ!?」
ぐらりと目が回り、ティアナの体から力が抜けて倒れ込んだ。