二,再出発ができない原因
母国を出てから、東から西の大陸に渡って三週間。
本当なら、もっと早く着いていた。家族全員が集まり、新たな出発に心を弾ませ、楽しく幸せに暮らしていた。
それが、まさか…こうなるとは…。
キラキラとまるで太陽の光を浴びているように、一日中光輝くのは、白い剣。
今はリュシュラン王国の国宝であるが、千年も昔に、この剣はある災いを招いて世界を破滅に導いた恐ろしい獣神を退治したと云われる、神を倒してしまう聖なる剣。
未だリュシュラン王国にはその伝説の話が有名視されて、獣神を倒した剣の、この国宝剣は神剣とも呼ばれ、その主人、綺麗な魂を持つ勇者を求め輝きを放っている。
「くっ…まさか、私がこんなことに…っ」
一ヶ月前、リュシュラン王国の元公爵令嬢にして王立学園一マドンナ的存在だったティアナ=マゼランテは食あたりにあたったかのようにげっそりした顔で、滞在する宿のベッドで寝込んでいた。
「あ、姉さん…大丈夫?」
その様子を心配そうに見つめるのは弟のジュミル。
「だ、大丈夫。これくらい…!で、でもジュミル、ごめんなさいね。私のせいで、予定より遅く着く…うっ」
青白い顔で心配する弟を安心しようと起き上がろうとしたティアナだが、吐き気が押し寄せ思うように動けない。
「ああぁ、無理しないで姉さん!」
小さな桶を彼女の口元に運び、心配そうに顔を曇らせたジュミルがティアナの身体を支える。
「ごめ…っ、オエェェ〜〜……ふぅ…。姉さんは、だ、大丈夫だから…!」
そこに少し吐き出してから、ゼェハァと息をしながらも弱々しく余裕そうな笑みを浮かべ、ティアナは強気を見せた。
「…姉さん」
ジュミルは弟だけあって、ティアナの性格をよく知っていた。自分が心配すればするほど、姉が元気を出そうと無理をすることを。
ジュミルは哀れむような悲しそうな目を向けると、これ以上体調の事を聞くのをやめようと思った。
「わかったよ姉さん。それで、これからどうするの?何か、策はあるの?」
ティアナが悩まされているはあの国宝剣がみせてくる変な夢のこと。
ジュミルにはもう話しているが、実はその夢が原因でティアナは体調不良を起こしている。でも、今はそれよりも大事なのは、そのせいで予定より目的地に着くのが遅れているため、少し…いやかなり姉弟はピンチな状況だ。
「そ、そうね。まずは、あのことを考えないと…」
「一応、僕、探してきたんだよ。ええっと、これ…」
ジュミルは自身の上着のポケットから、折り畳まれた用紙を取り出し、ティアナに渡す。
「今現在、僕らができるのはこの範囲内だよ。僕は経験あるからいいんだけど…姉さんは初めてになるし、その体調だと、多分無理だと思うんだ」
ジュミルの話を聞きながら受け取った用紙を開いて、そこに書いてある事を読み上げた。
「あー…配達に時給、八十ニード。店員は六十で…えっ?給仕でたったの五十ニード!?なんて、最低額なの!」
彼女達、姉弟がピンチな状況に陥っているのは、お金のこと。
予定より一週間も長くここの港街に滞在しているのだが、その泊まる宿代で、目的地に行くための費用がなくなってしまったのだ。
「あー、もうっ。こんなことなら、野宿でよかったのよ!」
声を張り上げ、ティアナはさっと顔色を変えて、また桶に顔を突っ込んだ。
「姉さん興奮すると余計…!やっぱり、ここはお父さんに頼んで、彼に…!」
ジュミルが見てられない、と声を上げて意見すると、途端にティアナは恐ろしい顔でジュミルを睨んだ。
「だめよっ!それじゃあ!お父様には連絡したけど、私…あ、あの男だけは嫌なのよ!」
声を荒げてグッと唇を噛み、険しい表情を見せた。
「で,でも姉さん、どうするの?そんな事言っていたら、自分達で着くなんてそんな無茶な…」
「わかっているわよっ。意地張ってるって、言いたいんでしょ。でも…忘れたの?あの男…権力者だからって、公爵家跡取りである貴方をざんざんコケにした挙句、私が手塩をかけて育てたあの子を奪ったのよっ!?もう三年になるけど、まだ忘れられないわ…っ」
彼女がここまで毛嫌いするのには訳がある。
今から向かうシトリス国を治めるアシャデル=オーシャン国王陛下を支える宰相閣下が、ティアナ達の父と兄弟なわけだが、そのアシャデル=オーシャンに直接面会するのは無理なので、頼むには、兄弟の宰相に頼むしかないわけ。
ただ、その宰相が息子を継がせると宣言し、去年から宰相の権利をその息子に引き継がせた。そのシトリス国の新たな宰相閣下になったティアナ達の従兄弟に当たるその息子に、ジュミルは頼もうとしているのだ。
父を通し、その権力者に頼み、このパール国にいる姉弟へとシトリスからお金を工面する手配をしてもらう。
「あの子って、確か…怪我していた珍しい銀色の獅子のこと?」
「ええ、そうよ!白銀の綺麗な毛並みをした獅子よ!リュシュラン王国の獅子のように立派で強く、私の賢いリュオン!可愛いがっていたのに、あの男…っ。私の目を盗んでお父様に言いつけたのよ!女の私ではあの子を育てられないって!」
思い出しただけで腹が立つ!
ティアナの怒りは根深い。
ジュミルは困ったように首を傾げる。
「でも、あの獅子って、確か使用人のトールに噛み付いたんじゃなかった?姉さんだけに懐いていたから、正直使用人達は怖がっていたんだ。これ以上怪我人が出る前にって、それを偶然見てしまったあの人がお父さんに教えたんだよね?」
「ち、違うわよっ。あれはトールが怖がって、食べ物を与えなかったからで…リュオンはそんな子じゃない。た、確かにみんな遠巻きにしていたけれど…な、懐くように毎日世話をすれば、それはそれは可愛い子に…」
「うん、そうだけど。その前に怪我をさせたら、意味がないよね?飼い慣らすにも、姉さんが学園にいる間は使用人が世話しなくてはならなかった。あの人は安全を踏まえて、お父さんにそれを話したんだ。お父さんは姉さんに過保護だし、嫁入り前の姉さんにもしものことがあったらって、誰でもああしていたよ」
ジュミルの言い分はもっともだった。
あれから何回も父にも、母にも言われ続けていた。
「でも、それでも、あそこであの男がチクらず、しっかりリュオンを育ててれば…」
「姉さん。僕らはピンチだ。ここで野垂れ死になるか、あの人を頼るか、もう道はない」
ジュミルが真剣な顔をして、まだ駄々をこねてぐちぐち文句を言う姉の言葉を遮り、遠回しに嗜めた。
そんな事を言っている場合ではない、と。
弟に強く言われ、ティアナはうっと言葉に詰まった。
「姉さん、現実を見ようよ。姉さんの体調も心配なんだ。あの剣が原因なら尚更早く、王家の者に頼むしかないよ」
あの男も一応は、王家の血筋となる。
母親がシトリス国国王陛下の妹に当たる。
ティアナは追い詰められたように余裕ない顔をした。
入口の扉の壁掛けに差してある国宝剣を見て、苦渋の表情を見せた。
「くっ…。ジュミルの、言う通りね。仕方ない。ものすご〜く嫌だけど、今は奴に頼むしかない」
ギュッとシーツを握り耐え忍ぶ彼女に、ジュミルは呆れたように小さくため息をついた。
「じゃあ、この働くのも視野に入れて、お父さんに報告するよ」
「よろしく…。あの男は絶対来ないように、とお父様に念を押すことを忘れないでね」
にっこりではなく、にったりと笑い、ティアナは従兄弟の宰相閣下が来ないように願った。