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彼女はバンドマンが好き

作者: 相里紘香

宮原一華との出会いはライブハウスだった。初めて見た時の彼女は、ステージの上で輝く演者とは対照的に、人の顔のわかりにくい、暗い観客席で涙を流していた。


あまりにも大泣きしていたので、僕はハンカチをカバンから取り出し、差し出した。きょとん、とした彼女に「綺麗ですよ」と付け加える。


ハンカチを手に取った彼女はまた、ステージに目を向けた。彼女は涙を拭くことはしなかった。ハンカチはずっと、左手に握り締められていた。



ライブハウスを出たところのベンチで、僕はスマートフォンを弄っていた。まだ彼女は出てこない。


今日は最近人気が出てきたインディーズバンド・anemoneの単独ライブだった。下北沢の小さなライブハウスは、若い女の子で溢れていた。


花の名前がついたそのバンドは、女性ファンが多い。恋を歌った曲が多く、その歌詞から「女々しい」と揶揄されることがあるながらも、僕は好きだった。


全ての曲に花の名前が入っているという点も、統一感があって、オシャレに感じた。花が好きで、毎週新しい花を部屋に飾ってる僕には、ぴったりのバンドだと思っていた。


ライブが終わって30分ほど経った頃に、彼女は姿を現した。


僕たち二人の目が合う。


会釈をした彼女は僕に駆け寄り、「どうしたらいいですか?」と僕のハンカチを見せる。


「もらってください」「いらなかったら捨ててください」どの言葉もなんだが言う勇気がなく、「じゃあ」と、受け取った。


「よく、anemoneのライブ来るんですか?」僕は、彼女と何か話をしたくて、無難な質問をした。「大体、来てますよ」彼女は普通に、僕と会話をしてくれた。


「すごく感動してましたね」彼女の泣き顔を思い浮かべながら言った。彼女は少し、苦笑いをした。


「駅まで一緒に行きませんか?」自分的には思い切った提案だったが、彼女は特に気に留めるわけでもなく「はい」と答えた。


駅までの道のりを、当たり障りのない会話をしながら歩いた。時折、飲食店の看板に目をやり「焼き鳥、美味しそうですね」なんて言ってみたりした。


「あ」


彼女は僕の足元を指差した。靴紐が片方解けている。足を止めると彼女がしゃがみ込んで、僕の靴の紐を結んだ。


「あの」


お礼をいうわけでもなく、僕は咄嗟に「名前、教えてください」と言った。彼女は、僕がハンカチを差し出した時と同じ、きょとんとした顔を見せた後、「イチカ。ミヤハライチカ」自身を指差し、そう言った。


LINEの交換はしなかった。だが、Twitterのアカウントは教えてもらった。「情報交換しましょう」なんて、それらしいことを言ってみる。「また、ライブで会ったら」その日はそう言って、別れた。


月に2回ほどのペースで行われるライブに、僕は毎回足を運んだ。ライブに行けば、彼女に会えると思っていた。さすがに地方で行われるものには行くことはできなかったが、隣県くらいだったら、検討することもなく、チケットを購入した。


ライブハウスで彼女と会えば、声を掛けた。彼女はいつも、後ろの方の隅っこにいる。


彼女はフリーターだと言っていた。年齢は24歳で、僕の一つ下だった。


「anemoneのメンバーもみんな24歳だよね。やっぱり同い年だと応援したくなる?」僕のその問いかけに「まあ、そうだね」と一華は言った。



彼女と初めて会ったライブから、半年以上が経っていた。初めてデートに誘った。と言っても、ライブの前に少しお茶をするだけだった。彼女とライブハウス以外で会うのは初めてだった。


吉祥寺のカフェで、僕は彼女に「好きです」と言った。彼女はまた、あの表情をした。その後「ありがとう」と笑った。ただ、それだけで、僕らは付き合うことはしなかった。


彼女のことはあまりよく知らない。彼女は僕の話をよく聞いてくれるが、自分の話はあまりしなかった。他愛のない会話で、いつも場は持っていた。僕に話術があったわけではない。彼女がそうなるようにしてくれていたのだ。



冬から春に変わる頃。日本はコロナ一色だった。


ライブは行われなくなった。程なくして、ライブ動画配信が一般的となり、例外なくanemoneもネットでライブ映像をリアルタイム配信していた。


その日、自室を背景に、anemoneのギターボーカル・ギンジは弾き語りを披露した。


彼女もきっと、今この映像を見ているのだろう。


彼の部屋には、ドライフラワーが飾られていた。アネモネの花のイラストが描かれたマグカップに、その花は挿さっていた。


「それはグッズですか?」「ほしいです!」


誰かのコメントに対して彼は「anemoneを結成する前から持っているんです」と言った。


彼の好きな、花だった。



6月17日の彼女の誕生日に、ライブハウスでのライブがあるという。最後にライブに行ってから4ヶ月が経っていた。


その日のライブは今までとは雰囲気が違かった。久しぶりだから、そう思ったわけではない。


5曲すべてが新曲だった。違うところといえば、ギンジが歌いながら、涙を流していたところだった。


それはあの日の彼女の泣き顔のようだった。今まで彼が、ステージ上で涙を流すことはなかった。それは僕も、一華も、よく知っていたことだった、はずだ。


ステージ上の視線が、こちらに向く。僕と目が合った、わけではない。確かに彼の視線は、一華に向いていた。


今日はいつもとは違って、僕らは前の方にいた。「誕生日くらい」と、僕が無理やり彼女を引っ張ってきたのだ。


僕は一華の方を見た。彼女は全く涙を流していなかった。ただ一点をずっと、深妙な顔で見つめていた。



帰り道、ふと、僕は"アネモネ"と検索エンジンに打ち込んだ。一番上のサイトを開くと、アネモネの和名が一番に載っていた。僕はそっと、スマートフォンを閉じた。



僕は二度と、彼らの曲を聞くことはなかった。宮原一華と会うこともなかった。


あの日から僕は、部屋に花を飾るのをやめた。


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