誰にも必要とされない私でも、死んだら必要としてくれますか?
私――アルシラ・ティーレイは人生において唯一、人に必要とされたことがある。
それは、騎士公爵家であるルーヴァンス家との婚約話であった。
ティーレイ家は貴族としては弱小であり、正直言ってしまえばその影響力は非常に低かった。
けれど、ルーヴァンス家のレイス・ルーヴァンス様に見初められて、私の人生は一変した。
私のことを必要としていなかった両親は、優しい言葉を掛けてくれるようになり、なによりレイス様は本当に私のことを愛していてくれたのだから。
私は十六歳にして、初めて生きていてよかったと思える程に、幸せだった。――けれど、そんな幸せも長くは続かなかった。
「俺が間違っていた。お前のような者を妻に迎えようなどとしていたとはな。裏切り者の屑め」
ある日、屋敷に戻ってきたレイス様はそう言って、私のことを罵った。
私には全く覚えがなく、なにを言っているのかさえ分からなかったけれど、私はすぐに衛兵に連行されて、冷たい牢獄へと放り込まれた。
――罪状は、国家反逆罪。
騎士団でも重鎮であるルーヴァンス家に取り入り、国の情報を国外に売ろうとしたというのだ。
もちろん、私には身に覚えのないことで、全て否定した。
けれど、私の言葉を信じてくれる者は誰もおらず、ようやく優しくなったと思っていた両親は私のことを切り捨てて、あることないことレイス様に答えたようだ。
私の弁明は聞き入れられず、私は遠く離れた流刑地へと送られることになった。
「殺されないだけマシだと思え」
そう吐き捨てたレイス様の顔を、私は揺れる馬車の中で思い出す。鎖に繋がれて、私はこれから流刑地で奴隷のような扱いを受けることになる。
――殺されないだけマシ、本当にそうなのだろうか。
いっそ、私は処刑された方がマシだったのではないか。
そう、何度も考えて、気付けば涙を流すことも忘れてしまっていた。
流刑地に向かう馬車が落石に巻き込まれたとき、私はこれで『死ねる』と思った。
あまりにひどくて報われない人生だったから、もしも生まれ変わったら――今度は人並みに幸せな人生を送ってみたい……それが、私のささやかな願いであった。
そのはずなのに――
「なんだ、生きていたのか」
「……?」
目を覚ました私は、ゆっくりと身体を起こす。
硬くて冷たい石でできたベッドの上。目の前には、長身の男が立っていた。
少し不健康そうに見えるくらいの白い肌。けれど顔立ちは整っている。
黒いローブに身を包んだ男は、また残念そうに口を開く。
「『綺麗な死体』を拾ったと思ったのだが、まさか息を吹き返すとは」
「あなた、は?」
「僕はガロン・ルーデッド。『死霊術師』だ」
――死霊術師。その名前は聞いたことがある。人間、あるいは魔物の死体を使って魔術を行使する者のことだ。利用するのが『死体』であるために、魔術師も含めて毛嫌いしている者が多いと聞く。
「ガロン……様」
「様、などとつける必要はない。僕はそんな高尚な存在ではないからな」
「ここはあなたの家、ということでしょうか?」
「そうだ。近くで『いい死体』を探していたところ、君を見つけてここまで運んだ。君はとても『綺麗な死体』だと思ったからな。だが、生きていては何も意味がない……怪我もしていないようだし、さっさとここから出て行ってくれ」
『綺麗な死体』――『綺麗』という言葉を私に言ってくれたのは、レイス様だけであった。
今の私には、『綺麗な死体』というのはなによりぴったりな言葉なのではないだろうか。
生きる希望もなく、せっかく死ねるチャンスを逃してしまった――ただ生きているだけの存在。
もしも、目の前にいる彼が、せめて私を必要としてくれるというのなら……。
私はベッドから起き上がり、ふらふらと目についたテーブルの方へと向かう。
そこには、おあつらえ向きに手入れされた刃物が置かれていた。
私はそれを手に取って目を瞑り、自らの喉元に突き立てる。――死を選んだのは、初めてのことだったかもしれない。
けれど、その刃先が私の喉元に届くことはなく、パタパタと生温かい液体が、私の喉元に垂れてくるだけであった。
「なにをしている?」
「――っ!」
私が突き立てようとした刃を、ガロン様は素手で握りしめていた。
彼の方を見ると、冷たい視線を私に向けているのが分かり、私は動揺して彼に抵抗した。
「は、離してくださいっ!」
「なにをしている、と聞いているんだ」
「死体が、死体が必要なんですよね? 私――私が、『綺麗な死体』として、使い物になるなら、使ってほしいんです。私なんて、どうせ生きていたって、誰にも必要とされないんですからっ!」
私はなにを言っているのだろう。
こんなことを初対面の相手に言って、理解されるはずもない。
けれど、私はもう限界だった。
「ガロン様が使ってくれるのなら、それでいいです! 死んで必要とされるのなら――」
「ふざけたことを言うな」
私の言葉を遮って、ガロン様は力ずくで刃物を奪い取る。
彼の力にかなうはずもなく、私はその場に崩れ落ちた。
必要とされたから死のうとしたのに、それすら止められてしまうなんて。
「……どうして、止めるんですか」
「当たり前だ。目の前で女に死なれて、いい気分でいられると思うか?」
「……? 死体が、必要なのではないんですか?」
「当然だ。僕は死霊術師だからな」
「なら――」
「だからと言って、目の前で女が死ぬのを見過ごすと思うか? 死体は好きだが、それなら『お前も死体になるがいい、ふはははっ!』とでも言うような外道でもない。自ら死ぬような道を選ぶのはやめろ」
私はその言葉に呆気に取られた。
死霊術師とは、死体を必要とする魔術師のはずだ。
それなのに、その相手に――『死体になる』と言ったら『死ぬのはやめろ』と諭されたのだから。
私は俯いて、黙り込んでしまう。
彼の言葉に反論する術を、私は持っていなかったからだ。
「……はあ。出て行けとは言ったが、しばらくはここで休んで行っていい。だが、僕の目の前で死のうとはするなよ」
そう言って、ガロン様は部屋から出て行ってしまった。
一人取り残された私は、ただ呆然と――床に垂れた彼の鮮血を見下ろすことしかできなかった。
***
どれくらい時間が経っただろう。
あの後、私は部屋を出る気力もなく、再び冷たい石のベッドの上に倒れるようにして、眠りについていた。
ガロン様に『死のうとするな』と言われて、私にはもうできることがなかった。
帰る場所もなく、死ぬこともできず――また、私はただ『生きているだけ』の存在だ。
「私、なんで生きているんだろう……?」
ぽつりと、そんな疑問を口にする。
生きている理由が、今の私にはない。けれど、死ぬことも許されない――なら、私はどうすればいいのだろう。
分からない。生きていたってどうせ――
「少しは眠れたか?」
「!」
ギィと木の扉を開けて、声を掛けてきたのはガロン様であった。不機嫌そうな表情で、彼は部屋の中へと入ってくる。
私が黙っていると、彼はより不機嫌そうな表情をして、
「『少しは眠れたか?』と、僕は聞いたんだが」
「っ、は、はい……」
威圧するような言葉に、私は一先ず頷いて答える。
確かに、私は眠っていたのかもしれない。……いや、本当はそれすらも分からない。
ただ石のベッドの上に横になって、脱力して『生きている』だけだったのかもしれない。
私の様子を見てか、ガロン様は小さくため息を吐き、近くにあった木の椅子に腰を掛ける。
「眠れたのならいい。まずは落ち着くことが、今の君には必要だろう」
私はガロン様の表情を確認する。
相変わらず不機嫌そうであったけれど、先ほどよりもどこか和らいでいるようには見えた。
落ち着くこと――確かに、先ほどの私は随分と取り乱していたと思う。
今は時間も経ったおかげか、落ち着いているのは間違いなかった。
だからだろうか――乱雑に巻かれた、彼の手の包帯を見てハッとする。
「その怪我は、先ほどの……?」
「これか? そうだ。全く、君のせいで必要のない怪我をしてしまった。刃物をあんな風に使うのは、金輪際やめてくれ」
「! ごめん、なさい……」
私はただ、謝ることしかできなかった。
彼が怪我をした理由は、私が死のうとしたからだ――それを止めてくれたから、私は生きている。……『止めてくれたから』なのか、正直分からないけれど。
「謝る必要もない。僕が勝手に止めただけでもあるからな。だが、責任は取ってもらおうか」
「責任、ですか……?」
「そうだ。よりにもよって利き腕を怪我してしまったからな。もちろん、怪我をしたから仕事ができない――なんていうことはない。だが、日常生活ではなにかと不便なこともある。だから、僕の怪我が治るまで君に身の回りの世話を頼みたいんだが」
「! 私に……?」
それは、思わぬ提案であった。私は思わず、ガロン様に聞き返してしまう。
「いきなり目の前で死のうとした女、ですよ?」
「自分で言うな。確かに、君は危険な女であることに違いはないだろう。だが、このまま君を帰せば、それこそ近くの森で野垂れ死ぬか、自ら死を選ぶんじゃないか?」
「――っ!」
ガロン様の言葉に、私は思わず息を呑む。――きっと彼の言う通りになってしまうと、私の中でも予感があったからだ。
ガロン様は、そのまま言葉を続ける。
「それでは僕の寝覚めが悪い。死体だと思って拾ったのは僕だが……生きていた以上は仕方ない。行く宛がないのであれば、しばらく面倒くらいは見てやる。ちなみにだが――」
ガロン様は椅子から立ち上がると、包帯に巻かれた方の手で私の頬に触れて言う。
「君に拒否権はない。いいな」
そう強く宣言されて、私はただ頷くしかなかった。
死ねなかった私は、死霊術師の男と共に、生きることになった。
***
翌日――私はふかふかのベッドで目を覚ました。
『死体でない者が石のベッドを使うか?』と言われ、私にはしっかりとした寝室が用意された。
ガロン様のベッドがないのでは、と心配したけれど、『他の部屋にあるから心配するな』と言われて、私は頷くしかなかった。
ベッドから起き上がり、私は部屋に置いてあった鏡の前に立つ。
鏡の中に映る自分の表情を見て、思わず笑ってしまいそうになった。
「死んだ目、しているわ……」
これなら死体と間違われたって仕方ない――そう思うくらいには、生気のない顔であった。
自分の顔を見て笑えるくらいには、まだ私は生きていると言えるかもしれないが。
女物の服はないということで、私は彼から借りたサイズの合わない服を借りている。
男向けの服で、それもガロン様は長身だ――袖の部分は、捲らないと私の手が出てこないくらいだった。
部屋を見渡すと、床には乱雑に本が置かれていたり、壁に立てかけられた角の生えた動物の剥製があったり、『いかにも魔術師』の雰囲気の部屋と言えた。……私の魔術師に対する知識が、それだけ薄いとも言えるのだけれど。
私はそっと、部屋の扉を開ける。
廊下に出ると、やはり壁には動物の剥製がいくつか飾られていた。
今にも動き出しそうに見えるそれを、私はまじまじと見つめてしまう。
『私の顔に何かついておりますか?』
「――っ!?」
不意に声が聞こえてきて、私は声にならない悲鳴を上げそうになる。
それは、人の顔よりも大きな『頭』を持つ鴉の剥製であった。
壁に立てかけてあり、身体の部分は存在していない。
だが、その鴉はしっかりと、私の方に視線を向けて声を発している。
『これは失礼。驚かせるつもりはありませんでしたが、あまりに私の方を見つめるものですから』
「い、いえ……わ、私の方こそ、すみません。えっと、あなたは……?」
『これはこれは……ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私の名はベルヘイン。ガロン様にお仕えする使い魔にございます』
「……使い、魔?」
『ご存知ありませんか? 魔術師であれば、多くの者は自らのために働く使い魔を用意するものなのです。基本は生きている動物や、魔物になるのでしょうが……ガロン様は死霊術師。私は、ガロン様によって作られました死体の集合体である合成獣なのです』
「な、なるほど……?」
なんとなく、鴉――ベルヘインさんの言っていることは理解できた。
彼は死霊術師であるガロン様が作り出した使い魔である、ということだ。
『ガロン様より言伝をお預かりしております。今朝方は早くから用事がある、朝食の準備を頼む、とのことです』
「! 朝食の準備、ですか」
『料理を作ったことはございませんか?』
「い、いえ。難しい料理でなければ」
『では、宜しくお願い致します。――っと、その前にもう一つ、貴女様のお名前をお伺いしても?』
「はい、アルシラ・ティーレイ、です」
私がそう答えると、ベルヘインはうんうんと首を振って頷く。
『アルシラ・ティーレイ様でございますね。ベルヘイン、確かに記憶致しました。では、お任せしましたよ――』
そう言うと、彼はそのまま剥製のようになって動かなくなる。
恐る恐る近づいて確認してみるが、先ほど生きていたかのように動いていたはずの彼は、すでにそこにはいない。……これが魔術師の家というものなのだろうか。
「……そうだ。朝食の準備、しないと。えっと、台所は――」
『台所はあちらにございます』
再び動き出したベルヘインに、私は今度こそ悲鳴を上げてしまった。
***
ガロン・ルーデッドはいつものように、近くの森の中を散策していた。
『いい死体』を探すのが彼の日課であり、それを持ち帰って自らの死霊術に利用するのが、彼の日常であった。
だが、なかなかガロンの認めるレベルの死体を見つけることは難しい。
小さく、ガロンは舌打ちをした。
「……ちっ、面倒なことになったな」
舌打ちをしたのは、死体が見つからなかったからだけではない。
これから戻る自宅には、一人の少女が待っている。――彼女を拾ったのは、この付近の川の傍であった。
流れ着いたのか、ほとんど無傷であった彼女を見た時、ガロンは『綺麗な死体』だと思った。
そのまま持ち帰って、死霊術に利用してしまおうと思うくらいには、ガロンは少女のことを認めていたのだ。
だが、近づいてすぐに分かった。この子は生きている――ガロンは迷った。
生きているのであれば、ガロンとしては不要な存在である。死霊術に必要なのは、『死体』だけだ。
そのまま放っておけば、森の中で少女が目を覚ましたとして、生き延びられる確率は低い。
見つけてしまった以上は、一先ずは保護するしかない……そう考えた。
目覚めた少女は、さっさと家から追い出して、安全なところまでは使い魔のベルヘインに見送らせればいい、と。
そのはずだったのに――目覚めた少女は、自ら命を絶とうとしたのだ。
そんな寝覚めの悪い行為を、ガロンが許すはずもない。
せっかく、彼女を『生かす』ために拾ったというのに、どうして死なれなければならないのか。
――私なんて、どうせ生きていたって、誰にも必要とされないんですからっ!
少女の言葉だ。ただ自棄になって言っているわけではない。彼女は、本気でそう思って言っている。
それが、ガロンには強く伝わってしまった。
「……だから、面倒なんだ。生きている人間っていうのは」
ガロンはまた、大きくため息を吐く。
もしも彼女が死んでいたのなら、こんな風に悩むこともなかっただろう。
誰よりも生きている者に興味がないというのに、どうして生きている者について、悩まなければならないのか。
ガロンは苛立ちを隠せないままに、この日は死体を見つけられず――帰路へとつく。
玄関の扉を開くと、早々にベルヘインから声がかかった。
『お帰りなさいませ、ガロン様』
「ベルヘイン、彼女はどうだ? 勝手に死のうとはしていないか?」
『はい。昨日の状態を聞く限りではどうなることかと思いましたが、落ち着いていらっしゃいますよ。私のことを見て驚くくらいには、年相応の女の子らしいと言えます』
「……そうか」
『ああ、それと彼女の名前は聞いておきました。アルシラ・ティーレイだそうです』
「アルシラ・ティーレイ、か。僕が聞いたことがないということは、有名な家柄というわけではなさそうだ」
『何か大きな問題に巻き込まれると面倒、そう考えていらっしゃいますか?』
「当たり前だろう。それで、彼女はどこに?」
『台所で調理を。丁度、リビングに料理を運んでおります』
ベルヘインの言葉に、ガロンは怪訝そうに眉をひそめた。
「……? 何故料理を?」
『ガロン様は最近、まともに食事を摂られておりませんから』
「お前か、ベルヘイン。余計なことを――」
そこまで言ったところで、キィとリビングの扉が開いた。
少女――アルシラが、少し驚いた表情でガロンのことを見る。
「! ガ、ガロン様。もう、戻られていたんですね」
「……ああ、先ほど戻ったばかりだ。僕はこう見えて忙しいから、これから『工房』の方に籠る」
そう言って、ガロンはアルシラの前を通り過ぎようとする――だが、
「あの! 言いつけ通り、朝食の準備、できています」
そう呼び止められてしまっては、ガロンも足を止めるしかない。
すでに気配のないベルヘインに心の中で悪態を飛ばしながら、ガロンはリビングの方へと向かう。
「さっさと食べて工房に籠る」
「は、はい」
ガロンがリビングに入ると、テーブルの上にはいくつかの料理が並べられていた。
近くで摂れる山菜のサラダや、魔物の卵を使ったスクランブルエッグなど、いかにも朝食といった感じのものだ。
まともな朝食を摂るのは、久しぶりな気かもしれない。
席に着くと、ガロンがすぐにある事実に気付く。
「……君の分はどうした?」
「え?」
きょとんとした表情で、間の抜けた声を漏らすアルシラ。
どうやら、彼女は自分の分は作っていないらしい――それを知って、ガロンは小さくため息を吐いた。そして、彼女に指示を出す。
「これからは自分の分も用意しろ。今は……僕と半分でいいか?」
「! で、ですが……」
「今度から、きちんと用意すればいい。分かったな?」
「っ! はい、すみません……」
申し訳なさそうな表情で頭を下げるアルシラ。
『今度から、きちんと用意すればいい』――そう言ってしまった以上、今度からは料理を準備させることになってしまう、とガロンが気付くのは、少し後のことだ。
***
……失敗してしまった。
私はなんて初歩的なミスをしてしまったのだろう。朝食を準備するというのなら、自分の分も用意しなければ、誰が用意するというのだろうか。
そのことにすら考えがいかないなんて……思わず自嘲気味に笑ってしまう。そしてもう一つ、気付いたことがある。
やはり、私は生きていたいとは思えていないのだ。
だから、そもそも朝食を用意して食べよう、なんて考えにすら至らない。
一人、リビングで片付けをしながら、私はその事実に辿り着く。
ちらりと台所の方へ視線を向けると、先ほど調理に使った包丁が目に入る。
あれを使えば――なんて考えがちらつくけれど、それではやはりガロン様に迷惑がかかってしまう。
朝食を食べてすぐに、ガロン様は『工房』の方へと向かった。
昨日、私が眠っていた石のベッドのある部屋らしい。
片づけを終えた私は、工房の方へと向かう。
扉を開けると、ガロン様は本を開いて何やら呟いているようだった。
「あの――」
「勝手にここには入るな」
「! ごめんなさい……」
「……それで、何の用だ?」
パタリと、ガロン様は本を閉じて、私の方に視線を送る。
相変わらず機嫌が悪そうなのは変わらない――私が変なことを言い出せば、本当に怒りそうだとは思った。
けれど、どのみち私に失うものなどないのだ。私は意を決し、ガロン様に言う。
「助けていただいて……本当に感謝しています。けれど、私がここにいては、やはりガロン様にご迷惑がかかりますので、ここを出て行きたいと思っています」
ガロン様の方を真っ直ぐ見て、私ははっきりと言ってのけた。
ここを出て、死ぬのならばそれで構わない――そう考えての発言だ。
ガロン様は、椅子に腰を掛けて手に書物を持ったまま、私に手招きをする。
それに従って、私は彼に近づくと――ゴンッと本の角で、頭を叩かれた。
「いたっ!? な、なにを――」
「昨日の今日で何度も同じことを言わせるな。君を放っておくと寝覚めが悪くなると言っただろう」
「も、もう大丈夫ですっ。一晩寝て、元気になりました!」
「死んだ目をして元気になった、などと言われても説得力がない。まだ死んだばかりの魚の方が、生気のある目をしている」
「な……っ」
死んだ魚の目よりも目が死んでいる――なにもそこまで言われる筋合いはない。
「こ、ここを出て行くかどうかは、私の勝手ではないですか!?」
「その通りだ。君がここを出て行って、きちんと町に戻って元気に仕事をして暮らす、と言うのであれば、僕は喜んで君を送り出そう。だが、君はそうはしないだろう。まず間違いなく、この森のどこかで命を絶つ――君はそういう顔をしている」
「……っ!」
はっきりとガロン様に言い切られて、私は言葉を詰まらせる。
否定できないからこそ、私は彼に反論できないのだ。
私は――確かにここから逃げ出そうとした。逃げ出して、そして自分の人生を終わらせたいと思っているのだ。
「……だったら、どうすればいいんですか? 私は、誰にも必要とされないのに。私が生きていたいと思える日まで、ここにいろってことですか?」
私はガロン様に問いかける。生きていたい理由はない。ここに至って、見つけられるはずもない――それなのに、生きていろというのは、あまりに酷な話ではないだろうか。
私の言葉を聞いて、ガロン様は静かに口を開く。
「誰にも必要とされない、か。君は誰かに必要とされなければ、生きていけないのか?」
「そんなの、分かりません。でも、一人でただ生きていくだけなら、もう……死んだ方がマシです」
「そうか――なら、僕は君を必要とする」
「……え?」
私は思わず、間の抜けた声を漏らす。
ガロン様は、一体何を言っているのだろう。
「君が誰かに必要とされたいというのなら、僕は『君の死体』がほしい。昨日も言った通り、君のことはとても『綺麗な死体』だと思っている。正直言って、僕が見た中では一番だ。だが、自分で死んだりするのは、僕の寝覚めが悪くなるからダメだ。それに身体にも傷も残る。だから――君が自死を選ばずに死んだ時は、僕は君を使うと約束しよう」
「――」
ガロン様の言葉に、私はただ呆気に取られた。
死ぬのはダメだ――けれど、私の『死体』は使いたい。
なんてわがままな願いなんだろう。けれど、そこには確かに、私を『必要』としてくれるというのは伝わった。
死んではいけないけど、死ぬことで必要とされる――こんな歪んだ理由で、私にこれから生きろ、と言っているのだ。
けれど私は……そのガロン様の言葉を聞いて、自然と口を開いていた。
「もしも私が、自死以外で死ぬことがあれば、必要としてくれるということですか?」
「ああ、そうだ」
はっきりと、ガロン様が頷く。
ああ――私はそれを聞いて、安堵してしまった。
死ぬことでしか必要とされないというのに、けれど私は……それで生きる理由ができてしまったのだ。
「……分かりました、ガロン様。私は、あなたが私の『死体』を必要としてくれるから、死ぬまでは……生きていたいと思います。だから――」
誰にも必要とされない私でも、死んだら必要としてくれますか?
【ちょっとあとのお話】
「……ですが、自死を選ばずに死ぬというと、私はいつ死ぬか分かりませんが……?」
「……確かにそうか。そこまでは考えていなかったな」
『死ぬまで一緒にいてほしいとは大胆な告白でございますね、さすがはガロン様』
「ベルヘイン、もう一度死体に戻りたいか?」
『これは失礼を。では、私はこれで』
「えっと……?」
「一先ず、だ。君の好きなようにするといい。他に生きる理由ができれば、ここを出ていけばいいのだから」
「……はい、ありがとうございます」
「礼を言うことでもない」