2
「ゲホッゲホゲホッ」
何てことだ。熱が出てしまった。
最近調子が良い日が続いていたから、昨日無理して長い時間本を読んでしまった。恐らく体が冷えてしまったんだろう。
本当にこの体はままならなくて腹が立つ。
「……今日はアメリアが来る日だった、な」
クラクラする頭を押さえて起き上がろうとすると、従僕にベッドに戻されてしまう。
「アメリア様には今朝知らせを出しました。殿下は今日はゆっくりお休みになられて下さい」
「そう、か……」
従僕の言葉に安心する自分と、がっかりする自分がいて驚く。
アメリアが持ってくる手土産に冷や冷やさせられることがないのは嬉しい。嬉しい……が、あの陽だまりのような笑顔が見られないのは少し寂しい。
特に、今のように熱で苦しい時はあの笑顔が無性に見たくなる。
僕は一体いつからこんなにもアメリアの笑顔に惹かれていたんだろう?
そう朦朧としながら思った。
「うぅ……」
気が付けば夜になっていた。部屋は蝋燭の灯がたった一つだけ。
体が燃えるように熱い。頭もズキズキするし、関節もどこもかしこも痛い。
暗い部屋で、動かない体に襲いかかってくる痛みに耐えていると、どうしようもない孤独が襲ってきた。
(僕はこのまま死ぬのか……?)
誰にも気付かれないまま、助けも呼べぬまま死んでしまうのかもしれない。
そう考えると足の先からじわじわと冷えるような、血の気が引くような、そんな冷たさが這い上がってきて涙が出そうになってきた。
(こわ、い……怖い、怖い……)
その言葉で頭がいっぱいになって、どうしようもない。
目をつぶってひたすら孤独に耐える。
(誰か助けてくれ!)
そう心の中で叫んだ時だった。手にヒヤリとした感触を感じたのは。
「ジョシュア様」
「アメリア……?」
声が聞こえて目を凝らすと、そこには居るはずのないアメリアが立っていた。
そして、しっかりと僕の手を握っていた。
「どうやってここに……」
「しーっ」
混乱して問いただそうとした僕を見て、アメリアは人差し指を唇に当てる。
反射的に黙ってしまった僕を見て、アメリアはニヤリと笑った。
その笑顔を見て嫌な予感がする。
(今度は一体何をするつもりなんだ?)
何でここにいるのか、どうやって部屋に入ってきたのか、色々なことが気になったが、僕は口に出す気力も無かった。
諦めの境地に立っている僕には気付かず、アメリアは手を離すと徐に蝋燭の火を吹き消した。
かと思うと、ゴソゴソと何かを取り出す音が聞こえてくる。
さすがに今はゲテモノには耐えられそうにない、と目をつぶって身構えた僕だが、アメリアは何も言わない。
不思議に思って薄ら目を開けてみると、淡い光が目に入った。
「わぁ……」
今度はしっかり目を開くと黄色や白に点滅する光が部屋を照らしていた。そのあまりに幻想的な光景に、僕は開いた口が塞がらない。
「光星虫っていうんですよ」
「光星虫……」
「名前の通り星みたいに光る虫で、綺麗な川が流れている山に生息してるんです。とある木の樹液が好きで、持ってると集まってくるんですよ」
真っ暗闇の部屋の中、光星虫の瞬きだけが目に映る。
まるで、夜空の只中に立っているような感覚に陥った。
「……わざわざ山まで取りに行ったのか?」
大きな声を出すと幻想的な景色が壊れてしまいそうで、自然と囁き声になってしまう。
アメリアも同じなのか、その声はいつもの溌剌とした声とは違って落ち着いたものだ。
「風邪の時ってとっても心細くなるから、少しでもジョシュア様が寂しくなくなればいいなと思って」
その言葉に驚いてしまう。あまりにも体調を崩す僕に皆が慣れてしまって、そんな風に言われた記憶はない。
ぐっとこみ上げるものがあったが、突然冷たい物が手に当たって驚き、引っ込んでしまった。
何かと思い薄明かりの中で目を凝らすと、アメリアがベッドの淵に腰掛けて、僕の手に手を重ねているのが見えた。
「アメリア嬢……」
「私、ジョシュア様の婚約者になれてとても嬉しかったんです」
手を重ねたまま、アメリアは静かに言う。
普段とは違うその様子に、僕の胸がどくんと音を立てた。
「ほら、私ってこんなだから。お父様にも迷惑をかけちゃってるのは分かってたんです。でも、変えられなくて……」
アメリアはそう言って目を伏せる。
自分でも変わってることは自覚していたのか。
なら、それでも自分を通すのは何故ーー。
(ーーいや、周りとは違うからと言って、必ずしも合わせられる訳ではないな)
僕もそうだ、と思い直す。
僕も周りとは違って体が弱いから迷惑かけてばかりだけれど、どうしたって強くはなれない。
性格だって体だって、そこに違いはないのかもしれない。
「ジョシュア様と婚約しなかったら、きっと結婚なんて出来なかったって今なら理解できます」
まだ幼い時には、何が駄目なのかがよく分かっていなかったのだろう。
いや、周りが理解し過ぎていたのかもしれない。そう思うと少し同情してしまった。
でも、とアメリアは続ける。
「ジョシュア様の婚約者になれて。ジョシュア様は優しくて、かっこよくて……私、すごく幸せなんです。だから、ジョシュア様の力になりたいんです」
『力になりたい』と言って、見つめてくるアメリアの瞳は、薄暗いはずなのに強い輝きを放っているように見えた。
(力になりたいと言うなら何で蛇とかカエルを持ってくるんだ)
本当はそう言いたいはずなのに、アメリアの瞳に圧倒されてしまい、言葉が出て来ない。
あの土産だって、アメリアなりに真剣に選んだ結果なのかもしれないと、初めて思い至った。
「……」
そのままお互いに無言になる。
アメリアとの沈黙は初めてで、でも不思議と悪いとは思わなかった。
「――うっ」
「ジョシュア様?」
不意に胸が詰まるような感覚がして、僕は咄嗟に胸を掴んだ。その様子を見たアメリアが、どうしたのかとこちらを見ている。
「――何でもない。少し、胸が詰まったような気がしただけだ。もう何ともない」
それは本当に一瞬だけで、今は何とも感じなかった。
それを伝えると、アメリアは安心したような、心配しているような不思議な表情をする。
「ジョシュア様の体に障るといけないので、そろそろ行きますね」
不意にアメリアがこの時間の終わりを口にした。
(もう終わり、か)
物寂しく感じていると、アメリアは立ち上がってごそごそとしている。
恐らく光星虫が好む樹液を持ってきていたのだろう。
光がまるで吸い込まれるようにアメリアの手元に集まっていった。
魔法を使っているようなその光景を見ていると、胸がぎゅっと掴まれるような感覚に陥った。
(この気持ちは何だ?)
この時間の終わりが辛いというのだろうか。
いや、熱が出ているからきっと心細いのだ。
自分にそう言い聞かせる。
光星虫を集め終わったアメリアは燭台に火を付けていた。
「僕は君の明るさを好ましいと思う!」
気付けばその背中に声を掛けていた。
でも、それは紛れもない僕の本心だった。
「ありがとうございます」
驚いたように目を開いて僕を見たアメリア。
しかし次の瞬間には目を細めて、心の底から嬉しいという表情で微笑んだ。
「早く良くなって下さいね」
おやすみなさい。そう言うなり、アメリアはバルコニーから出て行ってしまった。
危ないと言う間も無く、ヒラリと消えてしまったアメリアは、さすが野生令嬢というべきか。
(本当にとんでもない娘だな、彼女は)
ふふふと笑い声が自分の口から出たことに驚いたが、僕もすっかり彼女に慣れたということなのかな。
呆れつつも、僕は目を瞑ると、その夜はすぐにぐっすりと眠ることが出来た。
いつの間にか『怖い』と思っていたことも忘れてしまっていた。
この夢のような一時は、僕が15歳、アメリアが13歳の時の出来事だった。