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涼宮ハルヒの憂鬱の哲学的解釈  作者: ひろあき
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涼宮ハルヒの憂鬱の哲学的解釈

涼宮ハルヒの憂鬱は京都アニメーション制作のアニメである。いわゆる、セカイ系アニメの一種とカテゴライズされる。しかし、涼宮ハルヒの憂鬱は単にセカイ系のアニメとして位置付けられるには、あまりにも異様なアニメだと思う。その証拠に、連続で同じシーンを毎週放送するというエンドレスエイトは、どのアニメにもない異様な特徴なのではないだろうか。


エンドレスエイトには今でも賛否両論ある。私もエンドレスエイトは要らなかったと思う。ただし、作品的な話に限る。というのも、エンドレスエイトは哲学的に重要な問題が提示されているからだ。だが、これはあくまでも作品者の意図とは関係がない。だから、これから語ることは私の勝手な解釈である。


物語はこうだ。美人で成績優秀でスポーツ万能の完璧な女の子が、宇宙人や未来人と会うための部活を設け、主人公である平凡な学生キョンを巻き添えにしていく。だが、平凡を望んでいたはずのキョンは、本当に宇宙人や未来人と遭遇していくことになる。彼らの話によると、この世界はハルヒの世界であり、ハルヒの思ったことがなんでも現実になってしまうとのことだ。そうすると、ハルヒがこの世界は要らないと思えば、本当にこの世界が消えてしまうということになる。だから、彼らはそれを阻止するために、ハルヒをなんとかしてほしいとキョンにお願いをする。

その結果、世界が崩壊しかけた時に、キョンがハルヒにキスすることで、世界が救われるという、そういうお話だ。


だいたい1〜8話までの要約である。ハルヒの哲学的な要素は、その話とエンドレスエイト界だけにしか存在しない。


まず、1〜8話までを哲学的に解釈していく。そうすると、ハルヒが第1話でキョンに対して「私って曜日にはイメージがあると思うのよね。」というところを思い出す。例えば、「月曜日は黄色火曜日は赤色水曜日は青色木曜日は緑色金曜日は金色土曜日は茶色日曜日は白色・・・」と言っているところがある。この部分に関してはただのハルヒのイメージに過ぎない。だが、哲学的な問題があるのは、キョンがそのイメージに対して数字を与えるところである。つまり、キョンはこのハルヒのイメージに対応させて「月曜日が0で日曜日が7ってことだな」というのだ。そして、キョンは「でも俺は月曜日は1って感じがするけどなぁ」と言って「あんたの意見なんて聞いてない」とハルヒが言ったところで、次の日のシーンになり、ハルヒは髪をバッサリと切り、曜日によって変えていた色付きリボンをやめてしまうのである。ではなぜハルヒは髪をバッサリと切ったのだろうか。それは、ハルヒの理解者が現れたからである。では、なぜハルヒの理解者が現れたのだろうか。それは、キョンがハルヒの言ってることを理解できたからである。ではなぜ、キョンはハルヒの言ってることを理解できたのか。


これは言語の問題である。そもそも、我々はなぜ言語を当たり前のように使えるのだろうか。誰かに教えられるのでなければ、言語は習得できないが、一度教えられればそれを使ってコミュニケーションができるようになっていくだろう。だから、わざわざ辞書を持ち歩いて会話をしなければならないようなことはない。

しかし、それは不思議なことなのではないか。いったい、どうして会話が成立しているのだろうか。


キョンはハルヒの行動に困惑する。いきなり宇宙人にしか興味がありませんと自己紹介しだしたり、全ての部活をまわってやめてを繰り返したりしていることに対して、「何がしたいんだこいつは」というセリフを吐く。だが、そういう理解できない存在であるにもかかわらず、少なくとも理解ができる部分もあるというところが重要である。これこそが、ハルヒの不自然さを不自然さたらしめているからだ。


他人の心は本当に存在するのかという問題がある。私は他人に心があると信じているが、その信仰そのものが実は嘘なのではないか、本当は他人に心などなく全ての人間はただの自動機械にすぎないのではないか、そういう問題である。ハルヒに対する理解できなさも、この問題とそっくりである。あいつはいきなり宇宙人にしか興味がありませんとか言い出したり部活をまわってやめてを繰り返したり、本当に大丈夫か?という心配があるからだ。


しかし、ハルヒは言葉を喋り、怒ったり楽しんだりする。だから、その限りにおいてはハルヒになんら間違ったところはないのだ。そうすると、キョンの感じた不自然さとはいったいなんだったのだろうか?この問題こそが、ハルヒとキョンとの会話のシーンにおける、哲学的な問題である。そして、言語の問題と他人の心の問題は本質的に同じことを問題としていると布石をはって、この章を締めくくりたい。続きはまた次回投稿する予定である。



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