第二話 母の変調、姉の帰還
「麗香お姉さま、なんだかお母さまの様子が変なの」
人形のように愛くるしい四女の百合が、大学院の研究室から帰宅した、次女の麗香に、必死に訴えかけてくる。
「変って?何かあったんちゃうの?」
長身の麗香は妹をあやすように軽くかがむと、辛抱強く話を聞き出す事にした。
「お母さま、ため息ばかりつかはって、お夕飯のビーフシチュー焦がさはって、今夜は出前を取るって言うてはるの」
「それは確かに変やね。あのお母さまが」
麗香の知る限りでは、初めての珍事だった。
「どこかお身体の具合でも悪いんやないの?」
麗香の言葉に今にも泣きべそをかきそうな、喜怒哀楽の表現が豊かな百合は首を振る。
「どこも悪くないって言うてはるし、何や上の空なの」
妹を促して、麗香がリビングダイニングに足を踏み入れると、長女の美都子がくつろいだ様子で、「お帰りぃ。お事多さんやね。今日は一段と寒かったなぁ。」と笑顔を浮かべる。
第二の珍事に、麗香は目を見開いた。
「美都子お姉さまがお帰りやなんて、今日は雪降りそうやわあ」
麗香の軽い皮肉をものともせず、美都子がぼやく。
「週刊誌の記者が張ってて、マンションに帰られへんの。匿ってもろうて、お母さまの手料理でも、ご馳走になろう思ってたのに、出前やなんてツイてへんわあ」
悪びれない美都子の様子に呆れながら、麗香は母の事をはたと思い出す。
美都子と遊んでいる場合ではなかったのだ。
「お母さま?」
母の姿を探しに、麗香が母の書斎に入ると、実里はノートパソコンの前で、熱心になにやら調べ物をしている。
そして慌てたようにノートパソコンを閉じた。
「麗香ちゃん、おかえり。今日はお夕飯出前なの。堪忍え」
母がすまなそうに言うのを見て、「そんなん構わへんけど、お身体の調子でも悪いんちゃう?」
「どこも悪くあらへんし、心配せんといて」
母の言葉に頷きつつ、麗香はそれとなく母を観察する。
何か隠していそうだったが、しいて聞き出そうとは思わなかった。
母娘の間であっても礼儀は必要なものだからだ。
母がノートパソコンを閉じる時、麗香はチラリと竜馬の文字を目に留めた。
竜馬?坂本龍馬やろか?
母の変調の原因が竜馬に関係しているのだとしたら、不思議な取り合わせだった。
内心首をかしげながら、麗香は母とリビングダイニングに向かった。
後日、竜馬を巡って騒動が勃発するのだが、幸か不幸か麗香はそのことを未だ知らなかった。