第九話 編集者・長野の嬉しい誤算。かくして本は発売された。
「困りましたねえ……。」
編集者の長野が腕組みしながら、笑いを抑えられない様子で呟く。
実里の指導の下、百万円を元手に、一ヶ月でデイトレードで四百万円まで増やす企画だったが、たったの七日間で、モニターの三人は、六百万円を突破してしまったのだ。
「想定の範囲内です。これは当たり前の事ですが、毎日種銭が1.3倍前後増えていくので、七日間でこの結果は当然の事です。」
実里が冷静に告げると、長野が不思議そうに尋ねる。
「にもかかわらず、どうして本田さんの月収は三百万なのでしょう?」
「私は特別な場合を除いて、一日の種銭は百万円と決めています。理由ですか?長野さんは海女さんの潜水時間が四十秒だというお話ご存知ですか?」
「あま?海に潜るあの海女さんですか?」
長野の問いに実里は答えて言った。
「そうです。以前は男性も従事していましたが、男性の死亡率が極めて高く、女性だけがやるようになったのです。海女さんは水中にいる時間を四十秒以内と決め、獲物が捕れようが捕れまいがかたくなに守っています。男性はその身体能力から、より多くの獲物を捕ろうとして、水中にいる時間を延ばそうとし、この延長時間が窒息死を招く原因になるのです。高価な海産物を採って高い利益が得られるのに、なぜ道具や酸素ボンベを使ってたくさん採らないのかという疑問に対して返ってきた『どの命にも成長サイクルがある。酸素ボンベを使って際限なく採ってしまったら、2年もしないうちに海の底は何にもなくなってしまう』というのが海女さんの答えでした。私もこれに倣い、自分に枷を嵌めています。資金力に物を言わせて、稼ぎすぎないようにしているのです。」
長野と三人のモニターは、黙ってその話を静かに最後まで聞いていた。
「なるほど、本田さんのお話よく分かりました。この実験企画はここで終わりにしましょう。前書きに海女さんのお話も載せて、あとは読者の良識に任せるという事で、いかがでしょう?」
長野の問いかけに実里は頷いた。
「ありがとうございます。そうして下さるなら、嬉しい事この上もありません。」
こうして、実里の投資法をモニターにレクチャーした結果が、一冊の本にまとめられた。
タイトルは「誰でも月収300万円!一番優しい株デイトレードの教科書」初動発行部数一万部で、ネット書店や実店舗型の書店で販売された。