1 「シリアルナンバーゼロ」
八月。ナップルが、ある画期的な新技術を発表した。
その技術の名はナップルタクトという。
試験的にナップルのタブレットとナップルフォン用のOSに搭載された。既存のナップルウォッチを使うことで実現できる画期的な入力方式だ。
タクトとは、指揮棒のこと。指揮棒を振るように目の前の空気を切ることで、操作が可能になる。指で何かにタッチするということもなく電子機器に文字を入力することもできるし、ウェブサイトの閲覧では、スクロールや「進む」「戻る」「新しいウィンドウで開く」などの操作が可能である。つまんだり、開いたり、片腕を振ったり、両腕を同時に振ったり、こうした現実世界でのジェスチャーがマシンを動かすとあってメディアにも大きく取り上げられた。
他人の動きにつられて動かないようにするために、ナップルウォッチと連携するようになっていて、ということは、つまり、今回、新たに登場したこの入力技術によって、ナップルウォッチの有用性が飛躍的に高まったことを意味する。
これでまたナップルウォッチが売れるだろう。
事実、その日の通学路では、もう電車内が指揮者だらけになっていた。
異様な光景だった。
九月、ナップルがまたしても新商品を発売した。
メガネ型デバイスのナップルグラスだった。
メガネの内側に細かな光の文字が浮かび上がり、様々な情報を表示する。例えば電車の乗り換え場所やトイレの位置、食べ物屋の看板に視線を向けたらその店の味のレビューや評価、空を見れば星々が線で繋がって星座になり、家電屋で商品を見れば値札を見るまでもなく金額が浮かび上がってくる。また、メガネの裏で写真や動画も見ることができた。さらには視力を補助する機能も搭載されており、顕微鏡にもなれば双眼鏡にもなるという、これでもかってほどの万能性を備えていた。
ナップルウォッチと連携してジェスチャー操作が可能になることで、ナップルフォンやタブレットを手放す人も激増した。
十月、ナップルが高精度の自動運転技術を完成させ、自動車業界に参入した。
カラーバリエーションが多く、人気を博す。初代ナップルスケルトンの再来であるかのように売れまくり、自家用車というもののデザインに革新をもたらした。
笑えない話だが、私は、ここで挙げた新製品を全て買ってしまった。
もはや異常とも言えるスピードで新製品が発表されていったので、私の借金はまたひどく増えていた。もう、どうとでもなれだ。
ナップルウォッチを初めて腕に巻いた日から、わずか半年。たった半年で、私は、やけくそ状態に突入していた。どうせならナップル製品を全て集めて、全ての機械の中身を開けて、バラバラに分解して、研究し尽くしてやろうとした。眠っている間だけではなくて、昼間もナップル製品の収集と整備と創造的破壊に明け暮れるようになった。
十一月、父親の工場がつぶれたことを知った。ナップルの新技術であるナップルタクトのせいで、それ以前の入力デバイスの製作に関わっていた父の工場は価値を奪われ、借金ばかりが増えていったと聞いた。親子揃って借金まみれとは、笑えない話だ。
さらに笑えないのは、私が大学の学費を払えなくなって退学させられたことだ。
私もアルバイトを失った。
さらに笑えないのは、父親が行方不明になったことだ。
ああ、全く、笑えない。
心機一転。
私は父の工場跡に住み込みながら、ナップル製品のさらなる収集を開始した。
引越しは、ナップル製品だけを運ぶのみにとどめて、東京の西の方にあるアリッサと住んでいた家は、なるべくそのままの形に保つことにした。
十一月の新製品は、ナップルバスルームだった。住宅にナップル製品を備え付けることで、便利な生活が実現される時代に突入しようというのだ。ナップルは車の次は家を作るつもりらしい。「ナップルの秘密基地」を意味するナップルシークレットベースというロマンあふれる計画の手始めとして発表されたのが、ナップルバスルームだった。その名の通り、早い話が、風呂だ。
声を使って「シャワーオン」と言えばシャワーが放たれ、「シャワーオフ」と言えば止まる。ナップルウォッチの位置を掴んで身体の位置を分析するので、いちいちシャワーヘッドを動かす手間もかからない。「ナップルウォッチ? いいえ身体の一部です」というコマーシャルがテレビで流れ、その宣伝を見ない日はなかった。もちろん私の家にも工場にも導入した。
ナップルウォッチに起こされ、ナップルグラスを掛け、ナップルタブレットを分解し、ナップルパソコンを組み直し、ナップルカーで買い物に出かけ、ナップルバスルームで「シャワーオン」と叫び、ナップルベッドで眠り、またナップルウォッチに起こされる。私の生活の全てはナップルに満たされていた。
何不自由ない生活で、最高に文化的な生活で、とても残念なことに、もう人類はこの快適さを手放せないだろう。
ある朝、私が目覚めると、知らない端末があった。見た目はなんの変哲もなかった。ちょっとボディに傷が多いことが気になると言えば気になる。それに筐体の下部にくっついているはずの丸いホームボタンもない。だが、どう見てもコレはナップルが出しているタブレット、ナップルパッドの最も大きいサイズと同じくらいだが、少し横に長い四角形だ。しかし、ナップルウォッチを巻いた手で画面に触れた途端に電源がつき、なんとナップルパッドは空中を浮遊し始めた。
見た目はナップルパッドだった。ナップルパッドの十三インチの大画面が空中に浮いていた。
「なんだこれは!」
私の身体に衝撃が走り、喜びの感情が全身を貫いた。
私は、ワクワクしながら急いでナップルグラスで検索をかけた。空中で文字を描けば、その通りに入力されていく。そして腕をクルンと回して検索ジェスチャーをすることで、ナップルグラスの画面上でインターネットブラウザが立ち上がっていく。メガネの裏に、多くの情報が映し出されていく。私は、次々にブラウザを立ち上げた。考えつく限りの検索サイトやニュースサイトを訪問した。
しかし、この新しいナップルパッドの情報が全く見つからない。おかしい。どういうキーワードで探しても見つからない。端末が無音で羽もなく空中に浮かぶ技術などというものは、どの企業も実用化に至っていなかった。ナップルも例外ではなく、そんな商品が発売されたなどという情報は、全く存在しなかった。では、なぜ私のところにナップル印の刻印された空飛ぶナップルパッドがあるのだろうか。
謎に包まれた物体を前に、よくわからない冷や汗をかく。
謎の技術で浮遊する板を掴み取った私は、板の裏側を確認した。
シリアルナンバーが刻まれていた。ゼロが並んでいた。ゼロしか並んでいなかった。ゼロが九つも並んでいた。
「一体、これは、どういうことなんだ。私が発明してしまったとでも言うのか」
私はナップルショップに駆け込むことにした。
最近は、ナップルが派手に新商品を発表しまくっているから、この板状のものも、今日突然にサプライズで発売された何かなのかもしれないと思ったからだ。
新宿ドドバシカメラ内の一階にあるナップルショップは、私が初めてナップルウォッチを手に入れた因縁の場所である。しかし、だからこそ何か手がかりがあるかもしれない。
私は、賑わうナップルショップの店員の前で、リュックから大きなパッドを取り出して見せた。
「すみません、こちらの商品について、何かわかることはありますか?」
水色のティーシャツを着た女子店員さんは、
「お預かりします」
と言って、顔をしかめながら、板を舐め回すようにあらゆる角度から眺めた。
「お客様、少々お待ちいただけますか」
店員さんは、私に板を返して、別の女性店員に声をかけ、何やら話し始めた。
別の女性店員は、首を傾げながら、話を聞き、やがて話を打ち切って、今度はレジカウンターの奥に行き、大きな体をした男性を連れてきた。ぴしっとしたスーツを着て、ヒゲを生やしていて、森の中で出会ったら熊と間違えそうな姿をしている。
「お待たせしました。そちらの端末を見せていただけますか?」
私は少々ビビリながら、男に端末を手渡した。
男も顔をしかめながら板を様々な角度から観察する。そして、ブツブツとつぶやき始めた。
「このディスプレイは間違いなくナップルパッドプロのものだが……ケーブルを挿す穴がどこにもないな。スピーカーの穴すらない。ワイヤレス充電というわけか。カメラは、ナップルパッドに使われているものと同じだが、音声のプラスマイナスもなければ電源ボタンも無いし、ホームボタンさえ無い。あらゆるボタンが取り去ってある。ナップルパッドには、まだホームボタンが搭載されているものしか世に出ていないはずだ」
男が画面に触れると、高精細な画像を映し出した。
「ふむ……この鮮やかな画面パネルは、ナップルにしか搭載されていないはず。いったいどういうことだ……」
男は、自分のヒゲをモシャモシャ触りながら考え込んでいる。
どうやら見当がつかないらしい。
こうなってくると、ナップルでは取り扱っていない可能性が高い。ナップルショップを見渡しても、同じ機種は全く置いていなかった。
「君、これは何処で買ったものだ?」
「さあ」
私がはっきりしない言葉を返すと、男は一気に険しい顔になった。
「うちのパーツが分解して使ってあるね」
「そのようですね。見た目は、ナップルパッドにしか見えないんですけど、でも、なんなんだかよくわからないんですよ」
「シリアルナンバーもおかしい。ゼロばかりのものなど、ありえない」
「そうですよね。変なんです」
そして、やや沈黙が流れ、大男が口を開く。
「これはね、君、改造したものだろう。分解や改造は、規約違反に当たるね。君が改造したのかい?」
「いえ、そんなことは……」
それは無いと思う。少なくとも、自分の意志ではやっていない。そんな知識や技術は、私には無い。
私は、機械ほどの器用さを持っていないのだから、精密機械の組み立てなどできるはずがないだろう。
しかし、大男は私に疑いをかけてくる。
「明らかなナップルの規約違反が認められた場合、法廷で争うことになるかもしれない」
私は思わず、「ひっ」と悲鳴をあげた。
「知らないっす。知らないっす」
借金を背負っている以上、法廷で戦えるだけの金銭的な体力などない。まして、ナップルのような世界的大企業を相手に争うなど、無茶にも程がある。
私は大男からナップルパッドらしき物体を回収しようとした。
私のナップルウォッチを装着した両手が板に触れた途端。板は、音もなく空中に浮いた。
大男は唖然とした。ナップルショップにいた人々がもれなく目を丸くした。
「す、すいませんでしたぁ!」
私は叫び、板を掴み取ると、店の出口を駆け抜けた。
それにしても、何なのだろう。この未来の板は、ナップルが作ったのでなければ、いったい、誰が開発したと言うのだろう。
「私、なのだろうか」
信じられない。私はスターボックスでナップルブックプロを開き、再び詳細不明の端末について検索をかけた。
やはり、何の情報も得られなかった。
十二月、ナップルグラスの登場で売り上げが伸び悩んでいたナップルフォンとタブレットに新機能が搭載されたモデルが登場して話題を集めた。異常とも言えるスピードで発表された新機能は、ナップルスケートとナップルスケボだった。
なんと、ナップルフォンとナップルのタブレットが空中に浮くようになった。しかも、ただ浮くだけではなく、ナップルフォン一台につき五十キログラムくらいの物体を支えることが可能になった。ナップルパッドならば、さらに百三十キログラムくらいまでの物体を支えることができる。翼もプロペラも付いていないのに空中に浮かぶため、非常に静かだ。
空中を浮遊することのもう一つの利点は、アームで支えたり腕で支えたりしなくても好きな角度で使用できることであり、しかもナップルウォッチを装着した腕を使うと、その腕の振り方や傾け方で端末を操縦できる。
しかも、はるか上空の人工衛星から発するマイクロウェーブによる充電がワイヤレスで行われ、電池切れと言う言葉を知らない便利さを持つ。
その上、画面が魔法のガラスでできていて、象が乗り上げても百人乗っても割れない。鉄ヤスリでこすっても全く傷つかない。刃物で傷つけようとしても弾丸を打ち込んでも破壊されることは絶対になかった。「ナップルフォンの中が世界で一番安全な場所」という言葉が生まれるほどに丈夫だった。
なぜこれほどまでに丈夫にする必要があったのかと言えば、画面上に人間が乗ることを想定されていたからだ。
正式な製品名こそ「ナップルパッド」や「ナップルフォン」のままだが、店で売られる時には差別化が図られ、「ナップルスケボ」と「ナップルスケート」と表記された。スケボーのように両足を乗っけて体重移動すると、その方向に動いてくれたり、スケートのように足を滑らせることで空中を移動が可能になっている。
しかも、ナップルが長年をかけて開発してきた自動運転機能付きだ。
注意点としては、ナップルパッドを利用する「ナップルスケボ」ならば一台で可能だが、ナップルフォンに片足ずつを乗せる「ナップルスケート」については、ナップルフォンが二台必要になる。
とはいえ、二台買っても決して高くない。
なぜなら、これは移動方法に革命を起こす夢の商品なのだから。自動車なんてものが、もはや価値を大きく下げていってしまうような、画期的な発明だった。
私は、このニュースを見たとき、目を疑った。実際に製品を見るためにダーマヤ電機に行った時には、全身に悪寒が走った。
新発売された「ナップルスケボ」機能搭載のナップルパッドが、私の家にいつのまにかあったシリアルナンバーゼロの機体と全く同じ形状をしていたからだ。
使い方も、ほとんど同じ。一つ違うのは、無音プロジェクター機能が搭載され、液晶パネルがなくても大画面を映し出すことができるようになったことだが、違いといえばそのくらいで、とにかく私のナップルパッドと同じ浮遊技術が使われているのは明らかだった。
「もしかして、私は、誰かと入れ替わっている?」
仮にそうだとしたら、私と入れ替わっているのは誰なのだろう。
確かめるべく、私は、よく使うナップルブックプロのデスクトップ画像を変更し、「君は誰だ?」という文字をでかでかと表示して眠った。
翌朝ナップルブックを開いたものの返事はなく、デスクトップ画像も、ナップルブックに初めから入っているデフォルトのものに変えられていた。
私と入れ替わった誰かは、どうやら私の問いを意図的に無視したようだ。まるで私に反抗しているかのようだった。
「いったい、何が起きているんだ」
私は誰にも相談できないまま、一人で思い悩んだ。
二〇一八年になっても、ナップルの新商品発表は止まらない。3Dプロジェクターで映像を空中に投影できる未来感満載の機能や、折りたたむことができる紙のようなディスプレイパネルなど、世界をどんどん進化させていった。家、まち、時計、移動手段、服、勉強、オフィス、レジャー、ありとあらゆる場所をナップル製品が占拠しはじめた。
人々は、歩くことをやめ、空中を滑ることを基本とし、両腕にナップルウォッチを装着し、腕を振り回すことであらゆる端末を操作する。それが当たり前になった。調べ物は、端末に声で語りかければ何でも答えてくれる。
より創造的で、芸術的な日々が世界に訪れたのだ。
ナップル製品が世界に欠かせないものになった頃、いつのまにか私は、積極的にナップル製品を分解して研究し、新たな製品を考えることが日常になっていた。
夜は、何者かに操られたかのようにナップル製品を買ったりバラバラにしたり組み立てたりする。昼は無尽蔵に増え続けるナップル製品を研究し尽くし、新しいものを発明する。
シリアルナンバーがゼロのナップル製品を、私は六種類ほど所持している。
それらすべては、発売よりだいぶ前に、昼間の私の手によって誕生したものだ。
夜の私ではなく、意識のある、昼間の私がやり遂げたのだ。
私は、選ばれたのだ。
私こそ選ばれた人間なのだ。ナップルは多くの人間の中から私を選び、私に新しい端末を開発させているのだ。
そのために、私は仕事と友人とアリッサを失った。普通の生活と普通の幸福を失った。引き換えに、世界は新しい生活と新しい幸福を手に入れた。
「世界が生まれ変わったのだ。私が開発したナップル製品のおかげだ」
私はナップル製品だらけの廃工場で呟いた。
私がナップルの開発者であることは、きっと世界の誰も知らない。ナップル本社の人間でさえ、私のことを知る人間は少ないだろう。私は、ナップルの手によって厳重に隠された開発者なのだ。
私を失えば、新製品開発は止まってしまうだろう。
それは世界にとって、よくないことだ。
数年前、ナップルの伝説的な経営者は死んでしまった。
けれど。
死んだシゴッツの魂はここにある。私の中でシゴッツは生き続けているのだ。
「ああそうか、お前の正体がやっとわかったぞ。お前、シゴッツだったんだな」
私は、私の中にいるもう一人の私に語りかけた。
返事はなかった。




